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2009/11/27

■「問題の立て方」再論

前にも書きましたが、もう一度書きます。
「問題の立て方」が大切だという話です。

昨日、八ッ場ダムの地元住民たちが、ダムの早期完成を求める5万人以上の書名を集めて国土交通相に陳情にいったそうです。
私は地元住民ではないので、あまり強くはいえませんが、ダムを完成させたら住民の生活はよくなるのかということが気になります。
ダム工事のための仕事はなくなりますし、造られたものを壊すのは無駄に見えるかもしれませんが、自然を壊すことに比べたらそのダメッジは桁違いに小さいはずです。
住民の生活という視点で考えずに、目先のことでしか考えていないのではないかという気がします。
思い出すのは「7代先の掟」です。
アメリカのネイティブの人たちは、何か大切なことを決める際に、7代先の人たちにとって、良いことかどうかを判断の基準にするそうです。
この「7代先の掟」は、数十年前までの日本にもあった掟です。
そうした掟はもう忘れられたのでしょうか。
八ッ場ダムの地元住民たちは、問題の建て方を間違っていると思うのです。
大切なのはゼネコンの下請け仕事を続けることではないでしょう。
自分たちの子孫の生活を考えることでしょう。
その視点から考えれば、ダム工事を一時やめて、考え直す絶好のチャンスなのです。

事業仕分けに関して、科学者や大学関係者が騒いでいます。
これも私には問題の立て方が間違っていると思います。
大学は、問題の解き方しか教えていないので、大学の学長や総長には問題の立て方など関心がないのかもしれませんが、それにしても記者会見での話は内容が乏しく、がっかりしました。
ノーベル受賞者の発言も同じです。
発言していることはもちろん正論ですが、ではこれまでのままでいいのかという話です。
全体を見る目が彼らには全くありません。
近代の要素還元主義の中で、全体を見失っている優等生の姿がはっきりと見えてきます。

事業仕分けは、まずは無駄の発見です。
そして効果的な予算配分です。
一見、科学技術の分野に予算支出されているようで、しかし実際には途中でおかしな使い方がされているからこそ、事業仕分けの対象になり、議論されたのです。
国際協力という名目で、どれだけの予算が、相手には届かない使われ方をしているか、それと同じことが科学技術の分野でもいえるのですが、彼らはそれを無視して、要は八ッ場ダムに巣食っているゼネコン業者と同じように利権を失いたくないだけの話です。
どうしたらほんとうに科学技術分野で成果をあげられるか。
それを考える絶好のチャンスと捉えるべきではないのか。
そう思います。

もちろん事業仕分け人の質問や判断がすべて正しいと私は思ってはいません。
そんなことは当然のことでしょう。
彼らの判断は、所詮は一つの判断です。
しかしこれまで全くなかったことをはじめたのです。
その意味が大学の学長や総長にもノーベル賞受賞者にもわかっていません。
彼らが「知」というものをどう捉えているかが露呈されています。
近代の知に埋没し、偏差値教育を推進してきた人たちには理解できないことなのかもしれません。

今の時代、大切なのは、「問題の立て方」です。
間違った問題設定すると、がんばればがんばるほど、おかしな方向に行きかねません。
まあ、そのことは私自身にも言えることです。
この文章自体も、間違った問題設定に従っている可能性は否定できません。
もちろん私はそうは思っていませんが。

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コメント

この前はありがとうございました。

とあるメルマガにこんなことが書いてありました。
-----
経営学者であり、現在、経営哲学学会会長を務めている野澤研宗氏によれば、
「組織の失敗は、非合理に生じるのではなく、個々人が合理的に進めた結果、失敗していく」
と説いています。

言い換えると、組織の失敗は、人間の非合理性が生み出すものではなく、
個々人が、合理的にその場その場を判断した結果、組織全体を失敗に導くことがある、
ということです。

(中略)

野澤氏は、合理性が失敗に向かう理由のひとつとして、
人は機会があればスキがあれば、利己的利益を追求していく、
弱い一面を持っていることをあげています。

「全体最適」よりも「部分最適」、
「長期的利益」よりも「短期的利益」、
「組織の効率」よりも「自分の効率」を優先させてしまうことで
失敗の可能性が高まるわけです。

したがって、組織が前進、成長していく上で大切なことは、
いかに自分を超え、部門を超え、組織全体という視点で物事を見れるのか
ということになってきます。
-----

今回の事業仕分けの件も同様で、
短期的利益、自分の効率から抜け出せていないのではないかと思いました。

という自分も日々生きていくだけで精一杯ですが、
全体最適、あるべき姿は忘れないでおこうと心に刻んでいます。

投稿: やべっち | 2009/12/01 12:36

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