■節子への挽歌796:夫婦喧嘩では絶対に謝らなかった節子
節子
夢をみました。
喧嘩をしている夢でした。
たまにしか夢にも出てこないのだから、喧嘩などしなくてもいいのですが、お互いに頑固に自分の考えを譲り合わないまま、喧嘩になっている夢でした。
目が覚めたら、何で喧嘩になったのか思い出せません、
思い出せるのは、自己主張を変えない節子の頑固さぶりです。
全くもって腹立たしい。
節子の性格は、彼岸に行っても変わっていないようです。
「馬鹿は死ななきゃなおらない」といわれますが、「頑固は死んでもなおらない」ようです。
節子は、時々、絶対に自分の間違いを認めないことがありました。
そうした時には、それこそテコでも動かないのです。
その頑固さは徹底していました。
それでよく喧嘩になりました。
まあ、いつもたいした問題などではないのですが、問題は何であれ、間違っているくせに相手が間違いを認めないほど腹の立つことはありません。
喧嘩が終わって謝るのは、いつも私でした。
間違っていないのに謝るのもおかしな話ですが、まあ冷静になると、間違っているかどうかさえ瑣末な話のことが多いのです。
でも、これも納得できない話で、時々、節子に「なんでいつも謝るのは私なんだ」と異議申し立てをしましたが、節子の態度は最後まで変わりませんでした。
夫婦喧嘩で節子が私に謝った記憶はあまりありません。
ということは、私のほうがいつも悪かったということになりかねませんが、そんなことはありません。
明らかに節子のほうが悪かったこともあったはずです。
しかし、今となってはもう証明しようもありませんが。
喧嘩では謝りませんでしたが、節子は病気になってからは何回も私に謝りました。
節子が一番私に謝ったのは、私を置いていくことでした。
「謝っている節子」の姿はよく思い出します。
謝らなくてもいいのに、節子は本当にすまなさそうに謝ってくれました。
謝るべきは、私のほうなのに、といつも思っていたのですが。
でも夫婦喧嘩ではどうして節子は謝らなかったのでしょうか。
節子は夫婦喧嘩が嫌いでしたが、私はもしかしたらけっこう好きだったのかもしれません。
今ではもう、位牌の前で節子に謝ることしかできません。
もう一度喧嘩をして、今度こそ節子に謝らせたいと思うのですが、夢の中ではなかなかうまくいきません。
夢の中ではなく、もう一度、喧嘩をしたいです。
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