■友愛の動きの広がり
今年は、身の回りでの「社会の壊れ」を強く実感する一方で、私にとってはうれしい方向への大きな変化の予兆をいくつか感じました。
一番大きな期待は、「友愛」の発想が政治の世界でさえ語られ出したことです。
あまり評判が良いわけではありませんが、政治の基本は友愛であるべきだと思っている私には嬉しい話です。
選挙は人が死なない戦争だ、などという話を昨日のテレビで多くの総理に仕えた飯島さんが話していましたが、とんでもない話だろうと思います。
そんな発想はもうそろそろ卒業してほしいものです。
企業経営の世界もよく戦争にたとえて語られますが、これもそろそろ卒業すべきだろうと思います。
数年前に私が訳させてもらった「オープンブック・マネジメント」(ダイヤモンド社)を訳す気になった一つの理由は、企業経営のモデルを「戦争モデル」から「ゲームモデル」へと転換するメッセージが含まれていたからです。
人がいるかぎり、戦争はなくならないと多くの人は思っているかもしれませんが、そんなことはないはずです。
私たち一人ひとりの心身のなかには、むしろ「友愛」あるいは「ケアマインド」が埋め込まれているからです。
隣の人が危険に直面したら、反射的に助けようとする、それが人間ではないかと私は思っています。
生命の連続性に関して、挽歌編ではしばしば書いていますが、その生命の連続性の名残がまだ残っているはずです。
しかし、そこに一瞬の時間が入り込むと、途端に私たちは迷い出します。
連続した生命の一部を「個人」として自立させてしまった人間は、自我を持ち出し、全体の生命よりも自分を守るという知恵を身につけてしまいました。
そのため、本能的に反応してしまっては、もしかしたら、個としての生をまっとうできないという、おかしな状況が発生したように思います。
しかし、その知恵を持ちながらも、なお「友愛」と言い出した鳩山首相に、私はとても感謝しています。
なぜならどんな動きも「言葉」を与えられて初めて定位し、実体化するからです。
年末になって、実はそうした、とても心温まる動きが私のまわりでいくつか起こりました。
来年は、そうした私の回りで始まった、いくつかの「友愛」の動きを紹介していけるような気がします。
今年よりも、もう少し建設的な時評を書きたいと思っています。
今年もお付き合いいただき感謝します。
1月5日のお昼過ぎから8時まで、私の湯島のオフィスでぼんやりしている予定です。
もし気が向いたら、コーヒーを飲む気分でお立ち寄りください。
案内をホームページのお知らせに掲載しています。
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