■節子への挽歌792:此岸での人生の終わり方
節子
最近、なぜか「どうしてこんな生き方を続けているのだろうか」と思うことがあります。
時々、書いていますが、どうも最近の生き方は私らしくありません。
おそらく節子がいた頃の生き方に戻っているのでしょうが、なぜかそうした生き方は、今の自分の生き方ではないのではないかという気がしてきました。
昨日、蔵田さんと話していて、蔵田さんの生き方にとても共感しました。
友が寂しがっていたら遠方からでも何気なくやってくる。
近くに問題があれば、意見を言いに出かけていく。
きちんと話さないと伝わらないでしょうが、宮沢賢治の「雨にも負けず」を思わせる生き方です。
なぜそういう生き方にうつろうとしないのか。
そう思うことが増えてきました。
しかし、そこに生きつかないのです。
時評編に書きましたが、今日、「ガンジーの危険な平和憲法案」という本を読みました。
大きな衝撃を受けました。
最近共感してたネグリの「マルチチュード」よりもずっとラディカルです。
しかし、それはそれとして、とても心に響く文章に出会いました、
ガンジーが残した文章です。
この状況がよくならなかったら、私の心は叫び、神様に早く連れて行ってもらうように祈っています。その祈りは、神様と彼の友人たちによって実現しました。
ガンジーは、近代国家としてしか独立できなかったインドに生きずにすんだのです。
神様はきちんと見ていてくれるのです。
おそらく私のことも見ていてくれるでしょう。
そんな気がします。
にもかかわらず、私はまだ現世に未練がましく関わろうとしている。
相変わらずの「小欲」。
いったい誰のためにやっているのでしょうか。
社会のためでも、友人知人のためでもないでしょう。
たしかに友人知人からは感謝されることもあります。
全く面識のない人から褒められることもあります。
でも私がやらなくても、きっと誰かがその役割を果たすはずです。
所詮は自分のためではないのか。
自分が生きるために生きる、というのはどう考えても納得できないトートロジーです。
ガンジーは、いつそうした人生をやめたのか。
それは「暗殺」された時ではないのではないか。
そう思った時に、ふと思い出したのです。
節子はいつ彼岸に入ったのだろうか。
これまでも何回か考えた問題です。
節子には、もう一つの命日があるように思えてなりません。
私も、此岸での人生の終わり方を、そろそろ考えなければいけないのではないか。
最近、そんなことを考えるようになりました。
少しだけですが、仏教の考えがわかりだしてきたような気がします。
| 固定リンク
「妻への挽歌04」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌800:レインボーブリッジの夜景を見ながら思ったこと(2009.11.10)
- ■節子への挽歌799:脱余生考(2009.11.09)
- ■節子への挽歌798:節子の寝顔ももうありません(2009.11.08)
- ■節子への挽歌797:ラ・フランス(2009.11.07)
コメント