■節子への挽歌820:節子はいったいなんだったのだろうか
節子
最近また自己嫌悪に陥りだしています。
まだ精神が安定していないのかもしれません。
まえに「出家」のことを書きました。
私には出家の覚悟も気持ちもないのですが、コメントくださった読者の方と同じく、そんな気分で生きようという思いがあるにもかかわらず、いろいろな人から相談が持ち込まれると、ついついその気になって俗事に関わってしまうことに、なんともいえない「やりきれなさ」を感じることがあるのです。
節子よりも相談に応じることのほうを選んでしまう自分が、なにやら偽善者に思えてしまうといってもいいでしょう。
ほんとうは、節子よりも自分が大事なのではないか。
愛する人に先立たれ、なお生きている自分にも、いささかの嫌悪感があります。
嫌悪感というよりも、なにかそのことがとても奇妙なのです。
節子がいないと生きていけない、などといっていた自分は、いったい何だったのか。
そうした私のことを一番よく理解し、「それでいいのよ」といってくれるはずの節子がいないことで、そうした迷いは解消されることはありません。
節子以外の人から、「それでいいのだ」などと言われると、全く逆効果で、それこそ蹴飛ばしたくさえなるのですから、困ったものです。
節子はいったいなんだったのだろうか、と思うこともあります。
これもなかなかわかってもらえない「問い」だと思いますが、最近、時々そうしたことが気になりだしています。
節子と一緒に暮らしたことが、最近、奇妙に現実感をなくしてきていることもあります。
節子はいったいなんだったのか。
ほんとうに現実だったのだろうか。
親鸞が夢見た如来ではなかったのか。
私に生きる意味を与えてくれるために、私の前に現れた如来。
そんな気さえするのです。
しかし、節子と一緒に暮らした日々を思い出すと、反省だけが思い出されます。
そこに登場するのは、いつも嫌悪したくなるような自分です。
節子を幸せにできなかったという責めからは、どうあがいても抜け出せませんが、その落し穴に落ちてしまうと、なかなか立ち直れません。
特に今日のようにどんよりした日には、心が萎えてきます。
このまま世界が終わってしまえばいいのに、などと思ってしまい、ますます自己嫌悪に陥ってしまうのです。
人を愛するということは、もしかしたら、とても哀しいことなのかもしれません。
しかし、節子はいったい何だったのでしょうか。
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コメント
ほんとに一体なんだったんでしょうね。私もよくそんな感じに襲われます。
あの時に私も終わったんだなと思えば納得がいくのですが・・・現実には
そうでない自分がいて。
今の家の周りは都市計画で工事をしていましてね。主人がいるときにも
窓から工事を眺めていました。主人は建築会社に勤務していましたから、
興味があってずっと眺めていました。大きな背の高いマンションが次々
建って、公園もできるはず・・・・そんな中でした。今はそれもほとんど
出来上がってきています。それを眺めていると、鉄の棒やら床材やら窓
等などを沢山組み立てて出来上がっていくんです。「ああ・・主人の
カケラを拾い集めてこんな風に組み立てなおすことはできないのかしら。
私はどんな小さなカケラでも探してきて、あの人を組み立てるのになあ」と
本気で考えます。人が聞いたら何を馬鹿なことをって思うでしょうね。
どんな・・・馬鹿なことでも・・・ホントの気持ちなんですよね!
もう師走ですね。寒さに向かいますのでどうかお体を労わってください。
投稿: masa | 2009/12/01 00:55