■節子への挽歌854:難しい1年、普通の1年
今日はメールで新年の挨拶を送ってきてくれたSさんの話です。
Sさんは私よりも若いのですが、私と同じく愛する人を亡くされました。
私もそうですが、愛する人との別れは人生を大きく変えてしまいます。
Sさんは会社も辞め、いまは介護福祉士を目指して学んでいるところです。
まだお会いしたことはありません。
この挽歌が縁で、メールのお付き合いが始まったのです。
Sさんのメールも、ドキッとさせられる言葉がさりげなく書いてあります。
最近では、人生に自分で幕を引くのは無理だと思うようになりました。さりげなく書かれていますが、Sさんのこの1年のことが伝わってくるような気がします。
自然にその時を待つしかないと思うようになりました。
そうすると、その間は何とか生きていかなければならないのですが、いまのところそのパワーは、普通の方と比べると半分あるかないか、といったところでしょうか。
愛する人を失った時の戸惑いと意志の崩壊。
幕が引けるならどんなにいいだろうかと思いたくなるほどの喪失感。
その一方での、いのちの意味の気づき。
Sさんはつづけます。
こんな人生になるなんて、夢にも思っていませんでしたね。「難しい1年」
だけどなってしまったからには自分で何とかするしかないんですけどね。
また、難しい1年が始まります。
この言葉がとても腑に落ちます。
最後にこう書いてくれました。
良い、とういうか普通の1年を過ごされますように
それが、実はとても難しいのです。
Sさん、そうですよね。
今年はもしかしたら、Sさんともお会いできるかもしれません。
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コメント
Sさんのお話・・・ほんとにそうですよね。
あの日、あの時から何がどうなったのか・・・逝かせたくなかった私なのに、
逝きたくなかった主人なのに、どうしても運命がそちらの方向に行ってしまった。
止めることができなかった。力を出し切ってしまって、今はほんとにチカラが
出ない。何の納得も出来ていない自分に毎度あきれます。
周りの人が「早いわね、もうそんなに時間が経ったのね」と慰めのつもりで
おっしゃって下さる言葉にも、にこやかに受け流しながら「私はあれからの
一日、一日がとてつもなく長く感じるのになあ」と思っています。
今日一日を過ごしたということは一日主人のところに近づいたと思うことで
なんとか日々を重ねているのですが・・・・・長いです。
自分でなんとかするしかない・・・・のかもしれませんが、私は「主人と私の
二人のこれからは、二人で相談(?)していくしかない」のかなあと漠然と
思っていますが、まだ主人がいなくなった意味がどうしても分からないので
宿題ばかりが積みあがっていきます。
昨年暮れに父が天に召されましたので私は2年続いて喪中のお正月です。
父にはほんとにほんとに可愛がってもらい、大きな温かな存在がいなくなって
寂しさも大きいです。でも天寿を全うした年齢ということもあるのかもしれ
ませんが、父はす~~~っと天に昇ったような気がするのです。そして私の
気持ちも穏やかです。主人の時の「無念さ」「ひりひりと痛む思い」とは別の
ようなのです。不思議ですが・・・・
今年もどうかよろしくお願い致します。
投稿: masa | 2010/01/03 15:34
masaさん
いつもありがとうございます。
とても共感します。
私もほぼ同じです。
投稿: 佐藤修 | 2010/01/03 21:16