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2010年1月

2010/01/31

■そろそろ仕事とお金を分けて考えましょう

新しい経済システムを考える際に重要なことは「仕事」の意味を考え直すことではないかと思います。
「仕事と思いやる金の関係の見直し」など、これまでも何回か書いてきました。
先日のオープンサロンでもお話したのですが、仕事は社会との関わりの活動、人とのつながり方の関係活動と考え、お金はそれとは全く別の次元のものと考えると世界の見え方は変わってきます。
金銭的な評価を受けない家事労働がシャドーワークとされたり、価値のない仕事とされたりするのは、金銭を主軸に考えるからです。
そこから抜け出せば、とても生きやすい世界に移住できます。
社会と関わったり、人とのつながりを育てたりすることは、お金がなくてもできるのです。

仕事をお金と切り離して考えると、つい50年前までは幼児や老人もみんな仕事をしていました。
しかし効率至上主義の工業化社会はそうした人たちを「お客様」扱いしてしまい、彼らから「仕事」を奪い、「消費者」という顧客に貶めてしまったのです。
ここでも私の嫌いなドラッカー信仰が力を発揮しました。
世界が「悪しき経営」思想に覆われてしまったのです。
私の友人知人にはドラッカーファンが多いですので怒られそうですが、ドラッカーご本人はすばらしい人であっても、それが産み出した問題はやはりしっかりと考えなければいけません。
原爆開発を進言したアインシュタインがパグウォッシュ会議を提唱したことを思い出すべきでしょう。
ドラッカーはそれをしませんでした。

また話がそれました。
大切なのは、「仕事」と「お金」の関係を切り離すことから新しい経済パラダイムを考えるべきだということです。
お金をもらえない活動は仕事ではないと考えるべきで゙はありません。
仕事をしていれば、お金が入ってくることもあると考えるべきだろうと思います。
そういう発想で考えると金融で稼ぐ仕事など出てこないように思います。

しかしお金を稼がないと生きていけないと言われるかもしれません。
しかしお金は、自分以外の人がいるからこそ意味を持ってくる「人をつなぐメディア」でしかありません。
人のいない無人島ではお金は何の役にも立ちません。
まずはそこから「お金の意味」を考えて行くのがいいように思います。

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■節子への挽歌882:「なぜなんだ」

節子
今日はとても残念な話です。
書こうかどうか迷ったのですが、書いておくことにします。

年明けに会うことになっていた友人たちがようやく湯島にやってきたので、一緒に食事をしていました。
いつもながらとても楽しい友人たちで、笑いの絶えない食事でした。
一人は節子もよく知っているFさんです。
ところがその途中で、ある話題につなげて、OJさんがこういったのです。
実は妻が急に亡くなってしまった。
思いもよらぬ一言でした。

まだ54歳の若さです。
階段から落ちて脳しんとうを起こし、その数日後に突然だったそうです。
返す言葉もなく、ただただ無念さを共有しようと思うだけでしたが、うまくいきません。
何か言わなければならないというという思いから出てきそうになる無意味な言葉を押さえるのが精一杯でした。

OJさんが言いました。
「なぜなんだ」という思いばかりが浮かんでくる。

そう、ほんとうにそうでした。
「なぜなんだ」「なぜなんだ」「なぜなんだ」「なぜなんだ」・・・・
その理由がわからないのです。
いえ、理由などどうでもいいのです。
ただ「なぜなんだ」と問い正したい気持ちが起こってくるだけなのです。
誰に問い正すでもなく、です。

OJさんは近親の家族だけで3日間かけて、見送ったそうです。
イベントになってしまいがちな、葬儀にはしたくなかったといいます。
そしてその後で、もう一度、奥様側を中心に告別式をしたのだそうです。
いかにもOJさんらしいです。

まだ「現実感」がないとOJさんは言います。
そうでしょう。
そんなことがあるはずがない、あるはずもないことをどうして信じられるでしょうか。
信じてしまったら、それが現実になってしまうかもしれない。
そんな奇妙な思いがきっとOJさんの頭の中を巡り巡っているのかもしれません。
私はそうでしたから。

OJさんはこういいました。
私にはもう「これ」しかないんです。
「これ」とは最近OJさんが取り組んでいる仕事です。
その仕事がうまくいけば、OJさんは奥さんと一緒の楽しい時間へと生活を移すつもりだったのです。
湯島に来たのは、その仕事の相談でした。
仕事にいささか興味を失っている私は、その仕事に関わらせてもらうかどうか迷っていたのですが、この一言で、私の気持ちは決まりました。
私がいまOJさんにできることは、退屈な言葉や気遣いをかけることではなく、OJさんの取り組んでいる仕事の成功に協力することだと。

一度もお会いしたことのないOJさんのパートナーのご冥福を心より祈念しました。
節子
そちらで出会ったら友だちになってください。
キルトづくりに取り組んでいた人だそうなので、きっとあなたとも相性が合うでしょう。
選んだ伴侶も、私と少し似たところがありますし。

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2010/01/30

■豊かさの足元にこそ貧困はある

しばらく休んでいた湯島でのオープンサロンを再開しました。
そこで生活保護や貧困の問題が少し話題になりました。
昨日集まった人たちの中には、貧困問題に少し関わっている人もいましたが、多くの人たちにはたぶん「見えない世界」なのだろうと、改めて思いました。
そこで昨日書いた子どもの問題につなげて、少し「子どもの貧困」のことを書きたいと思います。

「子ども貧困」というとみなさんは何を思い出すでしょうか。
スーダンのやせた子どもの写真を思い出す人は少なくないと思います。
しかしアフリカの子どもたちだけが貧困状況におかれているわけではありません。
子どもの貧困が語られる時にアフリカの子どもたちの写真が使われることに、私は大きな悪意を感じます。
そうした写真こそが、日本の、あるいは経済システムの現実を隠すことにつながっているからです。

OECDの貧困率のデータ(2008年)によると、日本の子どもの貧困率は13.7%です。
つまり、子どもの7人に1人が貧困状況にあるということです。
成長に必要な食事さえ十分にとれない子どもも少なくないのです。
ちなみに、アメリカの子ども貧困率はもっと高く、20%を上回っています。
アフリカではなく、アメリカです。念のため。
このことは何を意味するのでしょうか。
先進国といわれる国家は、同時に貧困問題を内在させているということです。

昨日の集まりで話のきっかけになったのが、北海道出身の人が自分の地域では人口の5%近くが生活保護を受けていると話したことでした。
5%というのは異常値だというニュアンスでしたので、私は異議を唱えたのです。
確かに5%は高い数字です。
厚生労働省の発表によれば、日本の被保護世帯数は既に120万世帯を超え、間もなく150万世帯に達するといわれています。
日本の全世帯数は約4800万世帯ですから、比率にすれば3%程度です。
しかし問題はそこからです。
所得が生活保護支給基準以下である人たちすべてが生活保護を受けているわけではありません。
受けたくても受けられない人も日本では少なくないのです。
該当者が実際に受給している割合を示す「捕捉率」の異常の低さが日本の特徴です。
日本では約10~20%といわれています。
若者の餓死は日本でも起こっています。

数年前に、このサロンで健康保険に入れなくて病死する人がいるという話をしたことがありますが、参加者は誰も私の話を信じませんでした。
それくらいみんな日本における貧困の実態には無知、あるいは無関心です。
子どもの貧困は決してアフリカの問題ではありません。
アフリカは、先進国が国際協力の名目で「援助」してこなかったら、絶対的貧困は起こらなかったかもしれません。
ドラッカーが言い出した顧客の創造戦略が、世界中に相対的貧困を発生させ、その結果、絶対的貧困が起こったのです。
豊かさの足元にこそ貧困はある。
私たちはそのことをもっとしっかりと見なければいけません。

「子どもの貧困白書」が昨年出版されました。
機会があればぜひお読みください。

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■節子への挽歌881:石本さんのパジャマ

昨日の続きを書きます。
石本さんの頼みを断ってしまった話です。

節子の病気が発見され、手術することになりました。
それを知った石本さんが、入院中のパジャマを作らせてほしいと言ってきたのです。
石本さんはそういうことがとても得意なのだそうです。
ともかく病院中で話題になるような楽しいパジャマを贈りたいというのです。
私たちはその申し出を受ける余裕がありませんでした。
派手のパジャマは着たくないという節子の思いもあって、せっかくの申し出を断ってしまったのです。
後で後悔しました。
もしかしたら石本さんのパジャマを着ていたら、節子は元気をもっともらえていたかもしれなかったからです。

