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2009年12月

2009/12/31

■節子への挽歌851:3回目の年越し

節子
今年もまもなく終わろうとしています。
この挽歌も最近は「日記」のような内容になってきてしまいましたが、少なくとも毎日1回は節子とパソコンを通して語り合うことができました。

今年の年末はユカと2人だけの、少し寂しい年越しです。
働き者のジュンが結婚したため、家の掃除も今年はかなり手抜きになりました。
なにしろ肝心の時に、私が風邪でダウンしてしまったからです。
ジュンは近くに住んでいるので、昨日はユカと2人でおせちなどの買出しに行ってくれましたし、今日も庭の工房にタイルを焼きに来ていましたので、さほどジュンが出ていった実感はないのですが。
午後、3人でお墓の掃除にも行きました。
まあこれが最後になるでしょうが。

私は、今年はいささか不確かな足取りでスタートしましたが、昨日書いた自殺の問題に関わらせてもらったおかげで、家にこもりがちな生活からは脱することができました。
ただ逆にさまざまな問題がまた集まりだしてきて、いささか心配ではあります。
私的にも問題はたくさんありますが、節子がいない今、一人で一つずつ解いていかなくてはいけません。
気の重さは拭えません。

節子がいなくなってから、今年が良い年だったかどうかの判断はできなくなってしまいましたが(つまり「良い年」という概念がなくなったのです)、少なくとも今年は「悪い年」ではなかったといえるでしょう。
今年の一番の変化はジュンの結婚です。
ジュンは決めたことは必ずやるという人ですが、決めるのが少し遅すぎました。
節子がいたら、全く違った展開になったかもしれませんが、なにしろ相談相手が私なので、ジュンも苦労しています。
でもまあ節子の心配の一つは解消したわけです。
来年はユカの結婚を目指さねばいけません。

挽歌を通しての節子への語りかけで、私の精神的安定感は回復してきた気もしますが、その一方で身体的安定感は老化によって次第に低下しています。
しかし、幸いに今年は何事もなく無事年を乗り越えられそうです。

しかし考えてみると年賀状も1枚も書いていませんし、年内にやろうと思っていたことが山のように残っています。
でもまあ間もなく今年も終わります。
用意ができていようといまいと、時間は経過します。
こうやってみんなやりたいことを残して人生を終わるのでしょうか。
そう考えると、やはり節子が言ったように、毎日を納得して生きることが大事ですね。
来年は私もそれをもっと心がけたいと思います。

挽歌を読んでくださったみなさま、ありがとうございました。
ホームページのお知らせにも書きますが、1月5日の午後はたぶん湯島のオフィスにぼんやりしながらいる予定です。
気が向いたらお立ち寄りください。

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■友愛の動きの広がり

今年は、身の回りでの「社会の壊れ」を強く実感する一方で、私にとってはうれしい方向への大きな変化の予兆をいくつか感じました。

一番大きな期待は、「友愛」の発想が政治の世界でさえ語られ出したことです。
あまり評判が良いわけではありませんが、政治の基本は友愛であるべきだと思っている私には嬉しい話です。

選挙は人が死なない戦争だ、などという話を昨日のテレビで多くの総理に仕えた飯島さんが話していましたが、とんでもない話だろうと思います。
そんな発想はもうそろそろ卒業してほしいものです。
企業経営の世界もよく戦争にたとえて語られますが、これもそろそろ卒業すべきだろうと思います。
数年前に私が訳させてもらった「オープンブック・マネジメント」(ダイヤモンド社)を訳す気になった一つの理由は、企業経営のモデルを「戦争モデル」から「ゲームモデル」へと転換するメッセージが含まれていたからです。

人がいるかぎり、戦争はなくならないと多くの人は思っているかもしれませんが、そんなことはないはずです。
私たち一人ひとりの心身のなかには、むしろ「友愛」あるいは「ケアマインド」が埋め込まれているからです。
隣の人が危険に直面したら、反射的に助けようとする、それが人間ではないかと私は思っています。
生命の連続性に関して、挽歌編ではしばしば書いていますが、その生命の連続性の名残がまだ残っているはずです。

しかし、そこに一瞬の時間が入り込むと、途端に私たちは迷い出します。
連続した生命の一部を「個人」として自立させてしまった人間は、自我を持ち出し、全体の生命よりも自分を守るという知恵を身につけてしまいました。
そのため、本能的に反応してしまっては、もしかしたら、個としての生をまっとうできないという、おかしな状況が発生したように思います。

しかし、その知恵を持ちながらも、なお「友愛」と言い出した鳩山首相に、私はとても感謝しています。
なぜならどんな動きも「言葉」を与えられて初めて定位し、実体化するからです。

年末になって、実はそうした、とても心温まる動きが私のまわりでいくつか起こりました。
来年は、そうした私の回りで始まった、いくつかの「友愛」の動きを紹介していけるような気がします。
今年よりも、もう少し建設的な時評を書きたいと思っています。

今年もお付き合いいただき感謝します。
1月5日のお昼過ぎから8時まで、私の湯島のオフィスでぼんやりしている予定です。
もし気が向いたら、コーヒーを飲む気分でお立ち寄りください。
案内をホームページのお知らせに掲載しています。

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2009/12/30

■来年はもっとポジティブな時評を目指したいです

最近、時評が書けていません。
単に時間不足なためですが、不思議なもので時評を書かなくなると社会の動きもあんまり気にならなくなります。
時評していると時評したくなるテーマが次々と出てきます。
時評しなくなると時評したい話題も出てこなくなります。
いろいろなことが気になるから時評するのか、時評するから気になるのか。
時評しないで世間の動きなど気にせずにのんびり生きるのが幸せなのかもしれません。

それに最近つくづく思うのは、世上、ネガティブ・コメントが多すぎるということです。
ジャーナリズムのエトスは、批判精神ともいわれますが、相手を貶める批判ではなく、相手を正す批判でなければいけません。
これは結構難しく、私にはなかなかできません。
この時評もネガティブ・コメントが多すぎるので、時に自己嫌悪に陥ります。
他者を時評することは自らをさらけ出し、結果的には自己時評することでもありますので、時々深い嫌悪感に襲われるわけです。

対象がどんなものであろうと、ネガティブな評価は極めて簡単です。
この世に完璧な動きなどあろうはずもありませんから、いかようにも酷評できるのです。
その一方で、褒めるのは難しい。
この時評でも褒めることを書く努力は何回か試みましたが、うまくいきません。
それはおそらく自らが自立していないことが影響しているように思います。
自らに自信のある人は、決して人を見下したり、ネガティブ評価はしないでしょう。
どんな対象の中にも、価値を見出せるのです。
残念ながら、私はそうした心境には程遠いことが、時評を書いていてよくわかります。

このブログは、時評と挽歌から構成されています。
全く異質に見えるこの2つのことが、書いている立場から言えば、深くつながっています。
挽歌の中に時評があり、時評の中に挽歌があることを、最近痛感します。
当初は「心で書く挽歌編」と「頭で書く時評編」と自分でも別のものと意識していたのでしたが、実際に書き続けていると、そんな違いはありません。
結局、いずれにも自分の生き方や気持ちが形になるだけなのです。

来年はもっとポジティブな時評を目指したいと思っています。
前にも一度、同じ事を書いたような気もしますが。

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■節子への挽歌850:「自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい」の出発点

今年は、生と死、あるいは愛について、いろいろと考える機会がありました。
これもすべて節子のおかげです。

「自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい」も立ち上がりました。
このネットワークの立ち上げに節子が深く関わっているとは誰も思ってもいないでしょう。
しかし節子がこのネットワークの推進者だったように私には思えます。

東尋坊で活動している茂さんからメールが届いたのが昨年の10月でした。
そして、私の中に自殺水際相談所ネットワーク構想が生まれたのが10月17日。
最初はコムケア活動として取り組むつもりでした。
ところが、12月になって、なぜか1回しか会ったことのない、ライフリンクの福山さんから食事を誘われました
伴侶を亡くした私を元気づけようと誘ってくれたのです。
それでメンバーがそろいました。
つなげてくれたのは、茂さんも福山さんも知らないでしょうが、節子だったのです。

実際に動き出したのは、年があけた今年の3月でした。
茂さんが東京に来る機会にみんなに湯島に来てもらいました
そして翌月に緊急集会を開催する決意をしたのですが、この後押しをしてくれたのも節子でした。
節子との最後の旅で、もし茂さんや川越さんに会わなかったならば、このネットワークは生まれていなかったと思います。
そしてこの1年、私は仕事を一切止めて、ネットワークの立ち上げに取り組みました。

そのネットワークも茂代表と福山事務局長のもとに推進体制が整い、活動は軌道に乗りつつあります。
そろそろ中心から抜ける予定ですが、自殺の問題は私にとっては今年の最大テーマだったのです。
私にはもっとも縁遠いところにあるテーマのはずなのですが。

ところが、今年もあますところ4日という一昨日、思わぬメールが届きました。
昨日の挽歌で触れましたが、愛する人を自死で失った人からの長いメールです。
なぜ「自死」なのか、そのメールを読んだ時、あまりの符牒の一致に身体が震えました。
考えすぎだと言われるかもしれませんが、物事には偶然はありえないと考える私にとっては、あまりに見事なメッセージの一致なのです。
その人は、愛する人の死の悲しみから抜け出すために、セルフカウンセリングに取り組んでいるようですが、それに関して、私に少し質問してきたのです。
そのやりとりはまた、私に生と死、そして愛について、新たなテーマをもたらしました。
自死の持つ新しい意味と言ってもいいでしょうか。
それにしても、天の意地悪さにはいつものことながら驚かされます。
今度は、何をさせるつもりでしょうか。
節子はまた加担しているのでしょうか。
いずれにしろ、現世を超えた大きな力が働いているような気がします。

それを感知したかのように、先ほど、東尋坊の茂さんから、ご自慢のお餅が届きました。
このお餅を食べてしまうとまた現世に引き戻されそうですが、ついつい食べてしまいました。
タブーを破って現世に戻れなかったイザナミを思い出します。

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2009/12/29

■節子への挽歌849:最近、涙したことはありますか

節子
今年もまた私は、たくさんの涙を流しました。
その多くは節子を思い出してのことですが、それだけではありません。
他者のために涙することも少なくありませんでした。
悲しくて涙が出るだけではありません。
感動して涙し、うれしくて涙し、涙に誘われて涙し、というように、涙はよく出るのです。

「笑いの効用」ということはよく言われますが、「涙の効用」もあります。
泣くことは癒しになるとか、泣くことで心身が清められるとか、いろいろ効用はあるようです。

みなさんは「笑うこと」と「泣くこと」とどちらが多いでしょうか。
私は節子のことでよく涙を出しますが、それでも笑うことの方が多いように思います。
しかし実際には「笑うこと」と「泣くこと」は同じことなのかもしれません。
いずれも「こころで生きている瞬間」だからです。
よく笑う人は、よく泣きます。
よく泣く人は、よく笑います。
節子も私も、よく笑いよく泣きました。
娘たちから笑われほど、私たちはよく泣きました。
節子がいなくなってからは、節子の分まで私は涙を出しました。

たくさんの涙を流した今年は、言い換えれば、たくさん笑った年でもあります。
しかし、笑いはなかなか文字にはなりません。
この挽歌にはどうも「笑っている私」よりも「泣いている私」が出てしまっていますが、私と会った人たちは、逆の印象を持つのではないかと思います。
笑いは外に向けて表現できますが、涙は内に向けての表現になりがちです。

節子がいなくなってから半年は、涙も笑いもあまり出ませんでした。
しかし、最近は涙も笑いもよく出ます。
節子がいなくても、節子と一緒に、泣き、笑うことができることをとてもうれしく思います。

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2009/12/28

■節子への挽歌848:「私は死ぬのをやめました」

ドキッとする文章に出会いました。
「私は死ぬのをやめました」
建築家の荒川修作さんが、もう50年前からよく言っている言葉だそうです。
そこに含まれているさまざまなメッセージにではなく、私は単にその言葉そのものにドキッとしました。

なぜドキッとしたのか。
それは、この言葉を節子が発していたような気がしたからです。
厳しい闘病生活のなかで、節子は2回、家族全員に向かって「もう逝きたい」というメッセージを出しました。
そのころは思うように話せずに、手元もノートにそう書いたのです。
みんなは、それは駄目だと元気づけたのですが、そのことがずっと心のどこかに引っかかっているのです。
しかし、節子はその後、そのメッセージを出すことはありませんでした。
闘病生活はますます厳しいものになっていったのですが。

後で考えると、節子はみんなに受け入れられなかったために、「死を超えた」のかもしれません。
「死後の生」を生きていたと言ってもいいでしょう。
そんな気がしていました。

「私は死ぬのをやめました」
この言葉に出会った時、なぜかすぐに節子のことを思い出しました。
そうか、節子はあの時、「死ぬのをやめた」のだと気づいたのです。
節子がいかに私たちを愛してくれていたか。
節子のやさしさが胸をしめつけます。
もちろん、節子は口に出してそういったわけではありません。
しかし、口に出さなくても伝わってくる言葉はあります。

死ぬのをやめた節子は、したがって、今も生きているわけです。
この言葉に出会ってから、いろいろと考えているのですが、どうも考えがまとまりません。
思いがうまく表現できないのです。

今日、見知らぬ人からメールが来ました。

私は今年の8月、愛する人を自死によって亡くしました
。その人のブログを読ませてもらいました。
もしかしたら、「私は死ぬのをやめました」ということは、「私は生きるのをやめました」と同じ言葉なのかもしれないと、ふと思いました。
前にも書いたような気がしますは、「生」と「死」は決して対語ではありません。
次元の違う言葉です。
そして、「愛」は、その「生」と「死」を超えているのかもしれません。
上記の2つの言葉には、いずれにも深い「愛」を感じます。

「私は死ぬのをやめました」と節子に言いたかったですが、節子に先を越されてしまいました。
それがちょっと無念です。
私が言うべき言葉でしたから。

この言葉を言い出した荒川さんの意図とは全く違う解釈になっていて、申し訳ありません。
でもこの言葉がとても気にいってしまいました。
「私は死ぬのをやめました」
世界が広がる言葉です。

