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2009/12/20

■「介入」という言葉の語感

私は思い込みが強いために、よく失敗をしているのですが、つい最近の「失敗」の事例です。

ホームページには書いたのですが、先週、介護予防に関するある小さな委員会がありました。
私も場違いながら、その委員になったのですが、事務局の説明を聞いていて引っかかった言葉がありました。
その言葉は「地域介入」という言葉です。
介護予防プログラムが効果的に展開知るために、地域に介入するというような表現で話されました。
ドキッとしました。
まさに「生政治」の恐ろしさを感じてしまったわけですが、あまりにそのインパクトが強かったため、介入って凄い言葉ですね、というようなことを言ってしまいました。
みんなきょとんとしていたのにさらに違和感を持ってしまい、こうした用語に研究の姿勢が出ていますね、などと少し感情的な発言をしてしまったのです。
私以外は専門家なのですが、そのお一人が「インターベンション」の訳語ですよ、と教えてくれました。
インターベンション。確かに私がささやかに関わっている自殺対策でも「危機介入」と訳されて使われています。

しかしどうもすっきりしません。
介入という言葉には植民地主義を感じさせます。
私が会った福祉の専門家は、ほぼ例外なく、目線が高かったのですが、まさに介入も目線の高さを感じます。
辞書的にいえば、文字の形が示しているように、間に入ることなのでしょう。
しかし、私にはなぜか権力のにおいを感じます。
過剰反応かもしれません。

私が保育の世界に関わりだした時に驚いたのは「措置」という言葉でした。
保育に欠ける子どもを措置するなどと語っている保育者にあうと、それだけでもその人を信頼できなくなりました。
しかし、驚くべきことにみんな「措置」というのです。
その後、社会福祉の基本構造が法的には変わり、措置から契約に変わりましたが、今もって福祉の世界は「措置」の世界です。
最近、介護保険関係の研究会にも参加させてもらったのですが、形式はともかく実態は措置の世界です。

言葉は人の意識を規定していきます。
私は自らが使う言葉にはかなりこだわりを持っています。
「措置」に関しては、多くの人が否定的に捉え、最近はあまり使われませんが、「介入」はどうでしょうか。
権力や差別を感ずるのは私だけでしょうか。
ちなみにインターベンションには、調停とか仲裁とかいう訳語も当てられています。
そこには垂直構造ではない水平構造の感じがします。

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