その話は、その後、節子とも石本さんともしたことはありませんが、私自身はずっと気になっていることです。

ケアとは何だろうか、というような話を時々させてもらうことがあります。
ケアとは「お世話し合うこと」ですが、お世話の仕方は一方向ではありません。
世話されることと世話することは同じことなのだと思います。
石本さんからのせっかくの申し出を受け入れなかったことは、石本さんをケアできなかったことであり、とても非礼であるばかりか、人間性に欠けるとさえ思えます。
その反省を踏まえて、最近は誰かからの好意はすべて素直に受け入れることにしています。
しかも受け入れることが、その人をケアしていることなのだという思いを持ってです。

実はこうした発想を教えてもらったのも、節子からです。
節子は自らが辛く苦しく、希望を見失いがちな闘病生活の中でさえ、友人を気遣っていました。
最初は何と心やさしいことかと思いましたが、そうではなかったのです。
他者を思いやることこそが、自らを元気づけ、自らの生の支えになっていたのです。

他者の親切は、できるだけ受け入れなければいけません。
負担に感ずることなどありません。
人は必ず、その時がくれば誰かに同じようなことをする局面が巡ってくるからです。
巡ってきたら、惜しみなく他者への親切を行いましょう。
他者への親切は必ずまた自分に戻ってきます。
もしかしたら今生ではなく来世かもしれませんが。

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2010/01/29

■節子への挽歌880:オープンサロンを再開しました

節子
湯島のオフィスで節子と一緒にやってきたオープンサロンを復活させました。
節子がいなくなったので、もうやめようと思っていましたが、スタイルを変えて、手間をかけないサロンにしました。
節子がいた時には節子が参加者のための軽食やおつまみなどを松坂屋などで買ってきてくれていました。
そんなことは私にはできないので、お茶とコーヒーしかないサロンです。

今月5日にそのプレサロンをやりましたが、直前にホームページに書いただけだったので参加者は2人だけでした。
それで今回は今週初めに10人に案内を出しました。
そのおかげで、懐かしいめんばーがやってきました。
初めての人も2人来ました。
おかげで以前のような賑やかなサロンになりました。
サロンの報告はホームページ(CWSコモンズ)に日曜日に書きます。

節子は最初、このサロンがとても嫌いでした。
男性たちの訳のわからない話をきくのは、生活主義者の節子には不得手でしたし、横から見ていて、たぶん「人間の持つ身勝手さ」を強く感じることが多かったのだと思います。
しかしそのうちに、その多様さにもなじんでくれましたし、男性たちの身勝手な言動にも理解を示すようになってきました。
サロン終了後、後片付けをして、2人で帰宅する車中で節子は私にいろんな感想を話してくれました。
そこから学ぶことはとても多かったのです。
参加者へのコメントは、とりもなおさず私へのコメントでもありました。
私の偏狭さや傲慢さを、節子は教えてくれました。
そのおかげで、私の人間を見る目は広がりを持てたのです。

サロンではいつも節子は裏方を務めていました。
その存在に気づいていた参加者は決して多くはなかったと思いますが、その数少ない。一人でもある石本さんが、今日、来てくださったのが、私にはとても嬉しかったです。
オープンサロンの最後の日に、石本さんは節子に花束を持ってきてくれました
節子はそのことをいまも忘れてはいないでしょう。
もちろん私もはっきり覚えています。
石本さんの頼みなら、何でも引き受けなければいけないと今は思っています。
しかし以前一度断ってしまったことがあるのです。
それが今でも心に痛いです。

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■幼保一元化は子どもにとってどういう意味があるのか

前項の続きです。

都市部ではいま、保育所は定員オーバー、幼稚園は定員割れ、といった状況のようです。
待機児童の増加の中で、幼稚園と保育園を一括管理できれば、そのアンバランスを埋められるというのが、幼保一元化の狙いの一つです。

幼保一元化は話題になってから久しいですが、なかなか実現しません。
縦割り行政の利権争いのような事情もあるでしょうが、取り組みが経済主義、効率主義からだったことも無関係ではないように思います。
そこには「子どもの視点」はなかったのです。

私が保育園に関わり出した頃、保育園にはあまり国家財政は向けられずに、保育園関係者の全国的な集会もあまり立派な会場ではありませんでした。
ですから話をさせてもらいにいっても気持ちがよかったです。
しかしそのうちに保育行政にお金が回りだしました。
研修の会場も一流ホテルへと変わりだしました。
プログラムもゲストも次第に派手になっていきました。
私にとっては気持ちの良い集まりではなくなり、次第に足は遠のきました。
保育園や幼稚園に集まってくる子ども産業業者にも違和感がありました。
「教育産業」は聞こえはよいものの、要するに子どもを顧客に仕上げることで利益を上がる産業です。
その内実のスキャンダラスさは私には不快感しかありませんが、ドラッカーのいう顧客の創造を見事に成し遂げた産業の一例です。

保育園と幼稚園は目標や理念が違います。
ただ制度的に合体すればいい訳ではありません
合体論の発想は「子どもの視点」ではなく「大人の視点」です。
子どもにも親子にも、多様な選択肢があるほうがいいでしょう。
子育て支援の仕組みは、むしろもっと多様化すべきです。

保育園は不足、幼稚園は過剰というのは、制度(施設)とニーズとのミスマッチではないかと言われるかもしれません。
経済主義では、ニーズがあれば市場があり、供給産業が成立します。
でもそれでいいのでしょうか。
大麻にはニーズがあるからといって、市場を正当化し供給体制を組むことは認められません。
大麻と子育ては違うと言うかもしれません。
では深夜に子どもを預ける場所がほしいと言って、無制限に子どもを預かっていいのか。
まあこれは難しい問題ですが、そうした時の「ニーズ」は、決して子どものニーズではありません。
大人のニーズです。
大人といっても決して「親」ではありません。
たとえば「夜の仕事」をしている母親のためでしょうか。
まあ例外的にはそうしたこともあるかもしれませんが、多くの母親はできれば「昼間の仕事」をしたいのです。
でもそうした仕事がない、あるいはそうした仕事は給料が安い、だからやむを得ず夜の仕事をする、としたら、それは親のためでもないでしょう。
つまり「ニーズ」とは、表面的に捉えてしまっては何も見えてこないのです。
表面的なニーズに対応していたら、どうなるか、そんなことはみんな知っています。

私が幼保一元化に違和感をもちだしたのは、子どもにとっての多様な選択肢が減る恐れと、現状に制度を合わせてしまう脱価値観的な経済主義への疑問です。
まだこなれていない議論ですが、どこかに違和感を最近持ち出してしまったのです。

少子化問題に関しては、少しまた書き込みたいと思います。
時間がないのでまた中途半端な書きなぐりになってしまいましたが。

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■幼保一元化発想は子どもをどう見ているか

鳩山内閣は、保育所入所を待つ待機児童の解消に向け、幼稚園と保育所の機能を一つにする幼保一元化を加速させる方向に動き出したようです。
幼保一元化とは、文科省と厚労省とに所管が分かれている幼稚園と保育所の運営の一元管理を進めようという発想です。
この議論は20年前からされていることです。
私はその頃、幼児教育に関心をもち、全国私立保育園連盟のある委員会の委員もさせてもらっていましたが、よくこの言葉を聞きました。
当時は、それが良いことだと思っていました。

しかし最近は少し違います。
果たして良いことかどうか迷います。
そうした発想の根底にある経済主義、効率主義に疑問を高めているからです。
これは「人間観」につながる問題です。

前にも書きましたが、私が少子化問題に関心を持ったのは、ある集まりで企業と生活者の関係の話をさせてもらった時に、ある企業経営者がそんな問題よりも企業にとっての死活問題は少子化問題だと指摘されたことです。
少子化という言葉が出はじめた頃です。