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2009/12/27

■節子への挽歌847:風邪をひいてしまいました

節子
風邪をひいてしまいました。

昨日、家に着いたのは深夜過ぎで、日付が変わっていました。
休養のつもりが、逆に疲労を溜め込む旅になってしまいました。
1時過ぎに寝たのですが、3時ごろ悪寒が襲ってきました。
身体が止まらないほどの悪寒です。
いささか尋常でない寒さです。
電気毛布を最強にしたのですが、効果がありません。
この寒さはいったい何なのでしょうか。
寒いだけではありません。
身体全体に、じっとしていられないほどの奇妙な違和感があるのです。
それに気のせいか、身体温度がどんどん奪われているような状況で、手足が冷たくなっていきます。
パジャマの上にセーターとジャンパーを着込んで、毛布とは別に足元に電気アンカも入れましたが、その熱で辛うじて体温が保たれて一感じです。
家族旅行も終わったので、いよいよ節子からのお召しなのかもしれません。
いわゆる幽体離脱ほどではないのですが、丸まっている自分の姿が見えるような気までしまた。

節子がいたら、なにを大げさにと笑うでしょうが、身体各部が不整合になる状況が私にはとても辛いのです。
数年に1回、こういうことがあります。
普通はその予兆を感じて、予防策を取るのですが、今回はあまりにも急でした。

暗闇で2時間ほど、身体を丸めて震えていたでしょうか。
そのうちようやく眠ることができたようで、目が覚めたら7時過ぎでした。
結局、風邪だったようで、体温を図ったら37.4度でした。
まあ何と言うことはない風邪なのでしょうか。
中途半端な体温にがっかりです。
まあしかし、そんなわけで、今日は1日寝ていることにします。

蛇足です。
私は時々自分が人工機械ではないかと思うことがあります。
左の胸のところに電源があります。
時々、身体に漏電しているような振動を感じます。
昔は自分がホボーグではないかと思ったことがあります。
どうも私の脳は人間的視点から考えると欠陥が多すぎるからです。

サイボーグは脳だけが人間、ホボーグは身体が人間です。
もしそうであれば、節子の脳を私の脳に同居させることもできたかもしれません。
こうした話は、SF(空想科学小説)の世界の話ですが、技術的にはかなりそうしたことが可能になってきました。
手塚治虫の「火の鳥」には、そうした話がよく出てきます。

風邪の話から思わぬほうへ話題が飛んでしまいましたが、これも熱のせいかもしれません。
明日は3組の人が湯島に来ます。
休むわけには行きませんが、今の状態ではいささか辛いです。
さてどうしましょうか。
ホボーグではなくサイボーグであれば、具合の悪い不整合な部位を取り替えて出かけることができるのですが。

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2009/12/26

■節子への挽歌846:3日間の家族旅行は無事に終わりました

久しぶりに娘たちと3人いっしょの生活を3日続けました。
同行した節子もきっと満足したことでしょう。
みんな平和に過ごしましたし。
節子が一緒の旅行だと、3日もいれば夫婦げんかも起こるのですが、娘たちとはそこまで。行きません
意識的には私は同じなのですが、どうしても節子にはわがままが出てしまうのでしょう。

実は旅行前、みんなへとへと状況だったので、急速のための旅行というつもりだったのですが、安いツアーだったためか内容がびっしりでした。
それに面倒なので、オプションもみんないれてしまっていたのです。
毎日、結構、ハードでした。
私は旅行の記憶があまり残らないタイプなのですが。初めてのところかなと思っていたところも、あるシーンで突然に節子ときたことが会ったと思いますことが何回かありました。
結論的にはたぶん2か所を除き、節子ときたところをなぞっていた感じです。
それに一昨日見つけたハイビスカスやプルメリアの木は、いたるところに売っていました。
困ったものです。

この旅の間に、3人の口から何回も「節子だったら・・・だろうな」という言葉が何回も出ました。
節子だったら・・・だというのは、わが家でもよく出てくる言葉なのですが、わが家の家族の中で旅行が一番好きだったのは節子でした。
しかし、体調をくずして以来、節子は遠出の旅行をあまり企画しなくなりました。
それに娘たちが大きくなるに連れ、家族旅行よりも夫婦旅行が中心になりました。
そのうちに節子が発病、遠出の旅行は難しくなりました。
もっと家族で旅行に行っておけばよかったと思いますが、人生の先はなかなか見えてこないものです。

みんなくたくたに疲れましたが、それでもそれなりに充実した節子好みの旅行になりました。
いま那覇空港です。
何しろ安いツアーなので、出発が夜8時なのです。
自宅に着くのは深夜になりそうです。
この数日は時評もサボってしまいました。

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2009/12/25

■節子への挽歌845:娘たちがめずらしくお土産を買っています

沖縄旅行2日目です。
安いツアー旅行なので、お土産屋さんに良く立ち寄ります。
節子は旅行でお土産を買うのが好きでした。
娘たちからいつも冷やかされていました。
今回は、お土産買い好きの節子がいないので、お土産はそうは買わないだろうと思っていました。
ところがです。
思ってもいなかったのですが、娘たちが2人ともお土産を買いだしたのです。
あれほど批判的だったのに、節子と同じように、お店に寄るたびにお土産も買うのです。
おかげで大きなお土産袋までもらってしまいました。

まるで節子が乗り移っているようです。
変わっていないのは私だけです。
私はこれまでもお金も持たずに節子の決めた旅行にただ一緒についていっただけです。
さいふはすべて節子でした。
いまは娘が財布を持っていますので、相変わらず私は娘たちに養ってもらっている感じです。

節子のおかげで、私は本当にお金と無縁に暮らし続けてこれたような気がします。
ユカのおかげで、その生き方を続けられています。

今日は雨の中の沖縄でした。
節子がいなくなったためでしょうか。
いつも旅行は天気に恵まれていたのですが。

明日も沖縄です。

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2009/12/24

■節子への挽歌844:節子と一緒の沖縄旅行

娘たちと沖縄に来ています。
節子がいなくなってからはじめての旅行です。
節子と一緒に沖縄に来たのはいつごろだったでしょうか。
病気になる前ですから、もう10年近く前かもしれません。

急に決めたため、空きのあったツアーに申し込んだのですが、出発がクリスマスイブの日になってしまいました。

今日はひめゆりの塔などを回りましたが、どこもみんな節子と一緒に回ったところでした。
夕食はコースを離れて、みんなで国際通りに行くことにしました。
節子だったらそうするだろうというのが、みんなの合意です。
ホテルからタクシーに乗って、運転手さんにどこか沖縄の家庭料理的なものを食べられるところをとお願いしました。
沖縄の人らしく、いろいろと考えてくれた上、今日はイブなのでどこも混んでいるからといって、国際通りから少し離れたところに連れて行ってくれたのが、「ふみや」でした。
ところがお客さんは一人しかおらず、あまりに空いていたので、いささか心配になりましたが、沖縄の人らしい夫婦でやっているお店でした。
正直に言えば、やはりいささか味が特殊で私には不向きでした。
それでも残してはいけないと思いがんばって食べましたが、そのおかげでみんなおなかが苦しくなるほどでした、
節子はこうしたことが好きでしたので、まあ仕方がありません。

おなかを減らすために、そこから国際通りまで歩くことにしました。
国際通りでは、節子好みの横道に入りました。
ハイビスカスとプルメリアの挿し木を見つめました。
節子なら買うだろうということで買いました。

とまあ、そんなこんなで、節子も同行したような旅が始まりました。

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2009/12/23

■亀井静香さんのこと

亀井さんや小沢さんは、いかにも昔の政治家という感じのイメージが共通していますが、2人ともとても善人なのではないかなと言う気がします。
私はどちらかと言えば、亀井さんが好きなのですが、それは口調のせいかもしれません。
記者会見で、「政府ってだれのこと? 私が政府です」と言っていたのは、実に傑作でした。

私は小沢さんの政策は好きになれませんが、それはそれとして、その仕事ぶりには敬意をもっています。
私の考えには全く合いませんが、信念を感ずるからです。
小沢さんは国家を考えているように思います。

亀井さんが好きになったのは、10年近く前に出版された岩波新書の「ダムと日本」を読んでからです。
この本は公共事業、とりわけダムに対して厳しいチェック活動をしていた天野礼子さんが書いた本です。
この本がもう少したくさん読まれれば、日本のダム政策はもう少し早く変わったでしょう。
いまもなお毎年おそらく数千億円の税金が全く役に立たないダムのために使われているような自体は起こらなかったでしょう。
前原さんも、今のように苦労はしなかったはずです。

この本に亀井さんは登場し、天野さんとの関係が出てきます。
立場や意見は違っても、しっかりと意見を聞き、行動の材料にする。
それが亀井さんの信条のようです。
亀井さんは自分では「悪いのは顔だけ」と言っていますが、彼の目は社会をみているように思います。

今日、テレビで大塚耕平内閣府副大臣(郵政担当)が、亀井さんには問題の本質をしっかりと見えている、というような発言をしていたので、こんなことを思い出してしまいました。
それにしても昨今のニュースキャスターやコメンテーターは、もう少し問題を本質を考えて欲しいものです。

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■スリーA方式による認知症予防ゲームの講演会を東京で開催したい

昨日、自殺のない社会づくりネットワークの交流会を開催しました。
今年はこのネットワークの立ち上げにかなり時間を割いてきましたが、その始まりは1通のメールからでした。
東尋坊で自殺予防の活動をしている茂さんから1通のメールが届いたのです。
自分の活動を東尋坊だけにとどめることなく、日本全体で考える仕組みをつくりたい。
そして、自殺多発場所とされるところで防止活動をしている人たちのネットワークをつくりたい、自殺を考えた人たちの体験を交流しあい支え合う場を開きたい、自殺を思いとどまって自立に向かってがんばっている人たちを支える人たちのネットワークをつくりたい。
この3つが、茂さんの夢だというのです。
そのメールを読んで思いました。
夢は実現しなければいけない、と。
それで茂さんに「夢は実現しましょう」と連絡しました。

そのネットワークはようやく実現し、動き出しました。
コンセプトデザイナーとしての私の仕事は、かたちを作り出し、そこに「心」を入れることなのです。
昨日の交流会で、ネットワークに心が入って動き出したことを確信しました。
少しさびしい気もしますが、そろそろ私の役割は終わったのだろうと思います。

ところがまさにその翌日の今日、認知症予防ネットワークの高林さんという人がメールをくれました。
高林さんは、スリーA方式という認知症予防ゲームを広げることをライフワークにしています。
残念ながらスリーA方式はその道の権威には認められていないのですが、現場ではさまざまな効果を上げているそうです。
しかし、高林さんの尽力で最近少しずつ西日本では広がり出していますが、東日本ではほとんど知られてもいないのです。
その高林さんが昨夜見た夢は、東京で大きな講演会を開催している夢です。
昨年末と同じく、また「夢を見た人」からの夢の話です。
また「夢は実現しなければいけません」と返信してしまいました。

どなたか応援してくれませんか。
できれば春に高林さんを中心にした、スリーA方式による認知症予防ゲームに関するシンポジウムを開催したいと思います。
手伝って下さる人がいたらご連絡ください。
よろしくお願いいたします。

夢の実現に取り組んでいる人は応援しなければいけません。

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■節子への挽歌843:自立できない不甲斐なさ

節子
きみに相談したいことが山のようにあります。
それができないために、滞っていることが少なくありません。
沖縄の基地をどうするかとか、地球温暖化の対策をどうするかとか、そんな私にとっては「遠い向こう」の問題ではありません。
もっと身近な問題です。
まあ社会一般には「瑣末」な問題なのですが、私にとっては地球温暖化よりもはるかに重要な問題です。

最近、いろいろと身体的な障害が出てきています。
どうしたらいいか。
医者に行けばいいだけですが、医者嫌いな(単に待ち時間が嫌いなだけですが)私としては、節子の一押しがなければ行けません。
それに節子がいないいま、健康であることの意味があまり実感できません。
病気になった友人がいる、どうしたらいいでしょうか。
相手が男性であればそれなりに対処できますが、女性だったらどうしたらいいかわかりません。
毎日、気になりながら時間がたちます。
お世話になった人がいます。
何を贈ればいいでしょうか。
いや贈ることは失礼かもしれない。
贈ってしまうと倍のものが返ってきてしまう。
優柔不断な私は困ってしまうわけです。
そしてだらだらと時間がすぎます。

私の会社の経営や仕事に関する判断であれば、即座にできます。
論理で決められるからです。
しかし生活に関わることは、論理より情感の世界です。
これまでは、その種のことは、すべて節子に任せていたので決められないのです。
節子がいた頃は、「○○しといてよ」といえば、すべて終わっていたのです。
節子が考え相談してくれたのです。
私は「それでいいんじゃないの」と答えれば、すべて終わっていたのです。
それがそうはならなくなってきた。
いまさらながら、自分が生活において自立していないことがよくわかります。

修も自立しなければと、節子はよく言っていましたが、そもそも私には自立する気はありませんでした。
夫婦とは、それぞれが自立するのではなく支え合う存在ではないか、と思っていたのです。

そのくせ、仕事などになると。「コンヴィヴィアリティ」などと難しい言葉を出して、共生や支え合うためには、それぞれが自立しないといけないなどと言っていたのです。
コンヴィヴィアリティ。「自立共生」という意味の、イヴァン・イリイチの用語です。
知行合一を信条としているくせに、これまた矛盾です。
困ったものです。

さて積み残している懸案事項をどうするべきか。
もう数日延ばしましょう。
今日はとても良い天気ですから、悩むには相応しくありませんから。

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2009/12/22

■節子への挽歌842:節子がいない不安さ

節子
ジュンの結婚相手の両親に会いに行ってきました。
こういうのが私は一番不得手です。
節子がいたらすべて節子の指導の元に行えるのですが、これからは私が考えなければいけません。
なにやら心許ない気がします。

私たちよりも少し年上ですが、とてもカジュアルでゆったりと生きている感じです。
どこかで私たちと通ずるところがあります。
節子がいたらきっと気が合ったでしょう。
返す返すも残念で仕方がありません。

