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2009/12/18

■節子への挽歌838:花かご会のみなさんがお墓参りまでしてくれました

節子
昨日、自宅に花かご会の人たちが来てくれました。
私はオフィスに出かけていたため会えませんでしたが、節子はみんなと会ったことでしょう。
わが家に来てくれた後、みなさんはお墓まで行ってくれたそうです。
節子はほんとうにいい仲間に恵まれました。

節子が花かご会を呼びかけたのは、こちらに転居してきてからですから、病気になる1~2年前ではないかと思います。
つまり、節子がみんなと一緒にがんばったのはそう長い時間ではないはずです。
しかもみんな、この活動を通じて初めて出会った人たちです。
病気になってからも、少し回復した時期には活動に参加していましたが、それも2年ほどでしょうか。
にもかかわらずみんな節子のことをほんとうに気遣ってくれましたし、節子がいなくなった後も、命日には必ずお花を届けてくれますし、お参りにも来てくれます。
そして少し離れたところにあるお墓にまで行ってくれるのです。

人のつながりとは不思議なものです。
長い時間付き合っていたにもかかわらず、突然に疎遠になり、関係が消えてしまうこともあります。
そうかと思えば、ほんの15分の立ち話しかしなかった人と心が通じ合うこともあるのです。

女性はみんなそうなのかもしれませんが、節子は気持ちの合う人を瞬時に見分けていたような気がします。
「見分ける」というのは正確ではないのですが、私と違って誰とでも付き合うわけではなく、しかし自分の世界の人とはすぐに仲間になる人でした。
まあ、娘たちが言うように、節子は「天然」で素直で、嘘が言えない人でしたから、付き合う相手も自然と決まっていたのでしょう。
節子と同じセンスをもった人たちです。

私がその一人に選ばれたことはとても光栄です。
節子は私を理解してくれていたわけです。
おかしな表現ですが、私はそれを誇りに思っているのです。
小賢しい理屈が大好きで、そういう世界に引かれがちな私が、辛うじて現場(真実)につながる生き方ができているのは、節子が伴侶だったおかげです。

もっとも節子は、私の理屈好きと小賢しさ、もっと悪く言えばずるさを知っていました。
修の賢いところは好きではないといわれたことがあります。
念のためにいえば、節子は当初は私の賢さに惚れていたのですが。
まあ、このあたりがややこしいところです。
賢さと愚かさは、コインの裏表なのです。
宮沢賢治はそのことを知っていたでしょうが、節子もたぶんそのことを感じていたのだろうと思います。

こう書いてくると、節子の友だちは賢くない人と言っているように受け取られそうですが、誤解のありませんように。
ほんとうの賢さは人柄に現れるといいたかったのです。
いやこれでもまた誤解されそうですね。
しかし少なくとも節子は「賢くない賢さ」を持っていたような気がします。
ますますややこしいですね。
すみません。

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