最初は感心したのですが、話を聞くうちに非常な反発を感じました。
その発言の意味は、少子化によって労働者がますます得られにくくなり、市場も縮小するということだったからです。
子どもは労働者で消費者なのかと、私は大きな反発を感じました。
しかしその後の日本での少子化論議は、そうした方向に進みました。
ですから、少子化議論をする人は、金融工学者の同類だと私には見えてしまいます。
そして、昨今の少子化政策はほぼすべて少子化を促進させるだけだろうと思っていました。
新しい動きは、子どもは社会で育てるという発想のもとにでてきた「全家庭への子ども手当て」です。
しかしこれも所得制限などというバカな議論が出てきて失望しましたが、みんな金銭主義からどうも抜けられないようです。
頭が腐っているとしか言い様がありません。

ついでにいえば、男女共同参画やワークライフバランス論議も、私には同じに聞こえてきます。
いずれも、企業あるいは金銭経済に都合のよい政策だからです。
なぜか私はそうした発想に賛成だと思われているらしく、知人友人からは話しかけられることが多いですが、まったく反対です。

余分なことを書いているうちに、肝心の幼保一元化の話を書けなくなりました。
この続きは、また今日の午後に時間ができたら書くことにします。
これから出かけるものですから。

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2010/01/28

■節子への挽歌879:辛さに身を任せるのが一番いいです

節子
今日は3組の人たちがやってきました。
湯島は最近、にぎわっています。

帰宅したら、久しぶりにYOさんから封書が届いていました。
もう長いこと、年賀状の交換にとどまっています。
なんだろうかと怪訝に思いながら、封を開けました。
飛び込んできたのは、こんな書き出しです。

実は、昨年12月7日に、妻が70歳で、子供3人とその配偶者、8人の孫の一族15人を残して旅立ち、未だ気力が戻らず、ご挨拶が遅れました。昨日が49日でした。
以下に書かれていたのは、私も思い当たる、さまざまなことでした。
そしてこう書かれています。
しかし、妻に先立たれた夫にこんなに辛い思いが続くとは思いもよりませんでした。
妻を思い出すと涙が止まりません。今でも、妻の形見のハンカチを手元に置き、突然あふれ出る涙を拭っています。
最後にこう書き添えてありました。
2008年1月のお手紙に、どのようにお返事したらよいかわからず、しばらくご無沙汰しました。
今になると、貴兄のお気持ち、よくわかります。
今になるとよくわかる。
私もそうでした。
自分がその立場になるまで、伴侶を失った人の辛さがわからなかったのです。
もちろん自分ではわかっていたつもりでしたが、間違いなくわかっていませんでした。
頭で理解するのと当時者として心身で受け止めるのとでは、全く違うのです。

悲しみ続けていてはよくないという人がいます。
そんなことはないでしょう。
辛ければ、思い切りメソメソすればいい。
悲しければ、思い切り泣けばいい。
そう思います。

49日を過ぎると、涙はますます深くなる。
それに抗することなく、涙のままに悲しみを深めるのがいいと思います。
私もそうでした。
いまもなお、悲しみは広がり深まっています。
その先に、きっと節子がいると、私は確信しています。

YOさん
辛さに身を任せるのが一番いいです。
奥様も、きっとそれを望んでいます。
そんな気がしてなりません。

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2010/01/27

■節子への挽歌878:最近節子が夢に出てこないわけ

節子
最近、夢に節子が出てきません。
なぜだろうかと考えて、気づいたことがあります。
朝の読経がかなり手抜きになっていたことです。

以前はちゃんと位牌と写真と、時には大日如来を見ながら、般若心経をきちんと唱え、終わったら節子への感謝と私の周辺のちょっと問題にぶつかっている人の平安への祈りをしていました。
ところが最近、ちょっと手抜きで、般若心経を唱えながら、シャッターを開けたり新聞を取りにいったり、チビ太にえさをやったりしながら、まあ「ながら読経」をしているのです。
ながら読経だと時々言い間違えたり、とばしたりすることもあるのですが、まあ節子だからそんなことは気にしないだろうと適当にやっているわけです。
これが原因でしょうか。
しかし、毎朝、きちんと水を換え、明かりもつけてロウソクも点けるのです。
口だけで3日坊主の修にしてはよく続いているとむしろ節子は褒めているでしょう。
私自身もおどろいているほどですから。
ですから、これが原因ではありません。

お供えはどうでしょう。
調べてみたら、賞味期限切れのお菓子と家族みんなが食べないお菓子だけでした。
果物は何も供えていませんでした。
しかし、こんなことも節子は気にしないでしょう。
賞味期限切れなど節子はほとんど気にしませんでしたし、家族みんなが食べないとはいえ、そのお菓子は節子の好きなお店のわが家にはめずらしく高価なお菓子なのです。
まあちょっと長く供えすぎてはいますが。

そういえば、お墓参りも最近は隔週通いになり、それも時々忘れそうになっています。
それに、花代を節約して庭の花ですましてしまうこともあるのです。
しかし、これだってもし私と節子との立場が逆だったとしたら、たぶん、節子もそうなっていただろうなと思います。
こんなことで怒る節子ではありません。

となると、理由は何でしょうか。
夢に出てこられないほど、彼岸で忙しくなったのでしょうか。
まあ節子は、役にも立たない意味のないことでも、好きになると私のことなど放っておいてもやっていました。
それで喧嘩になったこともあるほどです。
またどうでもいいことに夢中になっているのかもしれません。
もしかしたら、朝の読経も聴いていないかもしれませんし、お墓も留守にしているかもしれません。

しかし節子も私と一緒で、飽きっぽかったので、もうじきまた夢に戻ってくるでしょう。
節子と私は、飽きっぽさと無駄なことに夢中になることに関しては、とても似ていましたから。

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2010/01/26

■「ひとつの民意」

平野官房長官の名護市長選の結果に関する発言には驚きました。

「ひとつの大きな民意ではあるが、国の安全保障の一環である基地問題を含めて、民意として受け取るのかいうと、そうではない」

コメントは差し控えます。
ただ、ここで明らかなように、「民意」は一つではないということです。
私たちは往々にしてそれを忘れます。
多くの人は、自分の意見こそが民意だと思いがちです。
しかし問題との距離は、人によって全く違います。
直接的な利害関係が時間できない人にとって、沖縄に米軍基地があることには実際に上の痛みはないでしょう。
しかし、そこにすんでいる人たちにとっては、生きる上での死活問題につながっているでしょう。
そうした全く立場の違う人がいる場合、政治にとって大切な民意とはどの民意でしょうか。

平野発言は、そうしたことを平野さんがどう捉えているかを如実に示しています。
これは、民主党が「生活目線」の「生活」をどう捉えているかを象徴しています。
とても残念な発言です。
素直さがない政治家はもう退場してほしいです。
鳩山さんには、その素直さがあります。
だから頼りなくみえますが、悩み迷いながら進んでいくことに信頼を持ちたいと、私は思っています。
隙だらけの発言も、私には好感がもてます。
政治家は軽い発言をしてはいけないなどと誰が決めたのでしょうか。
人間は迷い悩むものです。
鳩山さんの人間くささ、小沢さんの人間くささが、ますます好きになっています。

米国に、「日本はもう米軍基地は不要です」と言ったらどうなるのでしょうか。
そう鳩山さんに言ってほしいと思いますが、困るのは誰でしょうか。
米軍基地があるために、収入を得られている人たちでしょうか。
しかしそうした経済的な問題を解決するのはそう難しい話ではないでしょう。

八ッ場ダム問題も、そう難しい話しではないはずなのですが。
誰がややこしくしているのでしょうか。

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■節子へ挽歌877:瑞光のような陽射し

今日の空は私好みの底の抜けた青さでした。
それだけで幸せな1日なのですが、節子がいなくなってからは、「幸せ」を感じたことは一度もありません。
人生から「幸せ」がなくなってしまうことは、それなりに寂しいものですが、「幸せ」がなくなったところで生きていけないわけでもありません。
それに時々、幸せのようなあたたかな気持ちに包まれることもありますから、贅沢を言うのはやめましょう。
それに「幸せ」のない生活にも慣れてきました。

最近ちょっと奇妙に滅入ることが多かったのですが、この強い陽射しがそこから私を救い出してくれました。
陽射しを受けながら今日は読書をしていましたが、となりにチビ太が気持ちよさそうに寝ていました。
彼は私よりも生まれはだいぶ遅いのですが、もう15歳ですので、人間として考えるともう後期高齢者なのです。