たまたま結婚相手の姓が私たちと同じ「佐藤」ですので、ジュンの姓は変わりません。
新居はわが家のすぐ近くです。
先日、荷物を運ぶのを手伝いがてら、見てきましたが、明るくていいところです。
窓から富士山も見えるのです。
私たちの新婚当時に比べれば恵まれています。
テレビもありますし。

年内にはジュンは出ていきます。
ちょっと寂しくなりますが、節子がいなくなった寂しさに比べたら、どうということでもありません。
節子がいなくなった後は、どんな寂しさにも耐えられます。
いや、寂しさすらも感じなくなっているような気もします。

相手のご夫妻と話しているとやはり節子を思い出します。
やはりここにいるべきは私ではなく、節子ではないかと思えてなりません。
節子
きみがいなくて、とても残念です。
喜びをどうも実感できないのです。
これからどうやって付き合っていけばいいか、ちょっと不安です。

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2009/12/21

■地球温暖化問題への不謹慎な意見

地球温暖化の問題がどんな意味を持っているのか、私にはどうも理解できずにいます。
コペンハーゲンのやりとりの報道を見ていると、要するに損得の話であって、誰も本気で心配していないのではないかという気もします。
損得の話には、私は興味がありません。

そういえば、「地球温暖化論に騙されるな!」という本も講談社から出版されています。
すでに温暖化の時代は終わり、地球は寒冷化の時代に入ったというのです。
その本によると、2007年1月と2008年1月の平均気温を比較すると0.6度も下がっているというのです。
私はまだその本を読んではいませんが、その本は、だから大丈夫だなどとはいっていないようです。
問題は地球の水と空気の汚染です。
本来自然には存在しないはずの人口的な物質が毎年6000種類のペースで増えているのだそうです。
恐ろしい話です。

私には温暖化よりもそのほうがリアリティを感じます。
温暖化は、暖かくなっていいなと思う程度なのです。
見識のある人たちからは嘲笑されそうですが、それが私の実感です。

環境負荷を少なくすることには異論があるわけではありません。
しかし環境問題を口実に、企業も政治も環境負荷を高めているようにしか、私には思えません。
環境問題を論じている人で、本気で行動している人にはめったに出会えません。
難しい議論をする前に生活を見直すだけでかなりのことはできるのです。
自民党政府が始め、民主党政府までもが継承したエコポイントなどは愚の骨頂というか、環境負荷を高めるだけのものでしょう。
しかも仕組みが環境負荷を高めるようになっています。
目的は産業活性化なのですから当然の話です。

言説の時代の問題は、物事が大げさになることです。
それを否定はしませんが、それでは問題は解決しないというのが私の基本姿勢です。
たとえば自殺者を減らすためには自殺問題解決に取り組んでもだめでしょう。
介護保険制度をつくれば要介護者が減るわけではありません。
子ども手当てを増額すれば子どもが増えるわけでもないでしょう。
持続可能な経済を考えようとすれば、ますます持続可能性を損なうことにもなりかねない。
そんな気がしてなりません。

ではどうするか。
自らの生き方を変えることです。
まずは自分自身の生き方を変えていく。
それがすべての出発点です。

アメリカの森林管理官だったA.レオポルドは、人間と自然とを分けて考えるのではなく、ある土地に生きる人間と自然の関係全体を「生命共同体」と捉えて考えようと提案しました。
キリスト教の国からこういう発想が出てくるのはすごいと思いますが、これが日本人の昔からの生き方だったのではないかと思います。
私にはなかなかそういう生き方はできませんが、せめて意識だけはそうしようと心がけています。
そのためにも、自分で実感できない言説にはあまり振り回されないようにしています。
温暖化にしろ寒冷化にしろ、私の手には負えません。
できるのは極力無駄な電気を使わず、お金を使わず、食材を大事にすることです。
それなら私にも、それなりにできますから。

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■節子への挽歌841:使われることのなかった竹筆

一昨日、テレビでジミー大西がアフリカのポップアート、ティンガティンガを学びにいったドキュメント番組をやっていました。
ジミー大西の絵は心をわくわくさせるだけでなく、次元を超えた深みを感じます。
絵自体はとても単調で平板に見えるのですが、次元のない多次元を感ずるのです。
番組そのものは私好みではなかったのですが、登場する現地の人たちの明るさの魅力もあって、何となく見てしまいました。
それはまあ、それだけの話なのですが。

昨日、部屋の掃除をしたことを書きましたが、一本の竹筆が出てきました。
まだ使われていない竹筆です。
節子のものです。
使われることのなかった竹筆。
節子がこれを購入したのは、2006年6月2日です。
節子の運転で真鶴まで小旅行した時に買ったものです。
その時の経緯は、私のホームページの週間報告に書かれています。
その時のことを思うとあまりにたくさんのことが思い出され、また感傷の世界に引き込まれそうなので、記憶を封印しなければいけません。

見つかった竹筆は、その時出会った竹筆書芸の望月一幸さんから購入したものです。
竹の根を鉛筆のように削った筆で、墨をつけて書くのです。
それを「筆」といっていいのか気になりますが、望月さんは目の前で見事な「筆づかい」を見せてくれたのです。

節子は、しかし、その竹筆を一度も使おうとしませんでした。
新しいことにいつも前向きで、すぐに挑戦した節子にしてはめずらしいことです。
がんの再発が確認されたのは、それから3か月以上たってからです。
いままで気がつきませんでしたが、考えるほどに不思議です。
あんなに楽しそうに竹筆を選んでいたのに。

だんだんまた当日のことを思い出してきそうです。
これ以上書けそうもありません。
節子はほんとうに「罪つくり」の人です。
いなくなるのなら、全部持っていけ、といいたいです。

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2009/12/20

■「介入」という言葉の語感

私は思い込みが強いために、よく失敗をしているのですが、つい最近の「失敗」の事例です。

ホームページには書いたのですが、先週、介護予防に関するある小さな委員会がありました。
私も場違いながら、その委員になったのですが、事務局の説明を聞いていて引っかかった言葉がありました。
その言葉は「地域介入」という言葉です。
介護予防プログラムが効果的に展開知るために、地域に介入するというような表現で話されました。
ドキッとしました。
まさに「生政治」の恐ろしさを感じてしまったわけですが、あまりにそのインパクトが強かったため、介入って凄い言葉ですね、というようなことを言ってしまいました。
みんなきょとんとしていたのにさらに違和感を持ってしまい、こうした用語に研究の姿勢が出ていますね、などと少し感情的な発言をしてしまったのです。
私以外は専門家なのですが、そのお一人が「インターベンション」の訳語ですよ、と教えてくれました。
インターベンション。確かに私がささやかに関わっている自殺対策でも「危機介入」と訳されて使われています。

しかしどうもすっきりしません。
介入という言葉には植民地主義を感じさせます。
私が会った福祉の専門家は、ほぼ例外なく、目線が高かったのですが、まさに介入も目線の高さを感じます。
辞書的にいえば、文字の形が示しているように、間に入ることなのでしょう。
しかし、私にはなぜか権力のにおいを感じます。
過剰反応かもしれません。

私が保育の世界に関わりだした時に驚いたのは「措置」という言葉でした。
保育に欠ける子どもを措置するなどと語っている保育者にあうと、それだけでもその人を信頼できなくなりました。
しかし、驚くべきことにみんな「措置」というのです。
その後、社会福祉の基本構造が法的には変わり、措置から契約に変わりましたが、今もって福祉の世界は「措置」の世界です。
最近、介護保険関係の研究会にも参加させてもらったのですが、形式はともかく実態は措置の世界です。

言葉は人の意識を規定していきます。
私は自らが使う言葉にはかなりこだわりを持っています。
「措置」に関しては、多くの人が否定的に捉え、最近はあまり使われませんが、「介入」はどうでしょうか。
権力や差別を感ずるのは私だけでしょうか。
ちなみにインターベンションには、調停とか仲裁とかいう訳語も当てられています。
そこには垂直構造ではない水平構造の感じがします。

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■節子への挽歌840:掃除嫌いのわけ

節子
今日はとても暖かい青空です。
大掃除日和だと思い、私の部屋の掃除を始めました。
節子がいなくなってから、以前にも増して掃除をしなくなりました。
掃除は、何がしかの「過去」を捨てることですから。
しかし、私も思い切って捨てることを始めなければいけません。
残していくことは誰かの迷惑になりかねませんから。

掃除のもう一つの問題は、「過去」を思い出すことです。
ちょっとした「モノ」に、節子が見えてしまうこともあるわけです。
40年も生活を共にしていると、至るところに節子の痕跡が残っているのです。
その痕跡に出会うと掃除は一瞬止まってしまいます。

掃除には深い意味があるといわれています。
私もそれにとても共感しています。
私が子どもの頃は学校で掃除をよくさせられました。
会社に入っても、職場の掃除は自分たちでやっていました。
しかしいつの頃から、掃除は外部の業者がやるようになってきました。
学校は今どうなっているか知りませんが、一時期、やはり業者がやりだしました。
それではきっと社会はおかしくなると、当時から掃除嫌いの私でさえ思い、どこかに投書した記憶があります。
しかし生活の場の掃除までもが企業のビジネスになりました。
そんな社会がまともであり続けるわけはありません。

イエローハットの鍵山さんが「日本を美しくする会」を始める、そのもっと以前に、友人から声をかけられて同じ名前の会をつくりました。
続きませんでしたが、その後、鍵山さんと出会い、鍵山さんと一緒に箱根湯本の公衆トイレの掃除をやりました。
それを契機に、わが家のトイレ掃除は私がやると宣言しました。
節子も参加していたオープンサロンで公言したのですが、みんなから続くかなといわれました。
節子は黙って微笑んでいましたが、案の定、1年で挫折しました。
掃除にまつわる思い出もいろいろとあります。

掃除は自らの生き方を問い直すことだと、鍵山さんと話していて思ったことがあります。
そんなことを思い出しながら、掃除をしています。
いまはちょっと息抜きです。

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2009/12/19

■現状を批判しても、未来を語る人は少ない

鳩山首相の評判はかなり悪いようです。
指導力がない、説明能力がない、母からもらった小遣いの管理もできていないのに国家財政を管理できるのか、お人好しで人の意見を聞きすぎる、小沢さんに頭が上がらない、マニフェストに縛られすぎだ、まもなく小沢さんに切られるだろう、・・・・

まあそのほとんどは否定できないのもまた事実です。
しかし、そうした世論を作ってきたのはマスコミです。

マニフェストとちょっとでも違うことを言うとマスコミが批判し、それに乗じて世論も騒ぎ、
マニフェストを守ろうとするとまたマスコミに叩かれ、それに乗じた世論が騒ぐ。
マスコミも国民の多くも偏差値教育のせいか、理解力が極端に乏しくなっていますから、融通とか言葉の多義性とかは全く通用しませんし、価値の大小を判断する視点もありません。
前にも書きましたが、そうしたなかで一部の政治家はよくやっています。
おそらく自民党議員が政治よりも金儲けになったのは、そうした状況に嫌気がさしたからではないかという気もします。
民主党議員はまだ少しは政治をやろうとしているように思います。
無責任なマスコミや国民のためにがんばっている政治家には頭が下がります。

昨日、20代の若者がやってきました。
オマーンに行った時、現地の若者たちが目を輝かせて、未来を語っていたのに感動した話をしてくれました。
日本の若者とはまったく違うというのです。
その違いは、たぶん若者の違いではなく、私たち大人の違いなのでしょう。
いま私たちは思いを持って未来を語っているでしょうか。
現状を批判しても、未来を語る人は少ないです。

未来は見通すものではありません。
自分で創るものです。
しかし、未来を語る人が少なくなりました。
みなさんはどうでしょうか。
自分が目指す未来をイメージしているでしょうか。
私はそれなりにイメージし、この50年、それを基軸に生きてきました。
小さなところでは変化はしましたが、大きなビジョンは高校生以来変わっていません。

現状を批判するためにも、未来を語るビジョンがなければいけません。
未来ビジョンのない現状批判などあるはずがないからです。
私が鳩山さんを信頼するのは、鳩山さんには未来のビジョンを感ずるからです。
みんなから嫌われている小沢さんにも、未来のビジョンを感じます。
私が信頼できる人は、共感できるかどうかは別にして、未来を語っている人です。
現在を語るのであれば、私にも語れますから。

鳩山いじめをする社会が、とてもさびしいです。

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■節子への挽歌839:オリオン

節子
昨夜は帰宅が少し遅くなったのですが、駅から自宅までに間、星に見とれながら歩いていました。
私は視力があまりよくないのですが、オリオン座がきれいに見えました。
しかしいくら想像力をたくましくしても、決して、狩人オリオンの姿は見えてはきません。
古代ギリシア人はどうして夜空に具体的な物語を見つけられたのだろうかというのは、子どもの頃からの疑問でした。
昔はもっと星がよく見えたたからだという説明は、私には説得力をもちません。

もし夜空が地上での私たちの世界の鏡であるとすれば、世界から物語がなくなったからではないかと思います。
世界の物語はいまや退屈なものになってしまいました。
内山節さんが言うように、私たちはキツネとさえ話せなくなってしまったのです。
ましてや草花や山や川とはもっと話せなくなってしまっているでしょう。
もちろん霊魂や、過去や未来の人たちとも話せません。
そこに生まれるのは退屈な小さな物語です。
広大で深遠な夜空の舞台は必要ないでしょうし、その舞台を仰ぎ見るたくさんの人たちをつなげる話は望みうべきもないのです。

こんな話は挽歌にはふさわしくないですね。

オリオンは一般にはさそりに刺されて死んだといわれていますが、恋人のアルテミスに射られたという話もあります。
それを誘ったのはアルテミスの兄のアポロンだったともいわれます。
家族と恋人、古い家族と新しい家族。
これは時に悩ましい問題にさえなってしまいます。

私たちはその点では全く同じ家族観を持っていました。
一緒に暮らしだした、その瞬間から、新しい家族を創りだすという生き方です。
相談したわけではなく、それは私たちにとっては当然のことでした。
私たちはすべてゼロからはじめました。
頼るのは伴侶だけ。
どんなことがあっても、両親や家族には弱音をはかない。
それが私たちの起点でした。

