■むかし書いた2つの小論
むかし書いた2つの小論があります。
「21世紀は真心の時代」と「脱構築する企業経営」です。
前者は社会のあり方、後者は企業のあり方についてまとめたものです。
先日紹介した「ゼロから考える経済学」のことを読んで、この2つの小論を思い出しました。
「21世紀は真心の時代」は、毎日新聞社の懸賞論文に入選したものです。
当時は「真心の時代」という言葉が宗教臭いと言われましたが、その後10年足らずで「心の時代」は流行語になりました。
もう一つその小論で私が造語した言葉があります。
「ナノテクノロジー」です。
当時は勝手な造語だと思っていましたが、これは今では一般用語になりました。
この小論を書いた時には、まだ論理演算で思考していた面が多かったのですが、その実践の一つが、当時私が勤務していた東レでのCI活動です。
それが私の人生を変えてしまったわけです。
今週のCWSコモンズにも書きましたが、その小論は「管理の時代」から「真心の時代」へのパラダイムシフトが骨子になっています。
私のその後の生き方は、すべてこの小論の流れに沿ってきました。
おかげで予想外の一つに要素(妻を病気で見送りました)を除いては、私の人生はとても生きやすいものになっています。
しかし、その小論が契機になって取り組んだCI活動のおかげで、私は東レを辞めてしまいました。
企業の行く末とそこでの自分の居場所のなさを見てしまったからです。
会社を辞めてから日本能率協会の月刊誌に連載したのが「脱構築する企業経営」です。
これは勉強不足で中途半端な小論になってしまいましたが、「21世紀は真心の時代」の延長上の小論です。
消費機関としての企業論という発想は、当時としてはそれなりに新しかったと思います。
この連載を書いて行きついたのが、新しい企業論としての協同組合論でした。
しかも「マネジメントフリー」が結論でしたので、読者からは怒られました。
しかしこの小論を書いていたときには、かなりの気負いもありました。
そこから論考を発展させれば、もう少し私の知見も広がったのでしょうが、その頃から何かをまとめるということへの関心を失ってしまいました。
一応、「コモンズの回復」と言うタイトルは決めたのですが、ついに書くことなく終わってしまいました。
その代わりに、こうして毎日、気楽な雑文を書いてしまっているわけです。
最近、「新しい公共」という議論が広がっています。
「公共」などといわずに「共」、つまりコモンズといえばもっと思考が明確になるだろうと思いますが、新しい公共論もNPO論も、あるいは社会起業家論も、私には全く退屈です。
パラダイムシフトしない限り、意味がないと思っているからです。
では私がむかし書いた2つの小論は、パラダイムシフトしているでしょうか。
いやせめて「脱構築」しているでしょうか。
おそらく私がいま退屈だと思っている議論と同じように、あるいはそれ以下に、従来型の発想のなかの話かもしれません。
しかしそれから30年、私のいまの生き方があるのは、この小論の実践の結果なのです。
もしかしたら言葉では表現できていないかもしれませんが、私自身は新しいパラダイムを会得したのかもしれません。
いささか手前勝手ですが、最近、そう思い出してきました。
しかしその考えを誰かに伝えることはとてもできないなとも、思い出しています。
このブログも全部読んでもらうことなどできませんから、私の思いが伝わることなどありません。
まあ全部読んでもらっても、伝わらないでしょうが。
価値観はやはりあくまでも個人の中にしか育たないような気がします。
最近、疲れるやすいのは、もしかしたらそのせいかもしれません。
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