■生活保護の捉え方
今日はなぜか「生活保護」について、2人の人と話すことがありました。
一人は生活保護から程遠いところのいる人、もう一人はすぐ近くにいる人です。
いずれも、とても誠実な人です。
しかし立場によって、同じことも見え方が違うものです。
一生懸命に働いても、生活保護でもらう金額とほとんど同じ収入しか得られない人がいる。
それはフェアではないのではないかと、最初の人はいうのです。
そう思っている人は少なくないかもしれません。
しかしそう考えることに、私は問題の本質があるように思います。
働かなくても150万円の収入がある人と、働いても150万円の収入しかない人と、あなたならどちらを選びますか。
私は躊躇なく後者を選びます。
働くことの報酬は金銭だけではありません。
そう考えることができるかどうかが、生き方を分けていきます。
21年前に会社を辞めた時、私は後者の生き方に人生を変えました。
生活保護を申請したらと言われるが、生活保護を受けるくらいなら死んだほうがいいと思うことがある。
これが次の人の話です。
その人は、かつては企業の経営幹部でしたが、いろいろとあって、いまは仕事をしたくてもできない状況にあります。
家族とも別れ、今は貯金もなくなってきたのです。
しかし生活保護を受けることに躊躇があるのです。
仕事をするだけが働くことではありません。
生きつづけること、そのこと自体が「働く」ことではないかと私は思います。
その人がいなくなって悲しむ人がいるとしたら、いるだけでその人は社会を支えているのです。
それにかつてはその人は企業で仕事をし、日本の経済も支えていました。
病気で今は仕事ができなくなったのだから、胸をはって生活保護を受けるのがいい。
その人にそういいました。
生活保護は胸をはって受けなければいけません。
そういえば、先日、お会いした方は、名刺に大きく「生活保護制度利用中!」と書いてありました。
実に堂々としています。
私にはとても好感が持てました。
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