私が嫉妬を感ずることがあるとすれば、節子の男友だちなどではなく、家族でした。
節子は、私もそうでしたが、家族をとても愛していました。
長年培ってきた家族への愛は、新しくできた伴侶との愛よりも深いものです。
しかし結婚するとは、その関係を超える愛がなければいけないと思っていました。
であればこそ、私は節子の愛を独占したかったわけです。
今から思えば、なんと勝手な話でしょうか。
しかし、私たちは不思議にも、お互いに自然とそれができたように思います。
夫婦の愛を基本にして、それぞれの両親家族への愛を再構築できたのです。

こういう書き方をすると、なんだかいやに理屈っぽいのですが、要するにそのおかげで、私たちには嫁姑関係はもとより、親戚付合いでの意見の食い違いはまったくなかったのです。
ですから、アポロンにそそのかされることもなく、節子は私を愛し、私は節子を愛することができたのです。

むりやりオリオンの話を広げてしまいました。
素直に言えば、昨日、夜道を歩きながら、このきれいな夜空を節子にも見せたいなと思っただけなのです。
長々とすみません。

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■「会話のない社会」と土浦連続殺傷事件

土浦連続殺傷事件で水戸地裁は26歳の被告に死刑判決を下しました。
その事件で息子を失った被害者家族の方が、「本音を言うとね、彼がかわいそうな気もしたんだよ」と事前の取材で語っていたと昨日の朝日新聞に報道されていました。
彼とはもちろん被告のことです。
被告が「会話のない家庭」で育った生い立ちに同情することもあったというのです。

「会話のない家庭」。
そういえば、秋葉原事件の被告は「会話のない職場」で孤立していたのかもしれません。
いまはまさに情報や言葉はあふれていますが、「会話のない社会」になってきているのかもしれません。
みなさんの周りはどうでしょうか。
会話があふれているでしょうか。

私のオフィスではよくサロンをやっています。
そこに参加した人が時々、安心して本音で話ができて居心地がよかった、というようなことをいいます。
ということは、そういう場がいまは少なくなっているのかなと思います。
私のような歳になると、どこでも本音でわがままに話せますが、それが一般的ではないのかもしれません。

私の知人が「対話法」を独自に開発し、それを広げる活動をしています。
私も以前「対話の時代」という連載記事を雑誌に寄稿していましたが、いまは「対話」よりも「会話」が大事ではないかと思っています。
しかし、会話以前に「対話」すらできなくなっているとしたら、こうした事件はこれからも起こりそうです。

「本音を言うとね、彼がかわいそうな気もしたんだよ」。
その気持ちはとてもよくわかります。
この事件意外でも、そう思うことが私も時々あります。

ではどうしたらいいか。
会話のない社会を変えていくことが大事です。
私が取り組んできた「自殺のない社会づくりネットワーク」というのがあります。
いま少し関わりだしている子育て支援の活動があります。
信濃川に鮭を遡上させるプロジェクトがあります。
そうした活動に関わっていて、改めて感ずるのは「話し合い」「会話」の不足です。
根底にあるのは「会話のない社会」です。
それを変えていけたら、解決する問題はたくさんあります。
そうであれば、変えなければいけません。
それは簡単なことです。
会話をはじめましょう。
まずは家族、そして隣人、さらには仕事仲間。
表情のある会話を取り戻しましょう。
一人でもできることはたくさんあります。
だれかに同情しなくてもいい社会を目指したいです。

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2009/12/18

■節子への挽歌838:花かご会のみなさんがお墓参りまでしてくれました

節子
昨日、自宅に花かご会の人たちが来てくれました。
私はオフィスに出かけていたため会えませんでしたが、節子はみんなと会ったことでしょう。
わが家に来てくれた後、みなさんはお墓まで行ってくれたそうです。
節子はほんとうにいい仲間に恵まれました。

節子が花かご会を呼びかけたのは、こちらに転居してきてからですから、病気になる1~2年前ではないかと思います。
つまり、節子がみんなと一緒にがんばったのはそう長い時間ではないはずです。
しかもみんな、この活動を通じて初めて出会った人たちです。
病気になってからも、少し回復した時期には活動に参加していましたが、それも2年ほどでしょうか。
にもかかわらずみんな節子のことをほんとうに気遣ってくれましたし、節子がいなくなった後も、命日には必ずお花を届けてくれますし、お参りにも来てくれます。
そして少し離れたところにあるお墓にまで行ってくれるのです。

人のつながりとは不思議なものです。
長い時間付き合っていたにもかかわらず、突然に疎遠になり、関係が消えてしまうこともあります。
そうかと思えば、ほんの15分の立ち話しかしなかった人と心が通じ合うこともあるのです。

女性はみんなそうなのかもしれませんが、節子は気持ちの合う人を瞬時に見分けていたような気がします。
「見分ける」というのは正確ではないのですが、私と違って誰とでも付き合うわけではなく、しかし自分の世界の人とはすぐに仲間になる人でした。
まあ、娘たちが言うように、節子は「天然」で素直で、嘘が言えない人でしたから、付き合う相手も自然と決まっていたのでしょう。
節子と同じセンスをもった人たちです。

私がその一人に選ばれたことはとても光栄です。
節子は私を理解してくれていたわけです。
おかしな表現ですが、私はそれを誇りに思っているのです。
小賢しい理屈が大好きで、そういう世界に引かれがちな私が、辛うじて現場(真実)につながる生き方ができているのは、節子が伴侶だったおかげです。

もっとも節子は、私の理屈好きと小賢しさ、もっと悪く言えばずるさを知っていました。
修の賢いところは好きではないといわれたことがあります。
念のためにいえば、節子は当初は私の賢さに惚れていたのですが。
まあ、このあたりがややこしいところです。
賢さと愚かさは、コインの裏表なのです。
宮沢賢治はそのことを知っていたでしょうが、節子もたぶんそのことを感じていたのだろうと思います。

こう書いてくると、節子の友だちは賢くない人と言っているように受け取られそうですが、誤解のありませんように。
ほんとうの賢さは人柄に現れるといいたかったのです。
いやこれでもまた誤解されそうですね。
しかし少なくとも節子は「賢くない賢さ」を持っていたような気がします。
ますますややこしいですね。
すみません。

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2009/12/17

■半農生活と農的生き方

昨日、半農生活をテーマにしたサロンを開催しました。
20人ほどの人が集まりました。
農業への関心の高さを改めて感じました。

一昨日、NHKのクローズアップ現代で「農業ビジネス」が取り上げられていました。
イオンが茨城県に農園をつくったとか、自治体が地域活性化のために企業を誘致して農業に取り組んでもらうというのがテーマでした。
いわゆる儲かる農業、アグリビジネスです。
これに関する私の意見は前にも書きましたが、儲かる農業という発想自体に限界を感じます。

番組では牛久市の市長が、もう10年もしたら農業をやる人はいなくなるといっていました。
以前からずっと言われ続けている警告です。
だから企業に農業の担い手になってもらうということでしょうか。
それこそ農業をなくすことではないかと私は思います。
農業は決して「産業」ではないのです。
文化です。
その文化がなくなるはずはありません。

業は「農」と「業」のどちらに重点を置くかで全く違ったものになります
業としての農業ではなく、農としての農業は、人間がいる限りなくなくなりはしないでしょう。

昨日のサロンは実にさまざまな人たちが集まりました。
小作料を増やしたい、相続した農地を有効活用したい、農業分野で起業した人を応援したい、企業の社会貢献活動として農業にかかわりたい、地域史の研究の関係で農業を学びたい、職位句を考えるためにも農業を知りたい、まちづくりの切り口に農業を活かしたい、などなど実にさまざまな動機で集まっています。
実際に農業活動をして、その魅力に取り付かれた人も少なくありませんでした。

思いや動機はさまざまですが、話を聴いていて、基本的なところでは通底していることを感じます。
みんないまの生き方を変えたいのです。

ここが重要なポイントです。
業としての農業を考えていては、それは実現しません。
発想の基点を変えなければいけません。
そして発想の基点を変えれば、別に農業をしなくてもいいのです。
大切なのは、農的生き方ということです。
そこをあいまいなままにした「農業ブーム」は百害あって一利なしです。
この私の考えが間違っていればいいのですが、

私の今の生き方は、かなり「農的生き方」なのですが、なかなかみんなにはわかってもらえません。

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■節子への挽歌837:不幸のなかにも幸せはあるか

昨日、最後に書いた一文が気に入りました。
「不幸のなかにも幸せはある」
今日はこれについて書くことにしようと思っていましたが、書けなくなりました。

昨夜は帰宅が遅かったのですが、メールを開いたら友人から衝撃的なメールが入っていました。
がんが見つかり入院していたというメールです。
最近、その人の写真を新聞で見て、ますます活躍しているなとうれしく思っていました。
節子にも報告しました。
節子もとても親しみを感じていた人でした。
節子がいたらどんなに喜ぶだろうと思いながら、節子に報告したのがつい2週間ほど前です。
年末には一度声をかけようと思っていた矢先のメールです。

彼女は意志の強い人ですので、状況を乗り切れるでしょうが、いまはどんな言葉も通じないでしょう。
節子がいたら、どういうでしょうか。
彼女なら大丈夫というでしょうか。

突然の不幸の到来。
そのなかには「幸せ」などあろうはずもありません。
ただただ「不幸一色」。
頭で考えることと現実とは、かくも大きく違うのです。
節子にがんが見つかった時に、誰かが「不幸のなかに幸せがある」などといったら、たぶん私はその人とは二度と付き合いたくないと思ったでしょう。
事実、それに類したことがあって、私はその後会えなくなった人がいます。

しかし、不幸な出来事が不幸だけだとしたら、それこそ救いがありません。
節子はどうだったのか。
手術をした後の節子のことを思い出します。
節子の不幸に、私は少しでも「幸せ」を与えられただろうか。
もしそれができたのであれば、メールを送ってくれた彼女にも何かできることがあるかもしれません。
しかし、その答が見えてきません。

節子
教えてくれませんか。
あなたが期待していたKさんです。
早く克服して、また仕事を始めてほしいです。
神の試練は、本当に不条理です。

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2009/12/16

■節子への挽歌836:私たちが結婚したころのこと

昨日、娘の結婚のことを書きましたが、私たちの結婚ととてもよく似ています。
娘たちにきちんと話したことはありませんので、結果としての一致です。

私たちはたぶん年末に同棲しはじめました。
単に一緒に生活を始めたという意味です。
年末にそれぞれの親元に戻り、結婚の了解をとることにしていました。
それまでにある程度の話はしていたような気がしますが。
必ずしも積極的な賛成が得られず、しかし反対してもどうにもならないということで、幸いに勘当されることもなく事実として了承されました。
それで入籍したのです。
残念ながら元日には間に合わずに、まあ切りのよさで1月11日にしようと決めました。
11日に届けに行ったかどうかもわかりませんが、その頃の私は制度や届出なんてどうでもいいという考えでしたので、たぶん節子に一任していたはずです。
私は若い頃は、いま以上に世間に背を向け、世間的ルールに反発していました。
節子が、それに気づいたのは、たぶん結婚してかなりたってからだと思います。
しかし、節子もどちらかといえば、私に似たところがありました。
世間体を気にするようで、気にしないタイプでした。
どこかで心が通じ合うところがあったのです。
節子と話していると、とても居心地がよかったのはそのためです。

最初の新居は6畳と2畳と狭い台所だけでした。
いつか書きましたが、「神田川」の世界でした。
そこで4か月ほど暮らしましたが、入籍後しばらくして、会社の社宅に転居しました。
しかしそこも3か月ほどしか住みませんでした。
東京に転勤になったのです。

結婚した当時、私は8万円の貯金しかありませんでした。
旅行費用と1万円の結婚指輪、借家の賃料など払ったらもう残りません。
テレビも変えませんでした。
親からは一切の支援を拒否しました。
結局、私の数倍の貯金を持っていた節子のおかげで生活が持続できました。
その頃から、金銭面のことはすべて節子にお任せの原型が出来上がったのです。
節子の金銭感覚は、おそらく私よりもおかしかったですが、それはお金なしで家計を始めたせいかもしれません。
お金がなくてもどうにかなるという、いささか現実的ではない生き方が始まったのです。

娘たちの話も、私たちととてもよく似ています。
娘とはいえ、私のことではないので書くのはやめますが、彼らも世間体や社会的な常識にこだわることなく、自分たちの生活を始めようとしています。
結婚式もしませんし、特別の新婚旅行もないそうです。

娘にきちんとした結婚式をさせたいと思うのが多くの親の気持ちなのかもしれませんが、どうも私にはその気持ちが弱いのです。
やはり私は親としてはいささか適格性を欠いているのかもしれません。
娘の幸せを願う気持ちは、だれにも負けないと思う一方で、幸せはそれぞれによって違うものだという思いもとても強いのです。
人によっては、一見、不幸そうに見えることさえ幸せなこともあることを知っているからかもしれません。

娘の結婚に思うことは山のようにあります。
私たちがそうであったように、ともかく自分たちの物語を創りだしていくことが人生の最大の幸せだとしたら、幸せと不幸とは決して対立しないのです。
不幸のなかにも幸せはあるのです。

節子がいなくなっても、私たちの物語はまだ終わっていません。

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2009/12/15

■節子への挽歌835:ジュンの伴侶が決まりました

節子
今日は、とてもうれしい、しかしとてもさびしい日でした。
ジュンと結婚する相手が正式に挨拶にきたのです。
まあこれまでも何回も会っていますが、最終的に結婚を決めたというのです。
その青年(峰行さんといいます)は、柏でイタリアンのレストランをやっています。
といっても、どちらかといえば、趣味でレストランをやっているような好青年です。
経済的にはたぶんジュンは苦労するでしょう。

しかし、もともとわが家はお金とはあまり縁のない家庭です。
節子と私の文化は、お金からどれだけ自由になれるかでした。
手元にあるお金で生活するという生き方、それが私たちの基本でした。
娘たちは、子どもの頃、お小遣いが少なくて苦労したという話を後で聞きました。
子どもにお金はいらないだろうというのが私たちの考えでしたが、どうも世間は必ずしもそうではなかったようです。
娘たちは、わが家は貧乏なのだと子供心に思っていたそうです。
そのことを知って反省しましたが、そのおかげで娘たちもお金に無頓着な生き方になりました。

