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2009/11/11

■節子への挽歌801:「父の死を友人に話せませんでした」

私が取り組んでいる「自殺のない社会づくりネットワーク」を知って、「自殺」に関する話を聞きたいと大学生の若者がやってきました。
卒論のための取材です。
もちろん初対面です。

実は2年前に父が病気で亡くなりました、と彼は話し出しました。
51歳だったそうです。
それが「生と死」への関心を高めた契機だったそうです。
自分は「自殺」など思ったこともありませんと彼はつづけました。
そういうやりとりで、すっかり心が開かれました。
私も同じ頃、女房を見送った、と話しました。
そうなると不思議なことなのですが、同じ世界の人になってしまえるのです。

「父が亡くなったことを友人にしばらく言えませんでした」。
それがなぜかは私にはもちろんわかりませんし、おそらく彼にもわかっていないでしょう。
もちろん「なぜ言えなかったのか、あるいは言わなかったのか」を、彼は説明してくれましたが、それは所詮は説明でしかありません。
私自身の体験から、その説明は嘘ではないですが、十分な理由でもないような気がします。
つまり本人もわからずに「言えなかった」のです。
私自身の体験から、そんな気がしてなりません。
それに、理由などわかる必要もありません。

大事な人を失うと「素直」でなくなるよね、と私は言いました。
彼は否定しませんでした。

彼の祖父母はまだ健在です。
息子が先に逝ってしまったことを祖父母はとても悲しんだようです。
その哀しさや辛さがわかります。
わずかに数歳しか年上でないにもかかわらず、自分より若い節子を見送ることはほんとうに思ってもいないことでした。
ましてや、子供が先に行ってしまうことの悲しさや辛さはいかばかりでしょうか。
最近、やっとそういうことにも私自身、思いを馳せることができるようになりました。
人はやはり年齢の順番に彼岸に旅立っていくのがいいです。
それはみんなある意味で覚悟ができているはずですから。

節子は62歳で彼岸に旅立ちました。
彼の父親は51歳。
あまりにも若いです。

彼のために何かできることはないか、考えてみましたが、思い当りません。
節子だったら何というでしょうか。

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