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2009/12/06

■新潟水俣病のこと

新潟水俣病資料館に行ってきました。
新潟にいる金田さんの案内で、アポイントもなく立ち寄らせてもらったのですが、塚田館長にお会いでき、しかも2時間以上にわたってじっくりとお話を聞かせてもらいました。
改めて、水俣はまだ終わっていないと痛感しました。
そして若い頃感じたアカデミズムへの憤りを思い出すとともに、その中で誠実に取り組んでいる人たちへの敬意の念も思い出しました。
軽い気持ちで立ち寄ったのですが、私にとってはずっしりと心に応えた日になりました。

塚田さんから新潟水俣病が確認された当時、厚生省から出向していた新潟県衛生部長の北野博一さんの話をお聞きしました。
感動しました。
厚生省にもこういう人がいたのだという話です。
見事な対応でした。
しかし、その後、動きは鈍くなります。
大きな経済が、小さな生活に勝ってしまったのです。
コラテラルダメッジの一例でしょうか。

北野さんの名前は私の頭の中にしっかりと入りました。
帰宅してネットで調べたら出てきました。
お時間があれば読んでください。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/minamata/20060907/20060907_044.shtml

この記事に出てくる坂東弁護士がエントロピー学会で昨年話された講演の記録を以前読ませてもらいましたが、その坂東さんが書かれた「新潟水俣病の三十年―ある弁護士の回想」を読もうと思います。
久しぶりにまた水俣病に関心が戻ってきました。
つながりと支え合いが壊れだした原点が、もしかしたらそのあたりにあるのかもしれません。

塚田さんが、北野さんの原点はハンセン病療養所に関わったことらしいです、と教えてくれました。
その話しぶりがとても説得力がありました。
現場を知っている人は本当の人生を生きられる、という私の仮説に合っています。

塚田さんは最後に、私のところにある宝物をお見せしますといって、書庫を案内してくれました。
訴訟に関する克明な記録、原告の日記などが積まれていました。
塚田さんは、それを時間をかけてパソコンに入力されているようです。
こうした人によって社会は支えられているのだ、と改めて頭が下がりました。
自分の生き方の軽さを反省させられた1日になりました。

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