ジュンもまたお金がなくても豊かに生きている術を身につけました。
しかし、私の場合は、それでもそれなりに豊かな時代にすんでいましたから、何とかなりましたが、いまの社会の状況はかなり違います。
お金なしに生きていくのは難しいかもしれません。
それにレストランで生計を立てるのは、そう簡単でないことは私もよく知っています。
働く時間帯も、会社に勤めている人とは違います。
ジュンは、子どもの頃以上に経済的には苦労するかもしれません。
親としては、悩まないわけではありません。
しかし、もしかしたら、苦労するのはジュンではなく彼かもしれません。
なにしろジュンは「しっかり者」で、いささか個性的ですのですので。
人柄は、私に似ていますので、良いともいえますし、悪いともいえます。
節子と同じ苦労を、彼はさせられるかもしれません。

彼は私以上に、「天然」で楽観的なのです。
しかも、ジュンにいわせれば、私と違ってとてもやさしくて、決して怒らないのだそうです。
節子はきっと気にいったでしょう。
節子も天然でトンチンカンだったから、賛成したはずだとジュンも言います。
伴侶に大切なのは、お金よりも人柄です。
人柄で生活を守れるかと言われたら、いささか悩むところですが、もしかしたら彼のレストランが大流行するかもしれません。
なにしろすでに5年以上、いまのレストランを自分で経営し、固定客も少なくないようです。

ともかくジュンは結婚を決めました。
そしてなんと年が明けた元日の朝に入籍するのだそうです。
なんだか私たちと同じです。
節子がいたら、その類似に、どんなに笑い転げて喜ぶことか。
節子がとなりにいないのは、とてもさびしく辛いです。
娘が結婚することのさびしさは、まったくといってほどないのですが、一緒に喜ぶはずの節子がいないことがとてもさびしいです。

なんだか節子と一緒に、新居を持った頃のことが思い出されて、うれしさとさびしさが同居しています。
でもまあ、節子、ちょっと安心してください。
私ほどではないでしょうが、良い人です。
ジュンに言わせれば、私よりもずっと良い人です。

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■手続き論より実質的な意味が大事でしょう

中国の習近平中国国家副主席と天皇との会見に関して、小沢民主党幹事長と宮内庁長官とのやりとりが話題になっています。
この大変な時期に、そんなことは瑣末な話だと思うのですが、天皇を利用してきた宮内庁の官僚たちには保身上、重要な問題なのでしょう。
宮内庁などは、その存在そのものが全く時代錯誤の無駄の典型だと思いますが、無駄な人ほど自らの正当化を主張したくて手続きや制度に依存することになります。
彼らにとって大切なのは、「価値」ではなくて「手続き」なのです。
それしか拠り所がないのですから。
しかし、大切なのは、その会見が私たち国民にとって価値のあることかどうかです。
そういうことを議論しているのは、民主党だけでしょう。
読売新聞を筆頭にして、ほとんどのマスコミはそんなことなどどうでもよく、ともかくかつての利権構造の回復に向けて世論をあおっているだけのように思います。
最近のマスコミは、せっかくのスキームチェンジの芽をつぶす役目しか果たしていません。

いささか品格のない書き方になりましたが、「国家の品格」の著者の藤原さんのこの件に関する発言に比べたら、まあ許されるでしょう。
藤原さんのような人と比べられたくはありませんが。

羽毛田長官の発言には、事業仕分けで本性を見せた女性教育会館の理事長を思い出します。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2009/11/post-2e0f.html
自分の仕事の相対化が出来ていない、最悪の官僚です。
そういう人たちに私の税金が使われていると思うとやり切れません。
彼らは「ミッション」などどうでもいいのであって、ともかく「保身」にしか関心はないのかもしれません。
念のためにいえば、その「保身」とは「個人の保身」ではありません。
そこにややこしさがあります。
「体制の保身」です。
貧しい人たちの汗の上に、安楽な暮らしの出来る人たちを守る体制です。
つまり自らを安楽に暮らせる体制を維持したいということです。
個人の保身よりも悪質です。
何しろ自分では汗をかかないのですから。
またいささか過激になりました。

自殺しか選択肢がないと思う人が増えています。
昨日も就職活動をしている大学生に会いましたが、30代の若者たちの仕事環境のきびしさも一向に改善されません。
中小企業の経営の厳しさの話も聞こえてきます。
これまでの蓄積で楽をしている高齢者は少なくありませんが、そうでない高齢者の不安も高まっています。

そうした社会にしてしまった官僚と政治家と財界人の責任は大きいです。
科学者の責任も例外ではないでしょう。
予算が削減されたぐらいで文句を言う前に、自らの責務をもっときちんと果たせといいたいです。
あてがわれた税金を当てにする前に、自分たちでしっかりと基金活動でもすればいいのですが、日本の科学者はそんなことは全くしません。
ただ税金に期待するだけです。

まただんだん怒りがこみ上げてきました。
最近、すべての人に腹が立つのです。
もちろん自分自身も例外ではありません。
困ったものです。

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2009/12/14

■相談には乗ってくれないのですか

湯島にある私のオフィスを「自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい」の事務局に提供しています。
電話も事務局に使ってもらっています。
事務局といっても普段は誰もいません。

そこで私がいるときには私が電話に出ます。
電話はお金がないので私のオフィスとも共有していますので、最近は何と言って電話に出ればいいか迷います。
いまは「佐藤です」と電話に出ます。
一瞬、相手が戸惑い躊躇する雰囲気が伝わってくる場合があります。
それが「自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい」事務局あての電話なのです。
そこで、「自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい」事務局と言い直します。
電話口の向こうから、ホッとしたような安堵感が伝わってきます。
電話は声だけではなく、気持ちもしっかりと伝えるものだと最近わかりました。

「自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい」事務局は、自殺に関する電話相談は受けていません。
中途半端な相談はマイナスだというのが理由ですが、実際は相談を受けるまで私自身が腹を決めていないだけかもしれません。

今日もオフィスで仕事をしていたら電話がなりました。
友人からの電話を待っていたので、彼からだろうと電話に出ました。
違いました。すぐにわかります。

自殺に関する相談は受けていません。
相談であれば、こういうところに電話したら相談に乗ってくれるかもしれません。
そう答えます。
いや、そう答えていました。
相手はそれでもとても感謝してくれます。
しかし、電話を切った後、いつもとても自己嫌悪に陥るのです。
これこそ中途半端ではないか。

今日の電話は緊迫感がありました。
自殺しようという電話ではありません。
不思議なのですが、相手の気持ちはなぜか伝わるのです。
それだけ相手は真剣だということなのでしょう。
今日の電話の相手はたぶんDVがらみではないかと思いますが、シェルターを探していました。
つまり身を隠すところです。

私が紹介した場所の多くには彼女はもう既に電話したようです。
行政にも相談に行っているようです。
そして、そのすべてに失望感を持っていることが伝わってきました。
彼女と話していて、シェルターを紹介してくれるかもしれない人を思い出して伝えました。
すぐに電話するといいました。
ともかく切迫しているのです。
電話が切れなくなりました。
さてどうするか。

余計なことを言ってしまいました。
死のうなどと考えてはいけない、必ず道は見つかりますよ。
思わず出てしまった言葉ですが、話しながら自分の気持ちが動き出しそうなのがわかりました。
出来ることなら、相談にいってあげたいという気持ちです。
相談者としては失格なのかもしれません。
それをこらえて、何かあったらまた電話してください、と言いました。
その言葉が出るまでに少し間がありました。
そのため、相手の人は話が終わったと思い、電話を切ったのです。
相手の人にその言葉が伝わったかどうか、微妙です。

たかだか数分のやりとりでしたが、終わった途端にまた自己嫌悪に襲われました。
もし私が電話の向こう側にいる立場だったらどうだったか。
そう思うと心が痛みます。

この1か月で、こういう電話を何回受けたでしょうか。
電話などで見ず知らずの人にではなく、近くの人になぜ相談することができなくなってしまったのか。
こういう社会はどう考えてもおかしいです。
近くにちょっと様子のおかしい人がいたら、声をかけましょう。
そうしたら自分がそうならずにすむはずです。
それに支えあいながら解決策を考えたら、必ず道は開けるはずです。

そう思うのですが、最近はあまりに問題が多すぎます。
テレビの自殺関係の報道番組には、わたしはとても違和感があります。
自殺対策への基金もできたようですが、現実はそんなに悠長ではないのです。
現場は本当に切迫しているのです

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■節子への挽歌834:節子もそろそろ転生の時期かもしれません

超心理学や超物理学という分野があります、
「見えない世界」を研究対象にしています。
正確に言えば、今の私たちには見えない世界です。
人が見える世界は変化します。
新たに見えてくる世界もあれば、見えなくなってしまった世界もあります。

前世を記憶していた子供たちの話を集めた本があります。
その本によれば、前世を記憶しているのはだいたいにおいて5歳くらいまでだそうです。
それ以後は見えなくなってしまうそうです。
しかし時折、垣間見える瞬間があるのではないかと私は思っています。

超心理学では「あの世」の話や魂の転生の話が出てきます。
一説によれば、転生は魂が身体を離れてから3年以内に起こるそうです。
私は必ずしも信じているわけではないのですが、もしそれが事実だとしたら、節子もそろそろ転生の時期かもしれません。
前世を思い出すのがそこから5年とすると2015年ころが前世を覚えている節子との出会いのチャンスです。
そこで出会う確率は極めて低そうです。
もしみなさんの周りで、この挽歌に書かれている私と節子の挿話を思い出すようなことを話し出す子供がいたら教えてください。
まああまり特徴化された挿話がないので、見分けにくいでしょうが。

物理学の知見によれば、人が生を終えて、原子分解され、それが地球圏に遍在するには3年くらいかかるそうです。
これは昔読んだ記憶なので、いささか不確かですが、3年というのはなにやら意味がありそうです。

今日は突然におかしなことを書き出しましたが、今朝起きてリビングに行ったら、そこになぜか節子を感じたのです。
節子の魂はまだこの家にいると感じたのです。
にもかかわらず、昨日は娘たちも誘って墓参りに行ってしまいました。
節子もたぶん同行したでしょう。
ややこしいですが、節子の墓参りに行くときはなぜかいつも節子が同行している感じなのです。
論理的でも科学的でもないのですが、そんなことを考えていたら、昔、少し関心を持っていた超心理学、超物理学のことを思い出してしまったのです。
そうした研究によると、突然に観音像が出現することもあるのだそうです。
私も25年ほど前に、ある雑誌に、企業はパラサイコロジー(超心理学)にもっと真剣に取り組むべきではないかと寄稿したことがあります。
当時は興味本位でしか考えていませんでしたから、自分で体験できるほど、その世界は見えていませんでした。

しかし最近はちょっと違います。
「見えない世界」が比較的感じられるようになって来ました。
節子のおかげでしょうか。

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2009/12/13

■節子への挽歌833:年賀状を書くのが好きだった節子

節子
年末になるといろいろとしなければいけないことが出てきます。
節子が元気だった頃はすべて節子に任せていました。
節子に任していたら、無事に年が終わり、新年が来る。
そんな生活をしてきました、

今年も余すところ半月です。
年末には何をしなければいけないのか。
節子と違って、年中行事や季節の変化には無頓着なためにどうもうまく予定が組めません。
節子がいなくなってから、もう3回目の年越しなのですが。

節子がいたら、たぶん今頃は年賀状を1枚1枚考えながら書いていることでしょう。
節子が年賀状を書くテンポは、驚くほどゆっくりでした。
楽しみながら、思いを込めながら書いていました。
それを見て、ああ年末なのだと私も実感できました。
まあ内容はたいしたものではなく、これ1枚書くのにそんなに時間がかかったのといいたくなるようなスピードでした。
節子の年賀状書きは、その1年を振り返る時間だったのです。
私の生き方の速度と節子のそれとはかなり違っていたのです。
でもなぜかそれが混乱もせずに同伴できていたことは、今から考えると不思議です。

そうした風物詩的光景もわが家から少しずつなくなってきています。
そのため、ますます季節感覚もなくなってきているようです。

やらなければいけないことはそれなりにわかっているのですが、どうも身体が動きません。
いつもと同じように、無意味な週末を過ごしてしまっています。
風邪はどうやらよくなったようですが、なんだか心身の倦怠感が残っています。
これはしかし、風邪のせいではないようです。

私は節子がいなくなってから、年賀状は年が明けてから書くようになりました。
いただいた年賀状に、気が向いたら返事を書くという程度のわがままな態度です。
節子がいたら怒られそうです。

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■普天間基地問題への鳩山首相の取り組みを評価します

普天間基地問題に対する鳩山首相の取り組みにとても共感しています。
私の鳩山首相への信頼感は世論とは反対に高まっています。

鳩山さんはともかく沖縄から、さらにいえば日本から米軍の基地を少しでもなくしたいと思っているのではないかと思います。
それが普通の感覚だと思います。
少なくとも私は大学に入って少し洗脳された1960年からずっとそう思っています。
その視点から考えれば、鳩山さんの発言は違和感なく受け入れられます。

閣僚の意見がばらばらだといいますが、私はホメオカオスの典型的な状況のように感じます。
最初から決めるのではなく、動きながら決めていく。
多様な意見がぶつかり合う過程でしかるべき方向に収まっていく。
一言でいえば、きわめてエコロジカルなアプローチです。
よほどの信念のある人でないと出来ない取り組みです。

静態的な均衡モデル発想では、ノイズは除去されるべき存在ですが、動態的な自己組織化発想では、ノイズ(ゆらぎ)は自己触媒的にゆらぎを育て、状況を新構造へ進化させます。
「創造的な個の原則が集団の原則を凌駕する」というわけです。
その際、進化の到達点は、どのくらいの異質なノイズを包摂しているかによって決まります。

ダーウィン進化論に異を唱えた今西錦司は、「生物と環境のあいだのバランスが保たれている限り、その生物にとっては突然変異を必要としないが、環境との問にアンバランスが生じ、それによって生物がテンションを感じるようになれば、その解消のために生物はそのレパートリーの中からこれに適した突然変異をとりだし、自分をつくりかえることによって環境とのバランスをとりもどし,再適応をとげていく」と著書に書いています。
昨今の普天間基地問題の議論の動きを、まさにそんな枠組みで見ると、現状のホメオカオティックな状況は輝いて見えてしまうわけです。
一見、混乱しているようでも、そこには見事なまでの「進化的に安定した戦略」があるのです。

