■節子への挽歌851:3回目の年越し
節子
今年もまもなく終わろうとしています。
この挽歌も最近は「日記」のような内容になってきてしまいましたが、少なくとも毎日1回は節子とパソコンを通して語り合うことができました。
今年の年末はユカと2人だけの、少し寂しい年越しです。
働き者のジュンが結婚したため、家の掃除も今年はかなり手抜きになりました。
なにしろ肝心の時に、私が風邪でダウンしてしまったからです。
ジュンは近くに住んでいるので、昨日はユカと2人でおせちなどの買出しに行ってくれましたし、今日も庭の工房にタイルを焼きに来ていましたので、さほどジュンが出ていった実感はないのですが。
午後、3人でお墓の掃除にも行きました。
まあこれが最後になるでしょうが。
私は、今年はいささか不確かな足取りでスタートしましたが、昨日書いた自殺の問題に関わらせてもらったおかげで、家にこもりがちな生活からは脱することができました。
ただ逆にさまざまな問題がまた集まりだしてきて、いささか心配ではあります。
私的にも問題はたくさんありますが、節子がいない今、一人で一つずつ解いていかなくてはいけません。
気の重さは拭えません。
節子がいなくなってから、今年が良い年だったかどうかの判断はできなくなってしまいましたが(つまり「良い年」という概念がなくなったのです)、少なくとも今年は「悪い年」ではなかったといえるでしょう。
今年の一番の変化はジュンの結婚です。
ジュンは決めたことは必ずやるという人ですが、決めるのが少し遅すぎました。
節子がいたら、全く違った展開になったかもしれませんが、なにしろ相談相手が私なので、ジュンも苦労しています。
でもまあ節子の心配の一つは解消したわけです。
来年はユカの結婚を目指さねばいけません。
挽歌を通しての節子への語りかけで、私の精神的安定感は回復してきた気もしますが、その一方で身体的安定感は老化によって次第に低下しています。
しかし、幸いに今年は何事もなく無事年を乗り越えられそうです。
しかし考えてみると年賀状も1枚も書いていませんし、年内にやろうと思っていたことが山のように残っています。
でもまあ間もなく今年も終わります。
用意ができていようといまいと、時間は経過します。
こうやってみんなやりたいことを残して人生を終わるのでしょうか。
そう考えると、やはり節子が言ったように、毎日を納得して生きることが大事ですね。
来年は私もそれをもっと心がけたいと思います。
挽歌を読んでくださったみなさま、ありがとうございました。
ホームページのお知らせにも書きますが、1月5日の午後はたぶん湯島のオフィスにぼんやりしながらいる予定です。
気が向いたらお立ち寄りください。
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