遅く生まれて早く歳をとる。
節子も私より遅く生まれたのに、早く逝ってしまいました。
節子の時間は、おそらく私よりもゆっくり進んでいたはずです。
にもかかわらず、節子は私よりも先に逝ってしまった。
それがどう考えても理解しがたいのです。

節子の時間と私の時間は違っていたのかもしれません。
人間はみんな同じ時間軸で生きているように思いがちですが、そんなことはありません。
私は子どもの頃からそう思っていました。
それに自分自身においても、時間の速度が状況によって変化することを実感していましたし、時間が必ずしも一方向にむいているばかりではないことも感じていました。
子どもの頃、何かの本でヘリウムガスは双方向に流れるということを読んだ気がしますが、その時から時間もまたそうなんだと思っていたのです。
だからタイムマシンは実現できると、子どもの頃は確信していたのです。

まあそれはともかく、人はそれぞれに自分の時間をもっているのでしょう。
その時間を、異なる人が共有することはできないのかもしれません。
相手に合わせることはできても、どこかでずれていくのです。
節子の時間と共有できていた時の幸せな生き方は奇跡的な時間だったのかもしれません。
それを体験できたことに感謝しなければいけません。

今日の陽射しはなぜか瑞光のようにまぶしかったです。
明日からは元気がでそうです。

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2010/01/25

■新型インフルエンザのワクチン

友人から病院にいったら、新型インフルエンザのワクチンを勧められてうってきました、佐藤さんはもううちましたか、というメールが届きました。
もちろん私はワクチンはうちません。

昨日頃から盛んにワクチンが残りそうだと言うニュースが流れ出しています。
あれほどワクチン不足が叫ばれていたのにどういうことでしょうか。
半年前までのパンデミック騒ぎは何だったのでしょうか。
これに関しては、いささか不気味な噂も流れていることは以前紹介しました

それはともかく、予測が大きく外れることは「非情報化社会」(昨今の情報社会の本質は非情報化社会です)の特徴です。
トヨタの企業利益の大幅な見込み違いも、アメリカの金融会社のV字回復も、すべて同じですが、要は情報が実体とはなれて成立する状況の中で、レバレッジの仕組みが張りめぐらされているからです。
そうした中で持続性を維持しようとすると市場あるいは顧客を創造していくことが必要です。
顧客を創造することを起点に経営学を構築したドラッカーの世界です。
そのおかげで私の生活も豊かになり快適になったのですから感謝しなければいけませんが、現在はいささかいきすぎているように思います。

話がそれましたが、ワクチンの話です。
ワクチンが過剰生産された理由は何でしょうか。
それで大きな利益を上げた人もいるでしょうが、それが一番の問題ではありません。
今の社会はトレードオフ社会ですから、それで何かが失われたことにこそ大きな問題があります。
それは何なのか。
それを忘れてはいけません。

八ッ場ダムで住民と前原大臣の話し合いが行われました。
住民が見失っているものがあるように思いますが、それもこのワクチン騒動と似ているような気がします。
情報が実体と離れてしまった社会の脆さを痛感します。
だからこそ自らの生活をしっかりとつくり、人や自然(時に病気も)とのつながりを大切にしていきたいと思っています。

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■節子への挽歌876:違いがあることと分かり合えること

一昨日、自殺のない社会づくりネットワークの交流会がありました。
参加者の一人が、自殺を考える人と自殺家族の遺族とはまったく違う、という発言をしました。
その発言には思わずうなずいたものの、その違いとは何だろうということが気になりだしました。
この2日間、そのことを考えるでもなく考えていました。

私の基本的な信条は、違いがあればこそ分かり合えるというものです。
だからこそ「大きな福祉」という理念でこの10年近く活動してきたのです。
そして自分では体験もない、自殺や難病や障碍の大きい人たちとも関わってきたのです。
違いはあるが、その根底には通ずるものがある。
そこにこそ焦点を与えていかないと問題は見えてこないのではないか。
それが私の考えでした。

しかし、その発言をされた方は違いがあるが故に分かり合えないというニュアンスでした。
そしてその発言に私の心身は即座に共感したのです。
頭で考えていることと心身で考えていることがどうも違うのです。
この挽歌の多くは、頭ではなく心身に反応して書いています。
なにも考えずにパソコンに向い、前にある節子の写真を見ていると自然とパソコンに入力できるようになるのです。
パソコンに向かう前に、書くことが思い浮かぶこともありますが、その場合も思い浮かんだままをパソコンに打ち込んでいます。
ですから支離滅裂なものも内容がよくわからないものも少なくないはずです。
いろいろと頭で考えて書いたつもりのものも、翌日、もう少しきちんと整理して書けばよかったと思うことが少なくありません。
たとえば一昨日の「北京のふたり」に関して書いた挽歌などは、翌日読み直して、なんだこれはと思うほど、意味不明です。

ですからこの挽歌に書かれているのが、私の心身の反応と言って良いでしょう。
その内容は、やはり「私の気持ちなど誰にもわかるはずがない」という感じで貫かれています。
違いがあればこそ分かり合えるという、私の信条は明らかに私の心身の生の言動に一致していないのです。
恥ずかしながら、そのことにやっと今日、気づいたのです。

先日、「人間がわかり合えるのはわかり合えたと思えるだけの話」と書きました。
その言い方を使えば、時に人は、わかり合いたくないと思うことがあるのかもしれません。
私も、節子を見送った後、そういう気持ちになったことがありますし、いまでもどこかにそういう思いをもっています。
しかし、そういう思いは自らの孤立につながりかねません。
そこから抜け出ないといけないと言うのが、宮沢賢治のメッセージだったのではないか、と突然宮沢賢治が出てきてしまいましたが、そう思います。

この問題は、そう簡単ではなさそうです。
もう少し考えてみなければいけません。

自殺者と遺族の違いは、もちろんきちんと説明できますが、先に書いた「発言者」は、そんなことを言っているのではないことはいうまでもありません。
念のため。

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2010/01/24

■むかし書いた2つの小論

むかし書いた2つの小論があります。
「21世紀は真心の時代」と「脱構築する企業経営」です。
前者は社会のあり方、後者は企業のあり方についてまとめたものです。

先日紹介した「ゼロから考える経済学」のことを読んで、この2つの小論を思い出しました。
「21世紀は真心の時代」は、毎日新聞社の懸賞論文に入選したものです。
当時は「真心の時代」という言葉が宗教臭いと言われましたが、その後10年足らずで「心の時代」は流行語になりました。
もう一つその小論で私が造語した言葉があります。
「ナノテクノロジー」です。
当時は勝手な造語だと思っていましたが、これは今では一般用語になりました。
この小論を書いた時には、まだ論理演算で思考していた面が多かったのですが、その実践の一つが、当時私が勤務していた東レでのCI活動です。
それが私の人生を変えてしまったわけです。
今週のCWSコモンズにも書きましたが、その小論は「管理の時代」から「真心の時代」へのパラダイムシフトが骨子になっています。
私のその後の生き方は、すべてこの小論の流れに沿ってきました。
おかげで予想外の一つに要素(妻を病気で見送りました)を除いては、私の人生はとても生きやすいものになっています。

しかし、その小論が契機になって取り組んだCI活動のおかげで、私は東レを辞めてしまいました。
企業の行く末とそこでの自分の居場所のなさを見てしまったからです。
会社を辞めてから日本能率協会の月刊誌に連載したのが「脱構築する企業経営」です。
これは勉強不足で中途半端な小論になってしまいましたが、「21世紀は真心の時代」の延長上の小論です。
消費機関としての企業論という発想は、当時としてはそれなりに新しかったと思います。
この連載を書いて行きついたのが、新しい企業論としての協同組合論でした。
しかも「マネジメントフリー」が結論でしたので、読者からは怒られました。
しかしこの小論を書いていたときには、かなりの気負いもありました。
そこから論考を発展させれば、もう少し私の知見も広がったのでしょうが、その頃から何かをまとめるということへの関心を失ってしまいました。
一応、「コモンズの回復」と言うタイトルは決めたのですが、ついに書くことなく終わってしまいました。
その代わりに、こうして毎日、気楽な雑文を書いてしまっているわけです。

最近、「新しい公共」という議論が広がっています。
「公共」などといわずに「共」、つまりコモンズといえばもっと思考が明確になるだろうと思いますが、新しい公共論もNPO論も、あるいは社会起業家論も、私には全く退屈です。
パラダイムシフトしない限り、意味がないと思っているからです。