かなり買いかぶっているといわれそうですね。
たしかにその通りです。
鳩山さんが救世主だと思っているからです。
彼は毒されていないのが信頼できるのです。

母親からの9億円の提供は、たしかに行政手続的には違法行為でしょうが、母親が子供を応援するのは自然の情理です。
たまたま9億円などと金額が大きかったのですが、鳩山家にとっての9億円はわが家にとっての100万円程度でしょう。
そう考えれば、私は娘が困っていたら100万円くらいは工面します。
親子の情とはそんなものです。
しかも、鳩山親子は私たち国民のために9億円も使ってくれたのです。
もっとも、その9億円に集まってきた人がしっかり役立ててくれたかどうかはわかりません。
しかし、その善意には私は感謝したい気分です。

またきっと辛らつなコメントがくるでしょうが、私は鳩山さんの純粋さに期待しています。

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2009/12/12

■節子への挽歌832:どうやら風邪をひいてしまったようです

節子
どうやら風邪をひいてしまったようです。
一昨日から風邪モードに入っています。
インフルエンザでないことはたしかで、単にのどが少し痛いだけですが、どうも気力が出てきません。
昨日は高血圧の薬が無くなったのでクリニックに行ったので、その時に診察してもらおうと思っていたのですが、止めました。
風邪ごときで医師の世話になるのは、やはり私の性に合わないのです。
まあ要は単に医者嫌いなだけですが。

それでもなかなか治りません。
昨日は10時に寝て、久しぶりに8時間以上寝たのですが、調子が良くありません。
午後から地元の人たちとの集りがあるのですが、行くべきかどうか迷います。
以前は自分だけの判断でよかったのですが、最近は、風邪をうつしてはいけないというプレッシャーが強いですから、ますます躊躇します。

以前は風邪を引いても節子がそれなりの相手をしてくれましたから、退屈はしませんでした。
節子が隣で何か仕事をしているだけで幸せだったのです。
呼び寄せられた節子は、迷惑だったかもしれません。
あんまり隣にじっとはしていませんでしたから。

しかし今は風邪を引いたらやることがまったくありません。
一人でコタツにもぐっていますが、本を読む気にもDVDを観る気にもなりません。
コタツにパソコンを持ち込んではいますが、寝ながらパソコンを打つのは大変です。
キーボードを立てて打っていますが、首が疲れます。

私は基本的に風は3日間と決めています。
節子はいつも笑っていましたが、3日間はきちんと風邪をひきだらだらし、4日目はたとえ熱があろうと「風邪」は終わりにするのです。
この私の名案を理解してくれる人も、もういないと思うと残念です。
いろいろと思い出すと、どうも私の常識やライフスタイルはいささか変わっていたのかもしれません。
それにしっかりと伴走してくれていた節子に感謝しなければいけません。
私の人生は、節子がいればこそ、実現できたのかもしれません。

さて今回の風邪は12時で終わらせることにしました。
節子がいる時と違って、風邪をひいているメリットは期待できませんので。

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■ジハード、聖なる戦争

オバマ大統領のノーベル平和賞受賞スピーチは、ジハードを認める事が平和だというメッセージです。
平和がもし暴力によってもたらされるのであれば、平和は暴力の一過程でしかなくなります。
なぜなら暴力は暴力を必ず生み出すからです。
この論理では、いうまでもありませんが、9,11事件も正当化されます。

多くの人に、ぜひとも「ガンジーの危険な平和憲法案」を読んでほしいです。


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2009/12/11

■節子への挽歌831:人を愛することは辛いことを背負うこと

節子
12月になり、我孫子駅前の花壇にイルミネーションがつきました。
その点滅を見るたびに、やはり節子を思い出します。
花かご会の人たちがいまも花壇の手入れをよくしてくれています。

わが家の周辺でもイルミネーションがつきだしました。
節子がいたら、わが家ももうきっとイルミネーションが点滅しているのでしょうが、今年はまだです。

節子はイルミネーションが好きでした。
闘病時でさえも、ユカの誘いで都心まででかけていました。
私は全く興味がないので付き合いませんでしたが、後悔しています。
付き合えるときには付き合っておかないと後で後悔する羽目になりかねません。
みなさんも伴侶や家族からの誘いにはできるだけ付き合うのがいいです。
付き合えなくなってからでは遅いです。

イルミネーションといえば、もう一つ後悔していることがあります。
たしか星の形をした電飾だったと思いますが、節子が買おうといったのに、その形がどうも好きになれずに、もっといいものを探そうといって買わなかったことがあります。
ところが「もっといいもの」は見つける前に、節子は逝ってしまいました。
節子がいなくなった後は、お店の電飾のコーナーに行くこともなくなりましたから、もっといいものがあるのかないのか、今もってわかりませんが、あの時、なぜ素直に買わなかったのだろうと悔やまれます。

こうしたちょっとした「後悔」が、いまも時々、心をチクチクさせます。
いつまでもだらしないといわれそうですが、私にとっては未来永劫つづくことでしょう。
そのチクチクが、節子を思い出させてくれるのですから、私には悪いことではありません。

節子がいなくなってから、わが家の「かがやき」は少し弱まっています。
年明けにはジュンも家を出ます。
近くなのと、わが家の庭にスペインタイルの工房があるので、毎日のように通ってくるでしょうが、また一つ「かがやき」が消えるような気がします。
幸いにユカが残ってくれていますので、私一人になるわけではないのですが、家族の数が減っていくのはさびしいものです。

もしかしたら、家族が減ることで、伴侶の絆は深まるのかもしれません。
外で見かける老夫婦を見て、いつもそう感じます。
みんなとても仲が良さそうです。
その理由が何となく最近わかってきたような気がします。
私にはもう寂しさを引き受けてくれる伴侶がいないと思うと、少し辛い気もします。
いや、何よりも辛いのは、娘の結婚を喜び合う伴侶がいないことかもしれません。

私たちは、仲の良い夫婦でした。
でも残念ながら、本当の仲の良さを味わうまでには至らなかったのかもしれません。
節子と一緒に過ごす縁側で日向ぼっこを体験できなかったのが、私の最高の不幸かもしれません。
人を愛することは、つらいことを背負うことなのかもしれません。

今日の空は、日本海地方の冬の空です。

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2009/12/10

■オバマ大統領に象徴される現代の平和の恐ろしさ

オバマ大統領への「ノーベル平和賞」に関して、異論が高まっています。ようやくとは思いますが、当然のことが報道されだしたことに少し安堵しています。
どう考えてもオバマは平和賞には値しないでしょう

ところでアフガニスタン戦争ですが、これは一体どことどこの戦争なのでしょうか。
不覚ながら、あまり考えたことはありませんでした。
タリバンとアメリカ金融資本の戦争でしょうか。
そんなことはないでしょう。
戦争ができるのは国家しかいません。
後はみんな犯罪やテロといわれます。
ではアフガニスタンとアメリカの戦争なのか。
そうだとして、ではなぜアメリカはアフガニスタンに戦争を仕掛けたのか。
そして守るべき国益は何なのでしょうか。

ベトナムに続いてイラクでもアメリカは泥沼に入り込みつつありますが、アフガニスタンでも同じでしょう。
アメリカという国家は、どこかで「戦争」を続けていなければ持続できない国家なのでしょうか。
オバマ大統領に象徴される現代の平和の恐ろしさを垣間見る気がします。

そのアメリカに守ってもらっている日本とはいったい何なのか。
考えていくとますます訳がわからなくなってきます。
こう考えていくと、普天間基地問題の見え方も変わってきます。

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■節子への挽歌830:かけがえのない節子がいなくなるはずがない

わが家の自動車のトランクになぜか荷物がたくさん積まれています。むすめたちが整理してくれました。
出てきたのは、カンパンの缶詰と水のボトルとラジオなど、非常時のセットでした。
もちろん用意していたのは節子です。
テレビで阪神大震災の被災者の人が、自動車に積んでいたおかげで家屋崩壊しても大丈夫だったと話していたのを訊いて、すぐに節子が自動車に積み込んだのだそうです。
娘のユカから教えてもらいました。
したがってもう3年以上前のものです。

節子は、こういうことにかけては動きが早かったのです。
テレビやラジオで共感する話を聞くと、すぐにそれを自分の生活やわが家に持ち込みました。
わが家の文化は、節子が持ち込んだものが多いのです。
もっとも、節子は私と同じですぐ忘れたり、宗旨替えをしたりしますので、まあ自動車の非常食セットも用意した後は忘れてしまっていたはずです。
案の定、ポータブルラジオは電池が切れていてなりませんでした。
まあいかにも節子らしいです。
しかし、そういうように抜けているところが、私はとても好きでした。
まああまりにも抜けていて、時に喧嘩になることもありましたが、喧嘩があればこそ愛し合えたのです。

娘たちがカンパンの缶詰を位牌に供えました。
親が親なら子どもも子どもです。

自動車のトランクには、温泉セットも入っていました。
ドライブの途中で温泉に入りたくなったらすぐに入れるようにということですが、これは2回ほど役立ったことがありました。
真鶴と大洗です。
その時のことがはっきりと思い出されます。

節子の使っていた家具の中などは実はまだあまり整理していないのです。
中から何が出てくるかわかりませんが、できることならそのまま保存しておきたいという気持ちが、私のどこかにあるのです。
ですから自動車の中も娘たちが整理するまでは放置していたわけです。

しかしこうやって何かを整理すると、必ず節子の痕跡が出てきます。
それが私には節子からのメッセージのように感じられます。
ちょっとした痕跡の中に、節子のすべてを感じるのです。
だからどうしてもまだ節子が此岸にいるような気がしてならないのです。

いまも隣の部屋にいるような気がしてなりません。
節子。私にとってはかけがえのない人でした。
その人がいなくなるはずがない。
今でも時折そう思います。

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2009/12/09

■政府間合意の拘束性

昨日、電車の中で前の人が読んでいた日刊ゲンダイの見出しが気になり、ネットで読んでみました。
こういう記事です。

<大新聞が報じない 沖縄米軍移転のウラ事情>
米軍・普天間基地の移設問題は、鳩山政権のモタつきばかりがクローズアップされているが、実は米国側も揺れている。日本の大新聞は連日「米国は怒っている」の大合唱で、「日米合意を破ったら大変なことになる」と鳩山政権を追い詰めているが、日米合意を破るのは、米国側かもしれないのだ。沖縄の海兵隊は5年後にグアムに移転することになっているが、グアムでは不具合が生じることが分かったという。米国のホンネは、鳩山政権の混乱に乗じて海兵隊移転を白紙に戻し、沖縄に居座ることだと指摘する声もある。(日刊ゲンダイ2009年12月8日)

高名な学者や専門家たちは、「国家間で一度できた合意は破っては継続性が保たれない」と言います。
テレビのキャスターやコメンテータも、そういう発言をよくします。
しかしこの発言が正しい根拠は何でしょうか。
過去にしばられることを正義とすれば、40年前に政府が決めたダム建設にまつわる契約も正当化されます。
しかし過去は絶対的なものではありません。
そんなことは生活レベルではみんなわかっているはずですが、なぜか政府の約束は変えられないといわれればそれに納得してしまいがちです。
そこには主体性はありません。
私はそれこそが「臣民の本性」だと思います。
システムに隷属している人の発想です。
システムは、生きた生活のためにこそ、あるべきです。

そもそも政府とは何でしょうか。
その時の住民の意思を超えた政府があるのか。
それに、政府としての契約主体も所詮は、ある個人でしかないのです。
沖縄密約の存在が、そのことを証明してくれています。
そんなものに縛られることはありません。

継続性とは何でしょうか。
関係性の概念を入れると、実は継続性とは変わることともいえるでしょう。
そんな言葉にだまされてはいけません。

いまこそみんなで日米関係や基地のあり方などを根本から考えなそう時期だろうと思いますが、
どうもマスコミはそうはさせたくないようです。
マスコミは完全に米国のための存在になっています。
少し前までの日本政府と同じです。

最大の敵は、味方面した根無し族という教訓を思い出します。
主体性を持たねば、いい人生は送れません。

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■節子への挽歌829:悲しみの先にも平安はあるのでしょうか

「深い苦しみほどわれわれを気高くするものはない」
と言ったミュッセという人に興味を持って、ネットで少し調べてみました。

アルフレッド・ド・ミュッセ。
19世紀前半を生きた、フランスのロマン主義の作家でした。
ウィキペディアによれば、「その詩はうわべの抒情、表面的な憂愁に満ちていて、ロマン主義のもっとも軽薄な部分が出ていると言える」とあります。
あんまり評判は良くないようです。

少し訳し方の違う文章に出会いました。

「苦悩こそが人生の真の姿である。われわれの最後の喜びと慰めは、苦しんだ過去の追憶にほかならない。」

同じ文章の訳でしょうか。だいぶニュアンスは違います。

時評編で新潟水俣病に取り組んだ北野さんのことを書きましたが、北野さんの人生を決めたのはハンセン病の人との出会いでした。
ミュッセが言っているのは、他者の苦しみではなく自らの苦しみでしょうが、他者の苦しみを自らのものとする時ほど、苦しみの深さが続くことはありません。
自らの苦しみは時間と共に順応できますが、他者のそれは記憶の中で増幅される一方だからです。

節子の苦しさを時々思い出します。
本人ではないのですべてわかるわけではないのですが、だからこそ思い出すたびにその苦しさに私が的確に対応していたかどうか後悔するのです。
後悔は私自身の苦しみと悲しみに変わります。
とても不安な気持ちが全身を覆いだし、頭が混乱しだし、結局は突然夢から覚めたように一瞬にして思考放棄することで平安を回復します。
残るのは節子への懺悔の気持ちと節子を抱きしめたい気持ちです。

その苦しさから、私は気高さを得たでしょうか。
残念ながらまだとしかいえません。
深さが足りないのかもしれません。
ただ、視野の広がりは得られたような気がします。

苦しさや悲しさを体験すると、世界がよく見えるようになります。
人の心が見えてくるのです。
それがまた、別の苦しさや悲しさを生み出します。
人はそうやって気高くなっていくのでしょうか。
「気高い」とは「平安に」ということだろうと、私は考えているのですが。

