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2009/12/21

■節子への挽歌841:使われることのなかった竹筆

一昨日、テレビでジミー大西がアフリカのポップアート、ティンガティンガを学びにいったドキュメント番組をやっていました。
ジミー大西の絵は心をわくわくさせるだけでなく、次元を超えた深みを感じます。
絵自体はとても単調で平板に見えるのですが、次元のない多次元を感ずるのです。
番組そのものは私好みではなかったのですが、登場する現地の人たちの明るさの魅力もあって、何となく見てしまいました。
それはまあ、それだけの話なのですが。

昨日、部屋の掃除をしたことを書きましたが、一本の竹筆が出てきました。
まだ使われていない竹筆です。
節子のものです。
使われることのなかった竹筆。
節子がこれを購入したのは、2006年6月2日です。
節子の運転で真鶴まで小旅行した時に買ったものです。
その時の経緯は、私のホームページの週間報告に書かれています。
その時のことを思うとあまりにたくさんのことが思い出され、また感傷の世界に引き込まれそうなので、記憶を封印しなければいけません。

見つかった竹筆は、その時出会った竹筆書芸の望月一幸さんから購入したものです。
竹の根を鉛筆のように削った筆で、墨をつけて書くのです。
それを「筆」といっていいのか気になりますが、望月さんは目の前で見事な「筆づかい」を見せてくれたのです。

節子は、しかし、その竹筆を一度も使おうとしませんでした。
新しいことにいつも前向きで、すぐに挑戦した節子にしてはめずらしいことです。
がんの再発が確認されたのは、それから3か月以上たってからです。
いままで気がつきませんでしたが、考えるほどに不思議です。
あんなに楽しそうに竹筆を選んでいたのに。

だんだんまた当日のことを思い出してきそうです。
これ以上書けそうもありません。
節子はほんとうに「罪つくり」の人です。
いなくなるのなら、全部持っていけ、といいたいです。

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