では私がむかし書いた2つの小論は、パラダイムシフトしているでしょうか。
いやせめて「脱構築」しているでしょうか。
おそらく私がいま退屈だと思っている議論と同じように、あるいはそれ以下に、従来型の発想のなかの話かもしれません。
しかしそれから30年、私のいまの生き方があるのは、この小論の実践の結果なのです。
もしかしたら言葉では表現できていないかもしれませんが、私自身は新しいパラダイムを会得したのかもしれません。
いささか手前勝手ですが、最近、そう思い出してきました。
しかしその考えを誰かに伝えることはとてもできないなとも、思い出しています。
このブログも全部読んでもらうことなどできませんから、私の思いが伝わることなどありません。
まあ全部読んでもらっても、伝わらないでしょうが。

価値観はやはりあくまでも個人の中にしか育たないような気がします。
最近、疲れるやすいのは、もしかしたらそのせいかもしれません。

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■節子への挽歌875:余命25年

私の余命はあと25年間です。
永遠の生を得ることの辛さの話はいろいろありますが、まあ25年はそれほど長くはないので、そうつらいことではないでしょう。
あっという間の25年かもしれません。

私は一応93歳まで生きることになっています。
20年ほど前に、ある人(その人も霊能力のある方です)がわざわざ大阪まで行って確認してきてくれました。
その人は、だれと付き合うべきかどうかを決めるために大阪まで行ったのかもしれません。
私はそんなことは知りたくもなかったのですが、信じることにしました。
余命と同時に私のことをいろいろと評価してくれたのですが、それがとても良い評価だったからです。
私は素直なので、私にとって好都合のことは全て信じるタイプなのです。

当時、節子は笑って聞いていましたが、その時に私が確認すべきは自分のことではなく節子のことでした。
しかし、私の頭の中では、私の余命+2年が節子の余命と決めていました。
残念ながらそうはなりませんでした。
それまでの私は、自分で思ったことがほぼ実現してきましたので、まさかそれがはずれるなどとは思ってもいませんでした。
その頃から私の人生は斜陽化し、あまり良いことがありません。
私の「幸運」はすべて節子のおかげだったのかもしれません。
なんだか「夕鶴」のような話になってきましたね。

私の余命を占ってくれた人は、フーチを使ったようです。
余命がわかるフーチなるものがあると知って、それが無性に欲しくなり、無理を言って手に入れました。
むやみに使ってはいけないといわれたので、使わないまましまっています。
使い方の資料がなくなってしまったので、今となっては使えないのですが。
まさに宝の持ち腐れです。

しかし皮肉なものです。
節子のいない人生をあと25年続けるのは、それなりに努力がいるかもしれません。
この挽歌を書き続けるとして、何回になるでしょうか。
思っただけでも気が遠くなります。
やはり余命は知らないほうがいいですね。
短くても長くても、知って良いことはなにもありません。

不謹慎な記事ですみません。

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2010/01/23

■まちづくりは60年の時間軸で考えなければいけません

最近しばらく休んでいましたが、私は数年前まで各地のまちづくりにささやかに関わっていました。
まちづくりに関わる時の私の時間間隔は30年でした。
いわゆる1世代という時間感覚です。
ですから少し大きめのプロジェクトの場合は、せめて10年近くは関わらせてほしいと要望を出しました。

10年ほど前に、山形市でまちづくりの全国フォーラムを開催しました。
基調講演を当時水俣市の市長だった吉井さんにお願いしました。
すばらしいお話でした。
夜のワークショップにも吉井さんは参加してくれました。
そこでまちづくりに取り組む際の時間軸の話になりました。
みんなの急ぎすぎる発言を聞きながら、私の持論である30年発想で考えることを話しました。
それを聞いた吉井さんがいいました。
佐藤さん、30年では短いです。私は60年で考えています。

吉井さんは林業家です。
林業でのビジネスサイクルは60年なのです。
私のように頭で考えた理屈ではなく、吉井さんのは現場の実感なのです。
いらい、私は30年論を撤回しました。

60年発想とは、私たちの生活感覚からいえば、3世代発想ということです。
私のは2世代発想でした。
この違いは大きいと気づいたのです。
世代間倫理と言うようなことを考えるのであれば、最低60年は必要なのかもしれません。
しかし、60年となるとなかなか実感はできません。
それが悩みどころですが、要するに急いではいけないと言うことです。
しかしスピードをコアバリューの一つに置く産業社会に生きている私たちは、無意識に時間軸を短く、しかも異常な速度感を埋め込まれてしまっているような気がします。

さて政治の話です。
私たちの時間感覚を変えないと、せっかく流れを変える動きがでてきたにもかかわらず、そのチャンスを活かせない恐れがあります。
そう思いながら、最近、いささか世間の動きに失望していましたが、急いでいたのはむしろ世間ではなく自分ではないかと気がつきました。
急ぐと心身によくありません。

しかし、一度埋め込まれた時間感覚を変えるのはとても難しいです。
個人でもそうなのですから、世間の時間感覚はそう簡単には変わらないでしょう。
ゆっくりと受け止めなければいけません。
どうやら私の今生では、時代の流れには遭遇できないかもしれません。
少し残念ではありますが

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■節子への挽歌874:あなたは私の人生の一部

昨日の挽歌に、いろはさんからコメントをもらいました。
それに触発されて、思い出した映画があります。
リチャード・ギア主演の法廷サスペンス「北京のふたり」です。
殺人の罪を着せられたアメリカ人男性ジャックと、古い因習を断ち切って彼の弁護を引き受ける中国人女性弁護士ユイリンとの心の交流を描いた映画ですが、いずれにも「愛する人」へのある「思い」があります。
この事件で、それぞれがその「思い」を断ち切り、人生を変えて行くという話です。
筋書きなどはネットをご覧ください

いろはさんのコメントには直接つながらないように感ずるかもしれませんが、私の中ではつながっている話です。
今朝、その思い出した部分だけをDVDで観てみました。
少し長くなりそうですが、おつきあいください。

その最後の場面は、一人で帰国するジャックとユイリンとの空港での別れの場面です。
ジャックはユイリンに一緒にアメリカに行こうといいますが、ユイリンは断ります。
そしてこういうやりとりがあるのでウ。
少し長いすが、おつきあいください。

J:それじゃ、これでお別れ? 何もなかったように。
Y:いいえ、それは違うわ。 
  私の生き方は変わった。あなたが私を変えたのよ。
  あなたは私の人生の一部よ、ジャック。前の私とは違う。
J:僕もだ。
Y:私をあなたの人生の一部にして。どこにいても、
J:どこにいても。
J:さよなら
Y:さよなら

こう書いてしまうと味気がないですが、この場面は、あまりできのよくないこの映画の中ではまあまあの出来といっていいでしょう。

いろはさんは、コメントで「愛する人と別れても深く愛し続けている」ということに共感が得られると書いてくれていますが、一度愛した人への愛が続かないのであれば、それはたぶん愛していなかったからだろうと私は思っています。
もし愛していたら、その人はもう自分の人生の一部になってしまっている。
私がこのセリフだけをずっと覚えていたのは、そのことに共感したからです。

私もまた、節子によって大きく生き方を変えられたように思います。
そして節子もまた、そうだったはずです。
だからその生き方からは、決して抜けることはないのです。

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2010/01/22

■「あの人たちはずるいんです」

足利事件の再審公判でで、かつて菅家さんを取り調べた宇都宮地検の森川大司元検事の証人尋問が実施されました。
菅家さんは「謝ってください」と繰り返し強い口調で元検事に求めましたが、元検事は最後まで謝罪に応じなかったそうです。
菅谷さんは、かつての取調べで森川さんから言われた「人間性がない」という言葉を、森川さんに向けて言っています。
私も同感ですが、こうした人間性のない人たちが日本の裁判をやっているのです。
ゾッとします。

これは例外だと思うかもしれませんが、そんなことはないでしょう。
その組織や世界の文化は、必ずこういう形で現れます。
検察の常識を見事に象徴しているのです。
森川さん個人の問題ではないのです。
これに関しては、私は弁護士も同じ文化にあると思います。

