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2009/11/07

■情報の非対称がもたらす無駄

社会が抱える問題はあまりにもたくさんあるため、なかなか一つひとつにきちんと向かい合うのは難しいです。
しかし、当該地域の住民たちには切実な問題ですから、真剣にとりくまなければいけません。
しかし、それが可能になるためには「情報の非対称」を克服する姿勢が、情報をたくさん持っているほうになければいけません。

たとえば、宮崎県の川南町の「切原ダム」の報道を見ると、むしろ「情報の非対称」が国や県によって利用されているように感じます。
宮崎県の知事には私は全くと言っていいほど信頼感を持っていないので、いささか厳しすぎる評価かもしれませんが、県による詐欺行為としか思えません。

私が、民営化や市場システムに立脚する考えに懐疑的なのは、あるいは民主主義制度に懐疑的なのは、情報の非対称を克服することは現実には不可能だからです。
むしろ「近代社会」の諸制度は「情報格差」によって支えられているというべきです。

情報の非対称性が存在する場合、取引の当事者のいずれか一方だけの不確実性が高くなる。情報の非対称性は、情報優位者にとって有利な結果をもたらし、市場の取引が円滑に進まなくなってしまう場合がある。

2001年にノーベル経済学貧を受賞した経済学者アカロフは、情報の非対称性が存在する市場システムでは非効率性が発生することを証明しました。
アカロフの指摘を待つまでもなく、そんなことは生活は百も承知です。

切原ダムの事例では、当該地域の農民たちは国や県が少しずつ出す情報に振り回されて、少しずつ妥協してきました。
しかし、そうした行動が自らの子孫たちに大きな負担を残すことにようやく今気づいてきたのです。
しかしすでに時は遅いのです。
資本の道化役の東国原知事の本質は、前回の衆議院選挙立候補で露呈したはずですが、まだまだ農民は従順な生き方から抜け出られません。
明治維新以来の学校教育の成果の凄さを感じます。
私たちはまだ「お上」の声にはどこかで従順になる心根を持っているのです。
こんなことを書いている私も、おそらくいざとなると同じでしょう。
お上に反発することとお上に従順なことは同義です。

この「情報の非対称」がもたらす大きな無駄は、しかし、時に社会を大きく壊しかねません。
今の国会議論を見ていると、それを感じます。
脱官僚を成し遂げるには、この「情報の非対称」に対して、別の舞台設定が必要なのですが、そうしたことを考える知恵者は民主党にはどうもいないようです。
その理由は、情報の非対称の構造の中で、彼らが権力を勝ち取ってきたからです。
情報構造のパラダイム転換ができないのです。
私は、唯一、情報構造のパラダイム転換をしているのは鳩山首相だけのような気がします。
まあ、気がする、だけですが。

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