■節子への挽歌830:かけがえのない節子がいなくなるはずがない
わが家の自動車のトランクになぜか荷物がたくさん積まれています。むすめたちが整理してくれました。
出てきたのは、カンパンの缶詰と水のボトルとラジオなど、非常時のセットでした。
もちろん用意していたのは節子です。
テレビで阪神大震災の被災者の人が、自動車に積んでいたおかげで家屋崩壊しても大丈夫だったと話していたのを訊いて、すぐに節子が自動車に積み込んだのだそうです。
娘のユカから教えてもらいました。
したがってもう3年以上前のものです。
節子は、こういうことにかけては動きが早かったのです。
テレビやラジオで共感する話を聞くと、すぐにそれを自分の生活やわが家に持ち込みました。
わが家の文化は、節子が持ち込んだものが多いのです。
もっとも、節子は私と同じですぐ忘れたり、宗旨替えをしたりしますので、まあ自動車の非常食セットも用意した後は忘れてしまっていたはずです。
案の定、ポータブルラジオは電池が切れていてなりませんでした。
まあいかにも節子らしいです。
しかし、そういうように抜けているところが、私はとても好きでした。
まああまりにも抜けていて、時に喧嘩になることもありましたが、喧嘩があればこそ愛し合えたのです。
娘たちがカンパンの缶詰を位牌に供えました。
親が親なら子どもも子どもです。
自動車のトランクには、温泉セットも入っていました。
ドライブの途中で温泉に入りたくなったらすぐに入れるようにということですが、これは2回ほど役立ったことがありました。
真鶴と大洗です。
その時のことがはっきりと思い出されます。
節子の使っていた家具の中などは実はまだあまり整理していないのです。
中から何が出てくるかわかりませんが、できることならそのまま保存しておきたいという気持ちが、私のどこかにあるのです。
ですから自動車の中も娘たちが整理するまでは放置していたわけです。
しかしこうやって何かを整理すると、必ず節子の痕跡が出てきます。
それが私には節子からのメッセージのように感じられます。
ちょっとした痕跡の中に、節子のすべてを感じるのです。
だからどうしてもまだ節子が此岸にいるような気がしてならないのです。
いまも隣の部屋にいるような気がしてなりません。
節子。私にとってはかけがえのない人でした。
その人がいなくなるはずがない。
今でも時折そう思います。
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