公判後の記者会見で、菅谷さんが、
「あの人たちはずるいんです」
と言っていたのがとても印象的でした。
そこに含意されていることの意味を、私たちはしっかりと受け止めたいものです。
ずるい生き方を裁く人がずるいと思われるような日本の司法制度は間違っているはずです。

本当の意味での司法改革をしてほしいものです。
もし三権分立で、司法界がかつ中立であるのであれば、司法官僚などがのさばる仕組みは封じなければいけません。
しかし、権力の権化である司法界こそ、実は最高に非人間化しやすい素地を持っています。
こうした動きを回避するには、司法の透明性とガバナンスを変えることです。
それはたぶん国家が脱国家することなのでしょう。
そうした動きは北欧から始まっているようにも思えますが、日本がそうなっていくのはもう少し時間がかかるのでしょうか。
昨今の「司法改革」はまったくおかしな方向を向いています。

それにして、小沢さんに対する検察の事情聴取が明日と予定されている今日、こうした報道が行われるのは、なにやら「できすぎている」気もします。
これは偶然なのでしょうか。
だれかの意図なのでしょうか。
意図的な結果だとしたらこれもまた感心します。

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■節子への挽歌873:わかり合えるのはわかり合えたと思えるだけの話

昨日、書き残したテーマが、「人間がわかり合えるのはわかり合えたと思えるだけの話」ということです。
私と節子はお互いにわかりあえていたと思いますが、絶対に自信があるわけではありません。
節子は時々、修のことがわからなくなるといっていたからです。
しかし、逆にいえば、こういう言葉が出ることこそ、私たちがわかり合えていたことの証であると、私は思うのです。
わかり合えていなければこんな言葉は出てくるはずがないですから。

人はわかり合えるのだろうか。
これは、私の学生の頃の関心事でした。
当時、達した結論は、わかり合えるはずがない、ということでした。
以来、「ディスコミュニケーション」が私のテーマでした。
以来、「コミュニケーションとはディスコミュニケーションの受容」と考えています。
2つの異なる人格、もしくは意味体系が、わかり合えるなどということはありえない話だからです。
日本広報学会を立ち上げた時ですら、私はそう思っていましたので、コミュニケーション志向の強いメンバーとはまさにコミュニケーションが成立せずに、浮いていました。

いささか小難しい話になってしまいました。
こんな話は時評編で書くべきですね。
話を戻します。

人間がわかり合えるのはわかり合えたと思えるだけの話。
大切なのは、「わかり合えたと思える」かどうかです。
私が節子とわかり合えたと確信できたのは、会社を辞めると節子に話したときです。
節子は何一つ異論を唱えずに、賛成してくれました。
その時、節子は私を心から理解し、一緒に生きようと思っているのだと思ったのです。
私が深く節子にほれ込んだのは、その時からです。
自分を完全に理解し信頼してくれる人がいるほど幸せなことはありません。
だとしたら、私も節子を完全に理解し信頼しようと思ったのです。
いや思ったといいよりも、自然とそうなったのです。

節子と私が、お互いのことをすべてわかっていたわけではありません。
でもお互いに、お互いのことは、知らないことまで含めて、すべて自分のことと思えていたのです。
だから私たちは、わかり合えていたのです。

節子とのわかり合い度合いが深いが故に、私にとっては、セルフヘルプグループも、全く立場の違う人のグループも、同じなのです。
むしろセルフヘルプグループのメンバーの方に距離を感ずるような気がします。
わかってもらえるでしょうか。

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2010/01/21

■最近自分への嫌悪感が高まっています

今日は、読者のためではなく、自らのための独白です。

私はNPOがどうも好きになれません。
それなりにいくつかのNPOの支援活動はしているのですが、少なからずの違和感を持つことが少なくないのです。
おそらく私のもっている思考回路や評価基準が、社会から外れているためだろうと思っています。
これは子供の頃からです。
両親はもちろん、世間とはいささか違う文化を昔から内在していたのです。
学校にも会社にも、どこかでなじめずにいました。
いつもどこかに「冷めた自分」がいて、現実になじめないのです。
社会不適合者かもしれません。

そのくせ人に会うのが好きで、さまざまな問題への好奇心が高いのです。
関心をもたないのは、「パンとサーカス」だけです。
スポーツには関心はありませんし、ファッションやグルメには全く興味がありません。

ところが最近、新聞やテレビの報道で、とても感動的なNPOの活動に触れることがあります。
NPOや住民活動が、社会をどんどん変えているのではないか。
行政も企業も、そこで働く「思いのある個人」が変えている。
そういう事例によく出会います。
私が違和感をもっているNPOが、社会をどんどん良くしているのです。
自分のNPO観はまちがっているのではないか、と思うことがよくあります。

この時評はどうでしょうか。
この数日はあまりの腹立たしさから、また品格のない記事が多いですが、腹が立つなら行動すればいいだけの話です。
前にも「ブログを書く暇があったら行動しろ」と言うコメントをもらったことがあります。
その時には、行動もしていると応えましたが、何をしているというのでしょうか。
イラクでは自らの生命を賭してまで闘っている人がいるというのに、ぬくぬくと安全なところにいて行動しているなどといえるのか。

最近また心身が動かなくなってきました。
動かなくなると言葉が過激になりがちです。
現場で汗するのが、人間の最高の幸せかもしれません。
最近、そんな思いが強まっています。
現実にコミットする勇気がなくなってきているのかもしれません。
人は歳をとるものなのだと、最近、少し気づきだしました。

無意味な独白ですみません。

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■節子への挽歌872:それぞれの事情

セルフヘルプグループの話の続きを書こうと思いながら、この2日間、うっかり別の話を書いてしまいました。
一昨日書こうと思ったテーマは2つあります。
「人間がわかり合えるのはわかり合えたと思えるだけの話」ということと、「同じ状況にあるようでも実はそれぞれに違うのではないか」ということです。
今日は、この後者の話を少し書きます。

この挽歌を読んでメールをしてきてくれる人がいます。
メールですから相手がどんな人か最初は分かりません。
しかし不思議なことに最初から問題を共有しているような気がして、他人とは思えません。
そういう人からのメールを読んでいると、私が書いているのではないかと思うこともあるのです。
逆にまったく正反対の気がすることもあります。
その中間は、これまではありませんでした。

直接会いに来てくださる人もいます。
面識のまったくない人が突然自宅にやってきたときには驚きましたが、私よりもまだ時間が経過していなかったので、少し前の自分を思いだしました。
ともかく「話したい」のです。
その人は1時間以上、見送った夫のことを話し続けて帰っていきました。
その気持ちがいたいほど伝わってきました。

わざわざ地方から来たのに、一言も「その話」をせずに帰っていった人もいます。
その人とは別の機会にまたお会いする機会がありましたが、その時も一切話はされませんでした。
それもまたわかるような気がします。

会いたいが、まだどうしても行けないという人もいます。
同じようにブログを書き始めた人もいます。
それぞれみんな少しずつ違うのです。
違うのですが、止まっているようで少しずつ動いていることが分かります。
私自身が動いているからそう感ずるのかもしれませんが、人は多分止まってはいられないのです。

そうした人たちがいまもこの挽歌を読んでいるかどうかはわかりません。
他者の独白を聴き続けることは楽なことではありません。
それでも読んでくださる人がいることに力づけられながら、私はこの挽歌を書いています。
私にとっては、このブログこそが見えないセルフヘルプグループ入り口なのかもしれません。
いつかみなさんとお会いできると良いのですが。

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2010/01/20

■節子への挽歌871:花かご会の活動が始まりました

節子
今日は花かご会の今年初めての活動日でした。
我孫子駅前の花壇で活動をしていました。
昨年末にわが家に花と手づくりカレンダーを持ってきてくださった時に、私は不在でしたので、そのお礼をかねて、年初の挨拶に行きました。

8人の人が今日は作業をしていました。
蛍光色のジャンパーを着て作業していましたが、この服を着て作業していた節子をついついそこに探してしまいます。
この習性は、おそらくいつになっても直らないでしょう。
このジャンパーを着て、自分でつくった花かご会の旗を持った写真が今も節子のベッドの横にはってあります。
メンバーが書いてくれた、それぞれのメッセージも、そのまま残っています。

最後にみんながお見舞いに来てくれた時、節子は今の自分を見せたくないと言って、会いませんでした。
その気持ちが、私にはとてもよくわかります。
会ったとしても、話は出来なかったでしょう。
その時は、私も節子も、この最悪の状況は必ず乗り切れると確信していたのです。
残念ながら、節子は結局、みんなに会えないまま、逝ってしまったのです。