苦しみの先に喜びと慰めがあるのであれば、苦しみには救いがあります。
悲しみの先にも喜びと慰めがあるのでしょうか。
せめて「平安」だけはあってほしいと思っています。

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2009/12/08

■節子への挽歌828:友だちと伴侶

二羽の白鳥を読んだ方からメールがきました。

寒い瓢湖に2時間も立ち尽くすというのは、同じ無量感を持てばこそ胸を締め付ける物があります。
此の頃の文面、読むほうも結構しんどいのです。
共感する想いがあればこそです。
お体おいとい下さい。
たしかに最近の挽歌はいささか重いですね。
まあ気分が少し沈んでいるためでしょう。
しかし決して暗く沈んだ生活を送っているわけではないのです。
今日は無理をして、明るい話を。

私は、節子が心配するほど女性にはもてるのです。
たとえば昨日は六本木の花畑牧場カフェで、福山さんに生キャラメルのメロンパンとコーヒーをご馳走になりました。
本当は昼食をご馳走してもらう予定でしたが、私がランチタイムがだめだったのでコーヒーになったのです。
今日のランチは名木さんのサンドウィッチでしたが、その後、小平さんに大岡山の珈琲館でおいしいココアをご馳走になりました。
名前が出てきた3人は、すべて女性です。
もっとも、実際は「おんな友だち」というより、いろんな活動を通して知り合った知人なのですが、知人にしては会う頻度が多いのです。
節子がいたら心配するでしょうか。
しないでしょうね。

節子はよく言っていました。
修もたまには浮気くらいしたらいいのに、と。
しかし残念ながら私には「浮気」という概念がないのです。
節子もそうでしたが、私たちはとても不器用で退屈な性格なのです。
そうした不器用な人から伴侶を取り上げるとは、神様も無情です。

まあそんなわけで、元気に明るく暮らしてはいるのです。
もちろん「おとこ友だち」はもっとずっと多いのです。
しかも、みんな私のことを元気づけようと親切にしてくれます。
おそらく私ほど恵まれた人は、そうはいないでしょう。
神様は「友だち」と「伴侶」の両方が私を取り囲んでいるに嫉妬したのでしょうか。
できることなら、全ての友だちよりも、たった一人の節子のほうを残してほしかったです。
1000人の友だちよりも、一人の節子のほうが、私を元気にしてくれるのですから。

今日の記事は、友だちには読ませたくないですね。
特に、名前の出てきた3人は読まないようにしてください。
はい。

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2009/12/07

■漢字がなくなる?

昨日、「サケ」ではなく「鮭」と書くことにしたと書きました。
漢字の持つ意味を大事にしようと思ったからです。

今日の朝日新聞の夕刊の「ニッポン人・脈・記」は、漢字などやめてしまえという人たちがいるという書き出しで始まっています。
登場するのは、漢字廃止論者の梅棹忠夫さん、22世紀末には漢字は滅亡すると予測する安本美典さん、それに感激したという日本語学者の野村雅昭さんです。
なんだか悲しくなる人たちです。

安本さんは統計好きな学者で、邪馬台国論争も退屈にしてしまった人だというのが私の人物評ですが、近代の申し子のような単細胞の人だと思います。
彼の論拠は、泉鏡花の「高野聖」から三島由紀夫の「潮騒」までの小説100作品を分析して、作中の漢字の数の減少傾向を延長して、そういう結論を出したわけです。
子どもでもできる研究です。
まあこういうのが「専門家」の研究というわけです。
安本さんは文章心理学者といわれていますが、私にはとても不思議な気がします。
安本さんには「意志」とか「創造性」とかはあるのでしょうか。

かくいう私も、実は昔は「かな文字愛好者」でした。
会社に入社した時、漢字の多いビジネス文書に反発して、かな文字中心で書いたら上司から怒られました。
そこで、私はかな文字論者なのですと、開き直って、さらに怒られました。
まあ入社時には、そういうことが少なからずありました。
それでも自発的に会社を辞めるまで、25年間、仕事をさせてもらいました。
良い時代だったのです。

私はかな文字が好きですが、漢字も好きです。
漢字の持つ表情が好きなのです。

梅棹さんが漢字嫌いな理由が、その記事に書いてありました。

「漢字から脱却しなければ、日本の未来は危うい。漢字のしがらみが文明の進歩を邪魔しています。」
私がこの時評で展開している暴論よりも、よほど悪い冗談のように思えるのは、私だけでしょうか。
こういう人が日本のこの50年の文化を先導してきたのです。
私には、「困ったものだ」としか言いようがありません。
私が、権威や専門家を信頼しないのは、こうしたことがあまりに多いからなのです。
視野がいかにも狭いのです。

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■節子への挽歌827:2羽の白鳥

節子
昨日は金田さんの案内で、早朝から新潟の瓢湖に出かけました。
湖面は5000羽の白鳥と数万の鴨で埋め尽くされていました。
白鳥が次々と飛び立つ光景は、ユーモラスであると同時に、元気が伝わってきます。
節子が一緒だったら、どんなに喜んだことでしょうか。

みんなグループを成して飛び立ちます。
家族なのでしょうか。
湖の上を旋回してから、田畑に向かって飛んでいきます。
日中は田畑にいて、夕方になるとまた戻ってくるのだそうです。

時々、2羽だけのグループがいます。
私が見たのはいずれもオオハクチョウでしたが、あるカップルの白鳥たちはなぜか何回も旋回していました。
何気なく見ていたのですが、もしかしたら私にアピールしていたのかもしれません。
写真はうまく撮れずに、遠くを飛んでいるところしか撮れませんでしたが、頭の上を飛んでいく光景は見応えがありました。

朝早かったのですが、事務所の人が特別に餌を分けてくれて、時間前に餌付けするのを許可してくれました。
節子はこういうのが好きだったなあと思い出しながら、餌をまきました。
鴨が重なるように集まってきました。
その光景は実にユーモラスです。
あんなたくさんの鴨の集団は始めてみました。

なんとなく離れがたく、寒い瓢湖に2時間近くもいました。
やはりここには実物の節子と一緒に来たかったです。
Swan3
ほとんどの白鳥が飛び立ってしまった後に2羽の白鳥が飛び立ちました。


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2009/12/06

■新潟水俣病のこと

新潟水俣病資料館に行ってきました。
新潟にいる金田さんの案内で、アポイントもなく立ち寄らせてもらったのですが、塚田館長にお会いでき、しかも2時間以上にわたってじっくりとお話を聞かせてもらいました。
改めて、水俣はまだ終わっていないと痛感しました。
そして若い頃感じたアカデミズムへの憤りを思い出すとともに、その中で誠実に取り組んでいる人たちへの敬意の念も思い出しました。
軽い気持ちで立ち寄ったのですが、私にとってはずっしりと心に応えた日になりました。

塚田さんから新潟水俣病が確認された当時、厚生省から出向していた新潟県衛生部長の北野博一さんの話をお聞きしました。
感動しました。
厚生省にもこういう人がいたのだという話です。
見事な対応でした。
しかし、その後、動きは鈍くなります。
大きな経済が、小さな生活に勝ってしまったのです。
コラテラルダメッジの一例でしょうか。

北野さんの名前は私の頭の中にしっかりと入りました。
帰宅してネットで調べたら出てきました。
お時間があれば読んでください。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/minamata/20060907/20060907_044.shtml

この記事に出てくる坂東弁護士がエントロピー学会で昨年話された講演の記録を以前読ませてもらいましたが、その坂東さんが書かれた「新潟水俣病の三十年―ある弁護士の回想」を読もうと思います。
久しぶりにまた水俣病に関心が戻ってきました。
つながりと支え合いが壊れだした原点が、もしかしたらそのあたりにあるのかもしれません。

塚田さんが、北野さんの原点はハンセン病療養所に関わったことらしいです、と教えてくれました。
その話しぶりがとても説得力がありました。
現場を知っている人は本当の人生を生きられる、という私の仮説に合っています。

塚田さんは最後に、私のところにある宝物をお見せしますといって、書庫を案内してくれました。
訴訟に関する克明な記録、原告の日記などが積まれていました。
塚田さんは、それを時間をかけてパソコンに入力されているようです。
こうした人によって社会は支えられているのだ、と改めて頭が下がりました。
自分の生き方の軽さを反省させられた1日になりました。

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■節子への挽歌826:追いかけてきた節子

新潟にいます。
昨夜の集まりは実に刺激的な集まりでした。
それはまたホームページか時評編に書こうと思いますが、夜、ホテルに戻ってモバイルでメールチェックをしたら、思いもかけず節子の昔の手紙のコピーが届いていました。

発信者はNさんです。
こういうメールです。

ところで、私は何時お迎えが来ても良い様にと思いまして「本棚」を整理していましたら
別紙の手紙が出てまいりました。(添付ファイル)
多分奥様からの手紙ではないかと?
何せ、手紙をスキャンさせた文章ですので、判りにくいかと思いますが。
「筆跡」を良く見ていただいて、もし、その様でしたらお返ししたいと思っております。
たしかに節子の文字でした。
節子が闘病中に書いた手紙でした。
文章も節子らしいものです。

その手紙を読んで、いろいろと当時のことが思い出されました。
Nさんの善意には感謝しながらも、心は揺らぎます。
昨日節子は自宅に残っていると書きましたが、どうやらやはり残っているのがいやで、こうやって後を追いかけてくるのかもしれません。
もしかしたら、節子は昨日の挽歌を読んだのかもしれません。
そんな気もします。

そういえば、昨夜、シンポジウムの後の懇親会で久しぶりにあった友人から、毎日ブログを読んでいますといわれました。
私のブログやホームページを読んでいる人は、私以上に私のことを知っていますから、いささか付き合いづらいのですが、節子ももしかしたらこの挽歌をよんでいるのかもしれません。

今日は白鳥を見に行きます。
金田さんがもうじき迎えに来ます。
いま7時過ぎです。
節子も一緒でしょうか。
風邪を引かなければいいのですが。
新潟は風が強く寒いです。

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2009/12/05

■節子への挽歌825:後ろ髪引かれる気分

節子
今日は新潟に出かけます。
私も縁のあるNPOが主催するシンポジウムに参加するためです。
信濃川にサケを遡上させようというのが、シンポジウムのテーマです。

最近、少しずつ遠出する機会が増えています。
節子が元気だった頃は、一人で遠出することに何の抵抗もなかったのですが、節子がいなくなってからは、なぜか気乗りがしなくなってしまいました。
これは不思議です。
節子がいればこそ、家に節子を残して出張したくない。
節子がいなくなったのだから、家をあけても気にならない。
論理的に考えると、そうなるはずですが、なぜか反対なのです。
まるで節子が自宅にいて、私に家にいてほしいと言っているような気がするのです。
前にも書きましたが、節子がいなくなってからの方が、帰宅時間も早くなりました。

彼岸には時空間がないのであれば、私がどこに行こうが節子は私と一緒のはずですが、どうもそういう気はしないのです。
節子は今も、わが家で私の帰りを待っている。
しかも、その節子を本当に実感しているのは今や私だけ。
その思いからどうしても解放されません。

新潟は私の両親の出身地です。
にもかかわらず、私は節子を一度も新潟に連れていきませんでした。
そのこともとても悔やまれます。
行く機会は何回かありましたが、私自身があまり行きたくなかったのです。
節子のことを気にいってくれていた叔母が小千谷にいますが、そこにも行けませんでした。
節子はもしかしたら行きたかったのかもしれません。
いろんな意味で、節子が逝くのは早すぎました。
やりのこしたことが多すぎます。

節子がいなくなってから、私の在宅時間は大幅に増えました。
なぜ節子が元気だった時に、こういう生活をしなかったのか。
本当に悔やまれます。
今ではもう、いくら在宅していても、節子と一緒に過ごせるわけではないのです。
しかしなぜか自宅にいると節子と一緒にいるような安堵感があるのです。
この感覚はいったい何なのでしょうか。

でも今日は、その節子を置いて新潟に出かけます。
いつものように、大きな声で「いってきます」と節子に言ってから出かけます。
節子は聞いているでしょうか。
見えない節子を残して出かけるのは、本当に寂しいです。

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2009/12/04

■認知症予防ゲーム

一昨日、認知症予防に取り組む高林實結樹さん(NPO法人認知症予防ネット理事長)を囲んでのコムケアサロンを開催しました。
今年の春、高林さんから認知症予防ゲームの活動のお話を聞き、とても共感しました。
現場ではさまざまな成果をあげているにもかかわらず、「科学的な実証」がされていないために、いわゆる「権威」からは認められず、思うように普及できないということでした。
それで普及活動を応援しようと思ったのです。

高林さんが認知症予防に取り組みだしたのは、ご自身の母親の認知症介護の体験からです。
そのきっかけは、静岡市の看護師増田末知子さんが開設された「認知症予防教室」との出会いでした。
その教室のモットーは、「あかるく あたまを使って あきらめない」であり、その頭文字、3つの「あ」、「A」をとって「スリーA」と命名されていました。

この方式は「科学的な実証」データが十分でないせいか、主流の人たちからは受け容れられませんでした。
日本では、現場の知よりも学者の知のほうが、一般に評価される風潮があります。
現場の知に勝るものはないと考えている私にとっては、世間的な「権威」はほとんどが「似非専門家」に思えますが、世間はどうもそうではありません。
私たち生活者にとって大切なのは、現場の知です。
権威や名声にだまされてはいけません。

集りでは、高林さんがどういう経緯でこの活動に取り組んでいるかも話してくれました。
とても心に響く話でした。
いま私はさまざまなNPOや市民活動に関わらせていただいていますが、自分の体験を出発点にした活動には共感することが多いです。
頭で考えてはじめた市民活動はなかなかうまくいきません。
専門家といわれる人たちへの信頼感は、今の私にはほとんどありませんが、知の体系が大きく変わってきていることを実感しています。
集りに参加してくれた高齢者福祉に取り組む専門家の方たちもとても共感してくれました。
サロンには、お母さんのことを心配している方が参加してくれましたが、ゲームを体験した後、自分のお住まいの地域で活動を行いたいと言ってくれました。

