■節子への挽歌794:コモンズ空間
節子
TYさんが湯島にやってきました。
あの、才色兼備の、しかし小生意気なTYさんももうじき50代になるそうです。
私たちも歳をとったはずです。
彼女が最初に湯島にやってきた時は、まだ20代の終わりごろでした。
ある人の紹介でやってきましたが、若いのにはっきりした物言いと、ちょっと危ない小生意気さが私の波長に合ったのか、長い付き合いが始まりました。
当時、彼女はある財団のプログラムオフィサーとして、とてもいい活動をしていましたが、その一方で、モダンバレーにも取り組んでいました。
今にも折れそうな細い身体で、なんでこんなに頑張れるのだろうと思うほどの頑張り屋でした。
節子も彼女のことはよく知っています。
彼女の招待を受けて、節子と2人でモダンバレーの発表会に行きました。
大変申し訳ないのですが、私には難解でした。
というよりも、私はバレーにはあまり興味が無いのです。
TYさんと出会ったのは、私たちが湯島のオフィスを開いた直後でした。
当時は、私も節子も、新しい人生をはじめたばかりでした。
彼女が持ち込んできたプロジェクトは、その後の私の生き方にも大きな影響を与えました。
半年振りにTYさんと話していて、いろいろと昔のことを思い出してしまいました。
湯島から始まった物語はいろいろあります。
湯島のオフィスは、もしかしたら、私と節子だけの空間ではないのではないか。
そんな気がしてきました。
TYさんにも、もしよかったらこの場所を使って研究会を始めたらと提案しました。
きっと節子も賛成してくれるでしょう。
このオフィスはがんばって持続させようと決めました。
私たちが目指していたコモンズ空間は、気づかないうちにもうできていたのかもしれません。
湯島に来ると、なんだかホッとして長居してしまうといってくれる人がいます。
TYさんも予定の時間を超えて今日も長居してしまいました。
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