■節子への挽歌849:最近、涙したことはありますか
節子
今年もまた私は、たくさんの涙を流しました。
その多くは節子を思い出してのことですが、それだけではありません。
他者のために涙することも少なくありませんでした。
悲しくて涙が出るだけではありません。
感動して涙し、うれしくて涙し、涙に誘われて涙し、というように、涙はよく出るのです。
「笑いの効用」ということはよく言われますが、「涙の効用」もあります。
泣くことは癒しになるとか、泣くことで心身が清められるとか、いろいろ効用はあるようです。
みなさんは「笑うこと」と「泣くこと」とどちらが多いでしょうか。
私は節子のことでよく涙を出しますが、それでも笑うことの方が多いように思います。
しかし実際には「笑うこと」と「泣くこと」は同じことなのかもしれません。
いずれも「こころで生きている瞬間」だからです。
よく笑う人は、よく泣きます。
よく泣く人は、よく笑います。
節子も私も、よく笑いよく泣きました。
娘たちから笑われほど、私たちはよく泣きました。
節子がいなくなってからは、節子の分まで私は涙を出しました。
たくさんの涙を流した今年は、言い換えれば、たくさん笑った年でもあります。
しかし、笑いはなかなか文字にはなりません。
この挽歌にはどうも「笑っている私」よりも「泣いている私」が出てしまっていますが、私と会った人たちは、逆の印象を持つのではないかと思います。
笑いは外に向けて表現できますが、涙は内に向けての表現になりがちです。
節子がいなくなってから半年は、涙も笑いもあまり出ませんでした。
しかし、最近は涙も笑いもよく出ます。
節子がいなくても、節子と一緒に、泣き、笑うことができることをとてもうれしく思います。
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