« ■節子への挽歌802:我孫子は冬になりました | トップページ | ■お上の目線と民の実状 »

2009/11/13

■節子への挽歌803:「新しい時間」

挽歌799に masa さんからこんなコメントをもらいました。

私も仏門に入る、出家をするという選択肢があるんだなあと思ったことがあります。
主人のことを偲んで、主人の霊が安らかであることを祈る日々・・・
それで十分だと思いました。今もほとんどそれに近い毎日です。

でも、先日主人の写真に向かって話している内容が「主人と共有していた時間とは違う新しい時間」だということに気がつき、そうなのか・・何も出来ないって思ってたけど「何かしら」が動いているんだなあと思いました。

この挽歌には、時々、コメントが投稿されるほか、直接、メールが来ることがあります。
時には直接会いに来てくれる方もいます。

masa さんは以前もコメントを下さった方ですが、まだお会いしたことはありません。
その人の顔が見えていると、文章の意味も読み解きやすいのですが、そうでないと文章を読み解くのはとても難しいです。

コメントの前半はいいとして、後半の「主人と共有していた時間とは違う新しい時間」という言葉が気になりました。
もちろんmasa さんのことではなく、私自身はどうだろうかということが気になったという意味です。
「節子と共有していた時間」と「今の時間」。
そんなこと、どうでもいいだろうと思われるでしょうが、愛する人を失った者にとってはそれなりに気になることなのです。
このコメントをもらってからもう4日ほど経過しますが、そのコメントに返事は書けずにいます。

masa さんはまた、「何かしらが動いている」と書いています。
これも気になった言葉です。
私も同感なのですが、それが何なのか、よくわかりません。
時間などいくらたっても、この気持ちは風化などしない、という確信は全く変わっていません。
節子への愛おしさや、その不在の哀しさは高まりこそすれ、弱まりはしません。
しかし、どこかで何かが変わっているような気が、たしかにするのです。
もしそうであれば、それが「新しい時間」なのでしょうか。

「新しい時間」はいうまでもなく「新しい世界」につながります。
「そんなはずはない」と思うのですが、「そうかもしれない」と思う気持ちもあります。
節子がいたら、この難問を解くヒントをくれるのでしょうが。

もう少し考えてみたいと思います。
まあ、愛する人を失うと、こんな問題についつい引き込まれてしまうのです。
困ったものです。

|

« ■節子への挽歌802:我孫子は冬になりました | トップページ | ■お上の目線と民の実状 »

妻への挽歌05」カテゴリの記事

コメント

ブログを読みながら思いつくままをふらふらと書いたもので、佐藤さんを混乱させてしまった
かもしれませんね。申し訳ありません。

私は主人がいなくなってからというもの、ほんとに力が出ないなあと思うことばかりです。
病床にあった友人が私に向かって「あなたが心配だわ。どうしてそんなに何もかもがなく
なってしまったような思考になるの。あなた独自の素晴らしさは一杯あるのに、それまでも
ないものに封じ込めようとしてる」と言いました。その彼女もうちの主人の半年後亡くなり
ました。そういう状態の人だったからこそ、他の人は気づかない私の「危うさ」を感じた
のかもしれません。

今も朝夕、主人の仏壇の前に座り涙する時間を確保することで、自分をなんとか保って
います。私は当時となにもかわっていないようです。
親切な友人にも恵まれています。心配してくれる家族も近所にいます。
そこそこの生活もできます。それでも埋められない喪失感・・
もう自分の仕事は終わったのではないかと思うこともあります。
ただ、残る人に迷惑はかけられないということと、主人が生きたいと切望したであろう
今日という日なんだから頑張らねばと思って日々を重ねています。

というと、ほんとに打ちひしがれて泣き崩れているように聞こえるかもしれませんが、
実際の私は「外見からは明るい人」だろうと思います。なるべく他人様に不愉快な思いを
させたくないですしね。

でもある日ふと気づいたのですが、毎日主人の写真に向かって話してる内容が
主人と共有した話ではなくて、あれ以来に私だけが出かけて行ったところ、
知り合った人達だったりするんですね。もちろん主人も一緒にこちらの世界を
感じていてくれていると思うんですが・・・
あれ、主人がいなきゃ何も出来ないとこんなに思っているのに、私は新しい経験を
しているのか???と思い、何が動いているんだろうとキョロキョロしてしまうのです。
私にとってはもちろん主人のことは何も風化していません。というより、ここにいる
というのが実感なんですが・・・ね。

やはり、気持ちがあちらの世界とこちらの世界を行ったり来たりしています。
節子さんともお話できそうな気がしてしまいます。
はてさて、節子さんや主人はどんな答えをくれるのでしょうね。
そんなに難問と考えなくていいよ!こちら時間とそちら時間があるのだからとでも
言うでしょうか・・・・

投稿: masa | 2009/11/13 23:00

masaさん
ありがとうございます。

うっかりコメントが届いているのに気づきませんでした。
読ませてもらって理解できました。
と言うか、気づかせてもらいました。
そういえば、そうですね。
ほんとうにそうです。
たしかにそうです。

でももう少し考えたい気分もあります。
考えたことを、またいつか書きたいと思います。

投稿: 佐藤修 | 2009/11/18 20:23

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌803:「新しい時間」:

« ■節子への挽歌802:我孫子は冬になりました | トップページ | ■お上の目線と民の実状 »