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2009/12/22

■節子への挽歌842:節子がいない不安さ

節子
ジュンの結婚相手の両親に会いに行ってきました。
こういうのが私は一番不得手です。
節子がいたらすべて節子の指導の元に行えるのですが、これからは私が考えなければいけません。
なにやら心許ない気がします。

私たちよりも少し年上ですが、とてもカジュアルでゆったりと生きている感じです。
どこかで私たちと通ずるところがあります。
節子がいたらきっと気が合ったでしょう。
返す返すも残念で仕方がありません。

たまたま結婚相手の姓が私たちと同じ「佐藤」ですので、ジュンの姓は変わりません。
新居はわが家のすぐ近くです。
先日、荷物を運ぶのを手伝いがてら、見てきましたが、明るくていいところです。
窓から富士山も見えるのです。
私たちの新婚当時に比べれば恵まれています。
テレビもありますし。

年内にはジュンは出ていきます。
ちょっと寂しくなりますが、節子がいなくなった寂しさに比べたら、どうということでもありません。
節子がいなくなった後は、どんな寂しさにも耐えられます。
いや、寂しさすらも感じなくなっているような気もします。

相手のご夫妻と話しているとやはり節子を思い出します。
やはりここにいるべきは私ではなく、節子ではないかと思えてなりません。
節子
きみがいなくて、とても残念です。
喜びをどうも実感できないのです。
これからどうやって付き合っていけばいいか、ちょっと不安です。

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妻への挽歌05」カテゴリの記事

コメント

うちも息子が結婚しましたが、私も親の役目を一人で引き受けるのがほんとに
頼りない思いでした。そして、同じ目線で喜びを分かつことが出来ないことが
無念で仕方ありませんでした。彼女のご両親に会った時も、主人がいたら
どんなにか話もはずんだことだろうに・・・と、私の話し方がずるずるして
るんじゃないかととっても心配でした。

喜びが大きいときも、その反対の気持ち辛さも大きいことに気づきますね。

投稿: masa | 2009/12/22 22:27

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