■節子への挽歌806:やはり現実にはおろおろしてしまいます
この数日、死についてえらそうなことを書いてきました。
昨日の挽歌を書き終えた時には、今度は「死への恐怖が全くなくなっています」というタイトルで書こうと思っていました。
ところが、その数時間後、電話がありました。
娘が出ましたが、訃報でした。
節子の見舞いにも来てくださったUさんが亡くなったのだそうです。
Uさんの実家(わが家の近くです)でUさんのお母さんの世話をしているお手伝いさんの小野寺さんが、泣きながら電話してきたのです。
小野寺さんは、その悲しい話をだれにも話す相手がいないため、ささやかに付き合いのあるわが家に電話してきたのです。
衝撃を受けました。
最近少し元気になってきて、自分で料理もつくれるようになったという話を聞いていたからです。
Uさんは我孫子ではなく、少し離れたところに住んでいます。
節子よりも少し後に、やはりがんが発見されました。
胃がんではなかったので食事もでき、見た感じは元気でしたが、かなり病巣は広がっていたのです。
節子が自宅でかなり病状を悪化させてしまってからも、一度、見舞いに来てくれました。
同じ病気なので、2人でがんばろうと誓い合っていた姿を思い出します。
節子が逝ってしまった後、庭に献花に来てくれましたが、その時は私が少しおかしくなっていて、どこのだれかがうまく思い出せずに、節子との別れ際の話をしてしまいました。
その頃、私は無性に誰かに節子のがんばりを話したかったのです。
後で娘から同じ闘病をしているUさんだと聞かされました。
とても後悔しました。
もっと元気が出る話をすればよかった、そう思ったのです。
言いかえれば、その頃のUさんは、とても元気だったのです。
でも聞きたくない話だったでしょう。
Uさんは節子より少し若いはずですから、節子と同じ長さの人生だったのかもしれません。
あの元気なUさんも、と思うと、心が痛みます。
むすめたちに、自分よりも年下の人の訃報はとてもつらいものだよ、と話しましたが、人はやはり年齢の順に旅立つのが心やすまります。
頭ではいろいろとわかっていても、実際に近くに人の死が起こると、やはり「おろおろ」してしまいます。
そして、なぜか宮沢賢治の「雨にもまけず」の一節を思い出しました。
日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず 苦にもされず
そういうものに わたしは なりたい
おろおろと生きる。
もしかしたら、私は少し無理をして生きているのかもしれません。
もっと「おろおろ」していいのではないか。
そんな気が急にしてきました。
おかしな話ですが、涙がとまりません。
なぜでしょうか。
たぶん全く知り合いのいない我孫子にやってきた小野寺さんが、最初に心を開いて知り合ったのが節子だったと思います。
節子が元気だったらどうするでしょうか。
節子は本当にこころやさしい人でした。
その節子が、私に涙を出させているのかもしれません。
涙とは本当に不思議なものです。
魂そのものではないかという気さえします。
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