■地球温暖化問題への不謹慎な意見
地球温暖化の問題がどんな意味を持っているのか、私にはどうも理解できずにいます。
コペンハーゲンのやりとりの報道を見ていると、要するに損得の話であって、誰も本気で心配していないのではないかという気もします。
損得の話には、私は興味がありません。
そういえば、「地球温暖化論に騙されるな!」という本も講談社から出版されています。
すでに温暖化の時代は終わり、地球は寒冷化の時代に入ったというのです。
その本によると、2007年1月と2008年1月の平均気温を比較すると0.6度も下がっているというのです。
私はまだその本を読んではいませんが、その本は、だから大丈夫だなどとはいっていないようです。
問題は地球の水と空気の汚染です。
本来自然には存在しないはずの人口的な物質が毎年6000種類のペースで増えているのだそうです。
恐ろしい話です。
私には温暖化よりもそのほうがリアリティを感じます。
温暖化は、暖かくなっていいなと思う程度なのです。
見識のある人たちからは嘲笑されそうですが、それが私の実感です。
環境負荷を少なくすることには異論があるわけではありません。
しかし環境問題を口実に、企業も政治も環境負荷を高めているようにしか、私には思えません。
環境問題を論じている人で、本気で行動している人にはめったに出会えません。
難しい議論をする前に生活を見直すだけでかなりのことはできるのです。
自民党政府が始め、民主党政府までもが継承したエコポイントなどは愚の骨頂というか、環境負荷を高めるだけのものでしょう。
しかも仕組みが環境負荷を高めるようになっています。
目的は産業活性化なのですから当然の話です。
言説の時代の問題は、物事が大げさになることです。
それを否定はしませんが、それでは問題は解決しないというのが私の基本姿勢です。
たとえば自殺者を減らすためには自殺問題解決に取り組んでもだめでしょう。
介護保険制度をつくれば要介護者が減るわけではありません。
子ども手当てを増額すれば子どもが増えるわけでもないでしょう。
持続可能な経済を考えようとすれば、ますます持続可能性を損なうことにもなりかねない。
そんな気がしてなりません。
ではどうするか。
自らの生き方を変えることです。
まずは自分自身の生き方を変えていく。
それがすべての出発点です。
アメリカの森林管理官だったA.レオポルドは、人間と自然とを分けて考えるのではなく、ある土地に生きる人間と自然の関係全体を「生命共同体」と捉えて考えようと提案しました。
キリスト教の国からこういう発想が出てくるのはすごいと思いますが、これが日本人の昔からの生き方だったのではないかと思います。
私にはなかなかそういう生き方はできませんが、せめて意識だけはそうしようと心がけています。
そのためにも、自分で実感できない言説にはあまり振り回されないようにしています。
温暖化にしろ寒冷化にしろ、私の手には負えません。
できるのは極力無駄な電気を使わず、お金を使わず、食材を大事にすることです。
それなら私にも、それなりにできますから。
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