■節子への挽歌839:オリオン
節子
昨夜は帰宅が少し遅くなったのですが、駅から自宅までに間、星に見とれながら歩いていました。
私は視力があまりよくないのですが、オリオン座がきれいに見えました。
しかしいくら想像力をたくましくしても、決して、狩人オリオンの姿は見えてはきません。
古代ギリシア人はどうして夜空に具体的な物語を見つけられたのだろうかというのは、子どもの頃からの疑問でした。
昔はもっと星がよく見えたたからだという説明は、私には説得力をもちません。
もし夜空が地上での私たちの世界の鏡であるとすれば、世界から物語がなくなったからではないかと思います。
世界の物語はいまや退屈なものになってしまいました。
内山節さんが言うように、私たちはキツネとさえ話せなくなってしまったのです。
ましてや草花や山や川とはもっと話せなくなってしまっているでしょう。
もちろん霊魂や、過去や未来の人たちとも話せません。
そこに生まれるのは退屈な小さな物語です。
広大で深遠な夜空の舞台は必要ないでしょうし、その舞台を仰ぎ見るたくさんの人たちをつなげる話は望みうべきもないのです。
こんな話は挽歌にはふさわしくないですね。
オリオンは一般にはさそりに刺されて死んだといわれていますが、恋人のアルテミスに射られたという話もあります。
それを誘ったのはアルテミスの兄のアポロンだったともいわれます。
家族と恋人、古い家族と新しい家族。
これは時に悩ましい問題にさえなってしまいます。
私たちはその点では全く同じ家族観を持っていました。
一緒に暮らしだした、その瞬間から、新しい家族を創りだすという生き方です。
相談したわけではなく、それは私たちにとっては当然のことでした。
私たちはすべてゼロからはじめました。
頼るのは伴侶だけ。
どんなことがあっても、両親や家族には弱音をはかない。
それが私たちの起点でした。
私が嫉妬を感ずることがあるとすれば、節子の男友だちなどではなく、家族でした。
節子は、私もそうでしたが、家族をとても愛していました。
長年培ってきた家族への愛は、新しくできた伴侶との愛よりも深いものです。
しかし結婚するとは、その関係を超える愛がなければいけないと思っていました。
であればこそ、私は節子の愛を独占したかったわけです。
今から思えば、なんと勝手な話でしょうか。
しかし、私たちは不思議にも、お互いに自然とそれができたように思います。
夫婦の愛を基本にして、それぞれの両親家族への愛を再構築できたのです。
こういう書き方をすると、なんだかいやに理屈っぽいのですが、要するにそのおかげで、私たちには嫁姑関係はもとより、親戚付合いでの意見の食い違いはまったくなかったのです。
ですから、アポロンにそそのかされることもなく、節子は私を愛し、私は節子を愛することができたのです。
むりやりオリオンの話を広げてしまいました。
素直に言えば、昨日、夜道を歩きながら、このきれいな夜空を節子にも見せたいなと思っただけなのです。
長々とすみません。
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