しかし、私は今も会わなくて良かったと思います。
みんなには、元気で明るくて、笑っている節子を覚えていてほしいからです。
節子も、そう思っているはずです。

我孫子駅の南口駅前の花壇を見るたびに、節子を思い出します。
そこを守っていてくださる花かご会の皆さんには感謝しています。

節子
節子がいた頃と、みんな何も変わらずに楽しそうに手入れをしていましたよ。
良い仲間ですね。

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■「お上に支配される文化」

昨日書いたコンラッド/ミルバーンの法則の根底にあるのは、文化の問題です。
制度や法律はいうまでもありませんが、人間の作ったものです。
人間が使うべきツールですが、一度できてしまうと主客転倒する傾向があります。
会社に使われている従業員や経営者がいかに多いことか。
「前例がありません」からという人もまた制度に使われています。
法治国家は「法を使う国家」であって、「法に使われる国家」ではありません。

日本の文化は、いまもなお「お上に支配される文化」です。
私は各地のまちづくりに少しだけ関わらせてもらっていますが、地域住民も役場の職員も、いまなお「お上文化」であることを感ずることが少なくありません。
私は我孫子市に住んでいて、そこでもささやかな住民活動をしていますが、その仲間の人たちさえも意識はしていないでしょうが、「お上に統治されている」という姿勢を垣間見ます。
言い換えれば行政に過大期待しているために、自発的な発想がなかなか出てきません。

今回の小沢事件に関して、自民党のある議員が、検察の事情聴取に応じない小沢さんは自分を何様だと思っているのかと声を荒げていましたが、まさにお上に身を任せた臣民の発想です。
何様だと思っているのかと問われるべきは検察であって、国民ではありません。
国民に告知する前に、黙って聴きに行けばいいだけの話です。
話も聴けないということは仕事をする能力も意欲もないということです。
権力だけで仕事してきた特捜の限界でしょう。
こんなことすら分からない人が多いことが情けないです。
みんな徹底的に家畜に成り下がっているのです。

その文化はフラクタルに当人にも当てはまります。
かの議員は、おそらく自らの周囲や家族には同じように、俺に従えといっているのでしょう。
それが文化ですから。

説明責任と言いますが、理解しようという姿勢のない人に何をいっても伝わりません。
足利事件で明らかになったように、警察や検察の意見に従わない限り、説明したことにはならないのが「お上の文化」です。
私の友人が、外国人の子供の誘拐事件に関わっていると疑われたことがあります。
突然、警察官が6人ほど事務所にやってきました。
仕事していたので断りましたが、10分でいいというので部屋に入れました。
そして質問に答えました。
しかし一向に帰ろうとしません。
6人からいろいろと問いただされると(慇懃ですがいずれも「お上」の言葉です)、かなりのプレッシャーです。
自分の仕事場であるにもかかわらずです。
彼らは人の迷惑など全く考えませんし、10分が1時間になっても「犯罪」にはならないのです。
私には納得できませんが、それが国家というものなのでしょう。

説明責任とはいったい何なのでしょうか。
むしろ権力側が果たすべきことでしょう。
「小沢さんは権力だ」というかもしれませんが、問題に即して「権力」は位置づけられるべきではないでしょうか。

ニュースを見るたびに、マスコミが着実にこの社会を壊していく様が感じられます。
日本のマスコミの体質は一向に変わっていないようです。
もちろん昭和10年代からという意味ですが。
私たちは対抗力をもたなければいけません。
そうでなければ、お上のご意向に従うだけです。
9割の日本人は、どうもその道を選んでいるようですが、私はその道を選びたくないと思っています。
できているかどうかは全く自信はないのですが、人間として生きていたいと思っています。
それでこうして実名で毎日書き続けています。
家畜には実名はありませんが、人間には実名があるからです。

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■仕事がなくなったのではなく、仕事の意味を変えられる時代になったのです

昨年末から東京都が実施してきた「官製派遣村」が18日午前、終了しました。当面の対応としては効果を上げたと思いますが、新しく仕事が決まった人はごく一部だあったようで、いろいろと課題は残ったままだという報道が新聞に出ていました。

今朝の朝日新聞の地方版には、こんな記事がありました。
千葉県内の今春大卒予定者の就職内定率が47%。調査開始以来の最低記録だそうです。

オートメーション化が始まった1980年代に、オートメーション化によって仕事が激減するという警告が発しられていました。
私は当時はまだ会社にいましたが、それによって「仕事の体系」は変わるだろうなと思っていました。
しかしそうはなりませんでした。
仕事の体系は変わるどころか、それまで以上に過酷な労働条件へと変化してきたように思います。
1990年代の初めでしょうか、ある企業の研修に講師として招かれました。
研修が始まる前に、事務局の人が、日本の労働者の半分は余剰。その余剰にならないようにがんばってほしいと挨拶しました。
私は一気に意欲を削がれてしまいました。
がんばらないと企業から排除されるなどという脅しのもとでの研修には加担したくなかったからです。
そういう話をしてしまったためか、その会社からの講師依頼はその後なくなりました。

かつて就農人工が激減しましたが、その吸収先は工業とサービス業でした。
しかしオートメーション化やIT化による仕事の激減を吸収する先はこれまでの発想では見当たりません。
発想を変えれば簡単なのですが、なかなそうはならないようです。
ベーシックインカムの発想は、仕事の意味を変えようとしています。
いささか独断的ではありますが、「消費すること」を仕事にするということです。
まさに「パンとサーカス」の発想ですが、働く能力のない人は、企業が生みだす商品やサービスを消費する「労働者」になれということです。
それはそれで論理は通っていると思いますが、あまりに非人間的な発想ではないかと思います。

全く別の方向で、仕事のパラダイムを変えることもできます。
そのひとつがワークシェアであり、支えあいの関係を育てることです。
そうした発想で私たち一人一人も生き方を少しずつ変えていけば、たぶん50年もすれば社会は住み良くなるでしょう。
どこかで発想を変えなければいけません。

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2010/01/19

■「コンラッド/ミルバーンの法則」

面白い調査があるそうです。
権威主義的で懲罰的な家庭で育った人の多くは、独裁的な指導者に投票する傾向があり、懲罰的なシステムを支持する傾向があるのだそうです。
まだ原典に当たったわけではないのですが、シェリー・コンラッドとマイケル・ミルバーンの共著「否定の政治学」にその調査結果が紹介されているようです。
私は、これを勝手に「コンラッド/ミルバーンの法則」と呼んでいます。

例えば小泉人気もそうですが、昨今の検察コンプレックスもまさにその一例ではないかと思います。
私は、幸か不幸か、権威主義的で懲罰的な家庭には育たなかったばかりでなく、権威主義的で懲罰的な組織にも属してこなかったため、そうした傾向を持ち合わせていませんが、多くの日本人はどうやらそうした文化に浸りきっているような気がします。

しかし、今日のテレビ報道は大政翼賛会時代を思わせます。
民主党にも「権威主義的で懲罰的な家庭で育った人」が多いでしょうから、検察を支持する人が出はじめてきました。

ところで、今日、この「コンラッド/ミルバーンの法則」を考えていて、気づいたことがあります。
小沢さんは人気がありません。
つまり「コンラッド/ミルバーンの法則」に合致しません。
言い換えれば、小沢さんは「独裁者」ではないのです。
いやしいほどに従順な日本国民にあれだけ嫌われている人が、独裁者であるはずがありません。
「コンラッド/ミルバーンの法則」は、そういうことを教えてくれています。
いま気づいたので、蛇足ながら掲載します。

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■節子への挽歌870:人の生き方は、伴侶によって決まります

時評編にcaring economicsのことを書いたのですが、書いているうちに節子のことを思い出しました。
私がこの生き方が続けられたのは、やはり節子と出会ったからでしょう。
節子の支えなしには、この生き方は続けられなかったような気がします。

人の生き方は、伴侶によって決まります。
人の生き方が伴侶を決めるのかもしれませんが、結婚した後にもお互いの生き方が変わることもあります。
どちらか一方の生き方に引き寄せられることもあるでしょうが、私の体験では、違った文化を持つ2人が結婚することによって新しい文化が創発されることが多いように思います。
私たち夫婦はお互いから多くのものを学び、それによって自らの生き方を少しずつ変えてきたように思います。
私たちのスタイルができたのは、たぶん結婚してから20年くらい経ってからのような気がします。

