■節子への挽歌843:自立できない不甲斐なさ
節子
きみに相談したいことが山のようにあります。
それができないために、滞っていることが少なくありません。
沖縄の基地をどうするかとか、地球温暖化の対策をどうするかとか、そんな私にとっては「遠い向こう」の問題ではありません。
もっと身近な問題です。
まあ社会一般には「瑣末」な問題なのですが、私にとっては地球温暖化よりもはるかに重要な問題です。
最近、いろいろと身体的な障害が出てきています。
どうしたらいいか。
医者に行けばいいだけですが、医者嫌いな(単に待ち時間が嫌いなだけですが)私としては、節子の一押しがなければ行けません。
それに節子がいないいま、健康であることの意味があまり実感できません。
病気になった友人がいる、どうしたらいいでしょうか。
相手が男性であればそれなりに対処できますが、女性だったらどうしたらいいかわかりません。
毎日、気になりながら時間がたちます。
お世話になった人がいます。
何を贈ればいいでしょうか。
いや贈ることは失礼かもしれない。
贈ってしまうと倍のものが返ってきてしまう。
優柔不断な私は困ってしまうわけです。
そしてだらだらと時間がすぎます。
私の会社の経営や仕事に関する判断であれば、即座にできます。
論理で決められるからです。
しかし生活に関わることは、論理より情感の世界です。
これまでは、その種のことは、すべて節子に任せていたので決められないのです。
節子がいた頃は、「○○しといてよ」といえば、すべて終わっていたのです。
節子が考え相談してくれたのです。
私は「それでいいんじゃないの」と答えれば、すべて終わっていたのです。
それがそうはならなくなってきた。
いまさらながら、自分が生活において自立していないことがよくわかります。
修も自立しなければと、節子はよく言っていましたが、そもそも私には自立する気はありませんでした。
夫婦とは、それぞれが自立するのではなく支え合う存在ではないか、と思っていたのです。
そのくせ、仕事などになると。「コンヴィヴィアリティ」などと難しい言葉を出して、共生や支え合うためには、それぞれが自立しないといけないなどと言っていたのです。
コンヴィヴィアリティ。「自立共生」という意味の、イヴァン・イリイチの用語です。
知行合一を信条としているくせに、これまた矛盾です。
困ったものです。
さて積み残している懸案事項をどうするべきか。
もう数日延ばしましょう。
今日はとても良い天気ですから、悩むには相応しくありませんから。
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