認知症予防ゲームを体験してみて、これは認知症予防に限らずたくさんの効用があるように思いました。
うつ病対策にもいいでしょうし、元気をなくしてきている企業従業員の活性化にも効果がありそうです。
もちろん普通の人のコミュニケーション環境を向上させるためにも効果的です。
ゲームの概要は高林さんのまとめたテキストがありますので読んでほしいですが、やはりその価値は実際にゲームを体験してみないとわかりません。
もしお近くで、高林さんがお話をされる場があれば、参加してみてください。
高林さんたちの研修会や講演の予定は、認知症予防ネットのサイトに書かれています。
多くの人たちに、高林さんたちが広げようとしている「スリーAゲーム」の考え方に触れてほしいと思います。

私が取り組んでいるコムケア活動は「大きな福祉」を理念にしています。
福祉の根底にあるのは「つながりと支え合い」という発想で、個別問題から発想するのではなく、人の生き方から考えるという姿勢を、大事にしてきました。
実践や現場の場にいる人たちは、個別問題に取り組んでいるようで、実は問題の背景にある社会のあり方や人の生き方に取り組んでいることは、コムケア活動を通して知りました。
高林さんが取り組んでいる認知症予防ゲームも、決して認知症予防だけのものではありません。
高林さんは、このゲームで本人や家族はもちろんですが、地域社会も日本も世界もよくなっていくと確信しています。

高林さんたちの活動は、最近、関西を中心に西日本で広がりだしています。
しかし東日本ではまだほとんど知られていないのです。
これを契機に拡がってほしいと思っています。
広げていくことに汗と知恵を出してもいいという方がいたら、ご連絡ください

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■節子への挽歌824:もやもやがたまっています

節子
最近、やはり自分がかなり変わっているのではないかという気がしてきています。
人と話していても、根本的なところで通じ合えないのです。
発想が根本から違うようです。

昨日は5人の人たちが湯島のオフィスに来ましたが、そのうちの2人の人と話していて、奇妙に居心地の悪さを感じたのです。
一人は昔からの知り合い、一人はほぼ初対面の人です。
テーマはいずれも、「社会を変えたい」です。

一人は30歳で起業し、成功を収めた会社経営者です。
60歳になったら企業をやめて社会に役立つ生き方をしようと決めていたそうで、昨年からある勉強会に入り、準備を進めてきたそうです。
そこで、私のことを聞いたのです。
そして、最近、高収益をあげていた企業を社員に引き継いでもらい、これからは個人として、若い人を育てる社会活動をしたいのだといいます。
切り口も決まっています。
それで私のところにやってきてくれたのです。

もう一人は、昔からの知り合いです。
私とは違い、大きな構想で、社会変革に取り組んでいる人です。
新たにあることを起こしたいといって、相談にきました。

実はこういう話が多いのです。
私は資力はもちろん、力もありません。
その上、きわめて怠惰で、自分で共感できないことには全く心身が動かないタイプです。
しかし、なぜかいろんな人が話に来ます。
その理由は、私が社会のためにいろいろと活動をしている人と思われているからです。
たぶん、私のことをそういう風に紹介してくれている人がいるのです。
先日もある人から、外から見るとそう思われても仕方がないといわれました。
私は、単に社会から脱落しているだけなのですが。

このブログの時評編を読んでくれている人にはわかってもらえると思いますが、私は社会のために生きているわけではありません。
社会などという、実体のない概念のために生きるほど、私は器用ではありません。
私は、自分をしっかりと生きているだけです。
もっとも、挽歌を読んでくれている人は、社会どころか自分の伴侶のために人生を無駄にしているだけの人と思われているかもしれません。
まあ、それも正しいかもしれません。

しかし社会が病んでいるという気はしています。
その病んだ社会への私の取り組み方をきちんと理解し共感し、一緒に行動してくれていたのが節子です。

人を理解することは難しいです。
みんなに私の生き方をわかってもらおうなどということは無理な話なのでしょう。
しかし、みんなから誤解されていることは、あまり気持ちがいいものではありません。
節子がいた時は、節子が理解してくれていたので、だれからなんと思われようと気にもなりませんでした。
節子に話すだけで、すっきりできたのです。
でもいまは、すっきりしようがありません。
心身にたくさんの「もやもや」がたまりだしています。
困ったものです。

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2009/12/03

■生活保護の捉え方

今日はなぜか「生活保護」について、2人の人と話すことがありました。
一人は生活保護から程遠いところのいる人、もう一人はすぐ近くにいる人です。
いずれも、とても誠実な人です。
しかし立場によって、同じことも見え方が違うものです。

一生懸命に働いても、生活保護でもらう金額とほとんど同じ収入しか得られない人がいる。
それはフェアではないのではないかと、最初の人はいうのです。
そう思っている人は少なくないかもしれません。
しかしそう考えることに、私は問題の本質があるように思います。

働かなくても150万円の収入がある人と、働いても150万円の収入しかない人と、あなたならどちらを選びますか。
私は躊躇なく後者を選びます。
働くことの報酬は金銭だけではありません。
そう考えることができるかどうかが、生き方を分けていきます。
21年前に会社を辞めた時、私は後者の生き方に人生を変えました。

生活保護を申請したらと言われるが、生活保護を受けるくらいなら死んだほうがいいと思うことがある。
これが次の人の話です。
その人は、かつては企業の経営幹部でしたが、いろいろとあって、いまは仕事をしたくてもできない状況にあります。
家族とも別れ、今は貯金もなくなってきたのです。
しかし生活保護を受けることに躊躇があるのです。

仕事をするだけが働くことではありません。
生きつづけること、そのこと自体が「働く」ことではないかと私は思います。
その人がいなくなって悲しむ人がいるとしたら、いるだけでその人は社会を支えているのです。
それにかつてはその人は企業で仕事をし、日本の経済も支えていました。
病気で今は仕事ができなくなったのだから、胸をはって生活保護を受けるのがいい。
その人にそういいました。
生活保護は胸をはって受けなければいけません。

そういえば、先日、お会いした方は、名刺に大きく「生活保護制度利用中!」と書いてありました。
実に堂々としています。
私にはとても好感が持てました。

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■節子への挽歌823:「あなたを忘れない」

「生きた証」を残したい。
そう思っている人が私の周りには何人かいます。
もしかしたら、そういう思いは誰にもあるのかもしれません。

節子も私も、お互いに元気だった頃はそういう思いは浮かびませんでした。
特に私は、生きた証など残して何の意味があるのかと思っていました。
覚えたい人が覚えてくれていたら、それでいいではないか。
何かを残すための人生ではない。
それが私の生き方でした。

私の家族の記憶は、せいぜいが祖父母までですが、一緒に暮らしたことのない祖父母の記憶はほとんどありません。
父母のことははっきりと覚えていますし、今の生活につながっていることもありますが、父母から「自分のことを忘れないでほしい」といわれたこともありません。
父母は平凡な庶民でしたから、私や私の娘の人生とともに、父母の人生も終わるでしょう。
人のいのちや生活は、そうやって消えていく。
それでいいのではないかというのが私の考えです。

しかし、節子が病気になり、そして旅立ってしまってからは、その考えが少し変わりました。
この挽歌でも何回か書きましたが、節子のことを思い出す人が多いといいなと思うようになったのです。
誰かが思い出すことによって、節子は生き返ってくる。
そんな気がしだしたのです。

今は亡き作家の森瑶子さんは、みんなに「私のこと、覚えていてね」と言い遺したそうです。
もっとも、森さんは生前においても、別れ際に「何よりもかなしいのは忘れられた女。だから私のことを忘れないでね」とよく言っていたという話も、何かで読んだ記憶があります。

誰かに覚えてもらうことで、自らの人生は続けられる。
誰かに気にしてもらっているだけで、人生の意味が変わる。
そのことがわかりだしたのは、節子を見送ってからのことです。
しかし、少し理屈っぽくいえば、節子がいる世界こそ私が生きている世界だからなのです。
言い方を替えれば、私が生きていけるようにするために節子を思い出す人がいないといけないのです。

日本ドナー家族くらぶ代表の間澤さんとは最近お会いしていませんが、間澤ご夫妻は臓器提供した娘さんのことが忘れられないことを願っています。
それで、みんなに「あなたを忘れない」と言ってもらうビデオ作品をつくりました。
私も登場させてもらいましたが、その時にはまだ間澤さんのお気持ちをしっかり受け止められていませんでした。
今にして思えば、間澤さんのお気持ちがとてもよくわかります。

「あなたを忘れない」
この言動は、生命の連続性を支える鍵なのかもしれません。

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2009/12/02

■節子への挽歌822:自責の念

節子
昨日、湯島に藤原さんが来ました。
そういえば、先週も懐かしい人が来ました。
Fさんです。

Fさんからのメールです。唐

突ですが、湯島に伺うと必ず御令室様に会えるような気が致します。
お目にかかれない今になって、澄んで奥行きのあるお声がありありと記憶の中から聞こえてきたり、謹み深い微笑みがファーと浮かんできたり致します。
節子様にめぐりあった大勢の人たちも、私と同様に、
節子様から戴いた御恩を想うと、同じ体験をされておられるのだろうと想います・・・・
山ほどの感謝でいっぱいです。
Fさんらしい大仰な書き方ですが、どんなに大仰であろうと、また事実過誤であろうと、私にとってはうれしいことです。

湯島にはいろいろな人たちが集まっていました。
今はもういない人も少なくありませんが、とても不思議な空間でした。
Fさんはとても大変な時期に湯島に来てくださっていたのだと、先週話していて知りました。
Fさんは会社を辞めようかどうするか迷っていたのだそうです。
私に話したら、言うまでもありませんが、「辞めてもどうにかなりますよ」と言ったでしょう。
娘に言わせると、私はともかく無責任なのだそうです。
それもあながち否定はできません。

Fさんが節子にその迷いを話したら、節子は辞めないほうがいいと即座に答えたようです。
節子さんはきっと苦労していたのですよ、とFさんは言いました。
そうでしょうか。
いささか納得できかねますが、まあ、その可能性はないとは言えません。
私が会社を辞めずにいたら、節子はもっと楽をして、病気になどならなかったかもしれません。
最近は、私もかなり気弱で、すぐに反省する傾向があるのです。
「もし・・・だったら、節子は今も元気なのではないか」
そう思うことが多いのです。
自責の念です。

「湯島に伺うと必ず御令室様に会えるような気が致します」
とてもうれしい言葉です。
実は私も時々そんな気がします。

今日こそ会えるかもしれません。

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2009/12/01

■ラディカル・デモクラシー

この時評でも紹介した「ガンジーの危険な平和憲法論」の著者のC・ダグラス・ラミスが10年ほど前に書いた「ラディカル・デモクラシー」(岩波書店)を読みました。
もっと早く読めばよかったと思いました。

いろいろと示唆に富んでいますが、一番共感できたのは、次の文章です。

重要なエコロジーは、自然保護区のエコロジーではなく、むしろ何世紀にもわたって生産活動に従事する人々が自然との対話を通して発展させてきたエコロジーである。農民と土壌と季節の間で、大工と道具と森の間で、陶工と土と火の間で、漁師と海と天候の間で交わされてきた対話である。
最近のエコロジーブームにどうも違和感があったのですが、この文章を読んで少し安堵しました。
違和感を持っているのは私だけではないと思ったのです。
エコロジーとは「つながりと対話」なのだと、改めて思いました。

もう一つとても納得できた指摘がありました。

ローマの市民は一つの組織体に組織されていたのではなく、2つの組織に属していた。共和国と軍隊である。
その仕組みは近代国家に引き継がれたと著者は言います。
そして、いまの日本では軍隊の代わりをしているのが経済だとしています。
そう考えると実にいろいろなことが納得できるような気がします。

そしてこういうのです。

ちなみに、近代国家という体制そのものが軍と共和制という二重性を持つ事実こそ、女性にこの体制内で全面的平等を与えることを困難にした一要因でもあった。
目からうろこが落ちました。
この本は面白いです。
この時評ブログも、まんざらとんでもない意見ではないという気がしてきます。
もしよかったら読んでみてください。

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■節子への挽歌821:輪廻転生と招魂再生

節子
今朝もいつものように、節子の位牌に水を供え、灯明をともし、般若心経をあげました。
般若心経をあげるとき、いつも迷うことがあります。
目線をどこに合わせるかです。
最上段にある大日如来、2段目にある位牌、3段目の遺影。

位牌にこそ節子がいると思いながらも、大体において、私は写真を見ながらのことが多いのです。
やはり笑顔を送ってくれる写真が私をひきつけます。
時々、大日如来にも目を合わせますが、私にとっては、大日如来よりも節子が大事であり、節子に語りかけたいのです。
ですから仏壇というよりも位牌壇というべきかもしれません。

仏は輪廻転生を守ってくれるのに対して、位牌は招魂再生の象徴です。
本来、それらは矛盾するはずですが、日本では自然に並存しています。
私も生命の連続性に共感していますが、同時に輪廻転生も信じています。
全く矛盾しているのですが、まあそこはあまりこだわらないようにしています。
ただ、節子には解脱して成仏してほしくはありません。
成仏するとしても、私が節子を成仏させ、一緒に解脱したいと思っています、
ですから、来世でもまた節子と出会えると思っているわけですが、そのくせ、現世にも呼び戻したいなどと思ってもいるわけです。
魂は彼岸ではなく、此岸にいるという儒教の思想も受け容れているのです。

招魂再生は儒教の教えです。
仏教では魂は彼岸に行き転生しますが、儒教では魂は此岸に残り憑依します、
転生する魂には「個」がありますが、招魂される魂は、連続体としての生命体の一部だと、私は考えています。
大きな生命体の「塊」のようなものであり、どこかでみんなつながっている。
儒教の思想を読んでいると、そんな気がします、
私が儒教に触れたのは下村湖人の「論語物語」でした、
その影響は、少なからず受けたはずですが、なぜか私の生き方の基軸は、親子軸ではなく夫婦軸でした。

生命の連続性を実感できる親子と違って、夫婦はその実感はなかなか得られないはずです。
その夫婦が、生命の連続性や一体性を感ずるのはなぜでしょうか。
生命は、私たちが思っている以上に、大きく壮大な連続体なのかもしれません。

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