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2009/12/17

■節子への挽歌837:不幸のなかにも幸せはあるか

昨日、最後に書いた一文が気に入りました。
「不幸のなかにも幸せはある」
今日はこれについて書くことにしようと思っていましたが、書けなくなりました。

昨夜は帰宅が遅かったのですが、メールを開いたら友人から衝撃的なメールが入っていました。
がんが見つかり入院していたというメールです。
最近、その人の写真を新聞で見て、ますます活躍しているなとうれしく思っていました。
節子にも報告しました。
節子もとても親しみを感じていた人でした。
節子がいたらどんなに喜ぶだろうと思いながら、節子に報告したのがつい2週間ほど前です。
年末には一度声をかけようと思っていた矢先のメールです。

彼女は意志の強い人ですので、状況を乗り切れるでしょうが、いまはどんな言葉も通じないでしょう。
節子がいたら、どういうでしょうか。
彼女なら大丈夫というでしょうか。

突然の不幸の到来。
そのなかには「幸せ」などあろうはずもありません。
ただただ「不幸一色」。
頭で考えることと現実とは、かくも大きく違うのです。
節子にがんが見つかった時に、誰かが「不幸のなかに幸せがある」などといったら、たぶん私はその人とは二度と付き合いたくないと思ったでしょう。
事実、それに類したことがあって、私はその後会えなくなった人がいます。

しかし、不幸な出来事が不幸だけだとしたら、それこそ救いがありません。
節子はどうだったのか。
手術をした後の節子のことを思い出します。
節子の不幸に、私は少しでも「幸せ」を与えられただろうか。
もしそれができたのであれば、メールを送ってくれた彼女にも何かできることがあるかもしれません。
しかし、その答が見えてきません。

節子
教えてくれませんか。
あなたが期待していたKさんです。
早く克服して、また仕事を始めてほしいです。
神の試練は、本当に不条理です。

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