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2010/01/23

■まちづくりは60年の時間軸で考えなければいけません

最近しばらく休んでいましたが、私は数年前まで各地のまちづくりにささやかに関わっていました。
まちづくりに関わる時の私の時間間隔は30年でした。
いわゆる1世代という時間感覚です。
ですから少し大きめのプロジェクトの場合は、せめて10年近くは関わらせてほしいと要望を出しました。

10年ほど前に、山形市でまちづくりの全国フォーラムを開催しました。
基調講演を当時水俣市の市長だった吉井さんにお願いしました。
すばらしいお話でした。
夜のワークショップにも吉井さんは参加してくれました。
そこでまちづくりに取り組む際の時間軸の話になりました。
みんなの急ぎすぎる発言を聞きながら、私の持論である30年発想で考えることを話しました。
それを聞いた吉井さんがいいました。
佐藤さん、30年では短いです。私は60年で考えています。

吉井さんは林業家です。
林業でのビジネスサイクルは60年なのです。
私のように頭で考えた理屈ではなく、吉井さんのは現場の実感なのです。
いらい、私は30年論を撤回しました。

60年発想とは、私たちの生活感覚からいえば、3世代発想ということです。
私のは2世代発想でした。
この違いは大きいと気づいたのです。
世代間倫理と言うようなことを考えるのであれば、最低60年は必要なのかもしれません。
しかし、60年となるとなかなか実感はできません。
それが悩みどころですが、要するに急いではいけないと言うことです。
しかしスピードをコアバリューの一つに置く産業社会に生きている私たちは、無意識に時間軸を短く、しかも異常な速度感を埋め込まれてしまっているような気がします。

さて政治の話です。
私たちの時間感覚を変えないと、せっかく流れを変える動きがでてきたにもかかわらず、そのチャンスを活かせない恐れがあります。
そう思いながら、最近、いささか世間の動きに失望していましたが、急いでいたのはむしろ世間ではなく自分ではないかと気がつきました。
急ぐと心身によくありません。

しかし、一度埋め込まれた時間感覚を変えるのはとても難しいです。
個人でもそうなのですから、世間の時間感覚はそう簡単には変わらないでしょう。
ゆっくりと受け止めなければいけません。
どうやら私の今生では、時代の流れには遭遇できないかもしれません。
少し残念ではありますが

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