血のつながりのない人と人生を共にすることは、実に刺激的なことです。
結婚することによって初めて知りえることは少なくありません。
そんなことなら結婚しなければよかったと思うようなこともないとは限りません。
私たちもたぶんそうしたことがお互いにあったはずです。
しかし2人ともそう考えなかったのは、それも含めて、自らの生き方を新しく創っていこうという思いが、私にも節子にもあったからです。

結婚とはケアリングの関係を深めること、いまから考えると、そんな気がします。
私たちは、ケアしあいながら新しい人生を育ててきました。
ですから、その一方がいなくなることは、とても辛いことです。
ケアとは一方的な行為ではなく、双方向の関係性だからです。
ケアされる人もなく、ケアする相手もいない。
これが私の最近の一番の寂しさなのかもしれません。

caring economicsの本を読んでいて、節子のことをいろいろと思い出しました。

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■caring economics

私は会社時代、女性社員が来客にお茶を出す仕事と経営参謀スタッフが会社の長期計画を立てる仕事と、どちらが大切かといえば、前者であると考えていました。
それは前者の仕事は直接人の気持ちを相手にしているだけでなく、人と人とのつながりを創りだす重要な役割を持っているからであり、やり直しができない仕事だからです。
当時、同じ職場の女性社員にもそう話しましたが、だれからも相手にされませんでした。

また私の仕事を手伝ってくれていた女性には、たとえ私が頼んだ仕事でもやりたくなかったら断っていいと話していました。
私の最高の批判者は部下(私は仲間と考えていましたが)だと思っていたからです。
彼女は退職後、私の所に来て、その言葉にはとても戸惑ったと白状してくれました。

私は会社時代、たとえ新入社員でも「さん」づけで呼びました。
逆に上司も「さん」づけで、職位で呼んだのは社長だけでした。

もう20年以上前になりますが、それが私の会社時代の考えでした。
いずれも特殊すぎて、いまだなお賛成してくれる人は少ないでしょう。

しかし、昨日読んだ「ゼロから考える経済学」は、そうした内容の本でした。
もちろんそんなことはどこにも書いていませんが、そう思いました。
ゼロから考える経済学というのは翻訳書名ですが、原題は “caring economics” です。

いささか我田引水の昔話になりますが、この本には私が学生の頃から考えていたことや私の生き方につながっていることなどがたくさん出てきます。
私の生き方は、必ずしも常識的でなく、友人たちの共感はあまり得られていません。
興味を示す人や感心してくれる人はいますが、同伴してくれる人は多くはありません。
もっとも、以前は私の言葉を真に受けない人が多かったですが、最近は一応信じてくれるようになりました。
しかし、どこかで「特殊」とみなされているのでしょう。
先日の集まりでも、「佐藤さんだからできる生き方」だといわれました。
そんなはずはありません。
私でできるのであれば、誰でもできるはずです。
但し私の場合も、20代の頃からこの生き方を続けていればこそ、今もなおこの生き方ができるのかもしれません。

いずれにしろ、新しい経済パラダイムがこの本に垣間見える気がします。
この本の問題提起の文章を引用させてもらいます。
興味をもたれたらお読み下さい。

私たちは誰ひとりとして、思いやること(caring)と世話をすること(care giving)なしにはここに存在してはいないのだと考えてほしい。家庭も、労働力も、経済も何ひとつとして存在しないだろう。それなのに、現在の経済に関する議論は、思いやることと世話をすることに触れる事すらしないものが大半である。

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2010/01/18

■しつこく小沢さん問題をもう一度

小沢幹事長と検察との関係の報道は、ますますヒートアップしています。

友人から、石川容疑者が自殺しないといいけれど、いうメールが届きました。
誰も感ずることでしょう。
あってはいけないことですが、もし万一、石川容疑者が自殺したとしたら、これは「自殺」というべきでしょうか。
自殺をするといけないので逮捕する、などということは、私には受け入れがたい論理です。
つまり誰でもいつでも逮捕できるということです。
恐ろしい社会です。

私が一番危惧するのは、検察は正義だという前提で語られていることです。
足利事件はどうだったのか。
先の民主党の管さんの年金未納問題は厚生労働省が間違っていました。
松本サリン事件での河野さんはどうだったでしょうか。

今回の事件は、私は小沢さんに加担しますが、小沢さんが無罪であるかどうかに関しての確信はありません。
どちらが白か黒かなどは、この際、私にはあまり重要ではありません。
小沢さんが公明正大であるなどと、いかな私でも思ってはいないのです。

それに、激しい追求の中で正常な感覚を維持できる人はそうは多くないでしょう。
あなたは自信がありますか。
不正を果たしていなければ大丈夫のはずだという人がいるかもしれませんが、もしそうであれば冤罪などは起きないのです。
鈴木宗男さんがいうように、狙われたらだれでも落とせるのです。
それが権力です。
だから権力行使の透明性と過剰なほどのチェック機能が必要なのです。
あるいは報道に関するしっかりした規制が必要です。
浅薄なタレントがテレビで知ったようなことを言うな、という気がしてなりません。
私がブログで毒舌を語るのとは全く意味が違うのです。

検察などが発表する情報を、なぜ私たちは疑うことなく受け入れてしまうのか。
「悪」のイメージのある小沢さんのいうことは、なぜみんな疑うのか。
私が一番気にしているのは、そのことなのです。
先入観を捨てて、何がいま大事な事なのかを考えなければいけないのではないか。
そんな気がしてなりません。

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■節子への挽歌869:セルフヘルプグループ

昨日引用した番組で、同じような状況に陥った人たちとの出会いが、復興曲線の方向を反転させ、元気を回復してきた人の話も紹介されていました。
人を癒してくれるのはカウンセラーでも専門家でもなく、同じ境遇を体験している人なのかもしれません。
最近は、そうしたセルフヘルプグループの活動が広がっています。

節子が闘病生活を送っていた時、何人かの人から同じ状況にある人たちの集まりへのお誘いを受けました。
節子は参加しませんでした。
節子は同じ状況のある友人知人とは心を通わせあっていましたが、なぜかそうしたグループへの参加には一切関心を示しませんでした。

実は私もまったく同じなのです。
妻もしくは伴侶を亡くした人たちのグループがあることは、私も教えてもらいましたし、ネットでもその存在を知りました。
しかし参加する気にはなれません。

おそらく節子もそうだったと思うのですが、状況は同じでもそれぞれにまったく違っていることを何となく感じているからです。
セルフヘルプグループは、たしかに大きな効用があります。
私もコムケア活動でさまざまなグループにささやかに関わっていますので、その効用は少しはわかっているつもりです。
節子のがんが発見される以前にも、私はがん患者の人たちのグループをささやかに応援していたことがあります。
みんなとてもやさしいのですが、そうでない人との距離を感じました。
中に向かってどんどん強まる絆と外との断絶間の強まり。
そうしたことへの違和感が、私がコムケア活動にのめりこんでいった理由の一つでもあります。
そういう状況の中では、なかなか一緒に問題に取り組むのは難しい。
ですから、そうした状況を変えていきたかったのです。

ところが、自分が「当事者」になってしまうと、そうした断絶感が理解できるようになりました。
問題を共有する難しさを感じます。
わかってなどもらえないからです。
しかし、少し落ち着いてくると、わかってもらえないのは当然であり、それはなにもこうした特別の問題ではないことを思い出します。
人間がわかり合えるのは、わかり合えたと思えるだけの話です。

また長くなりました。
続きは明日書きます。

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2010/01/17

■節子への挽歌868:遺族が癒される時

節子
阪神大震災から15年目です。
「震災障害者」という言葉がありますが、多くの人たちがまだ癒えることなく辛い思いを重ねているようです。

大阪大学の研究チームが、被災者一人ひとりの復興感を、地震発生からの時間経過を横軸にし、曲線で書き記してもらう「復興曲線」という手法を開発し、その曲線の形から被災者やその遺族が、心の状態をどう改善してきているかを調査しているそうです。
その一部が昨夜、NHKテレビで紹介されていました。
いろいろと考えさせられることがありました。

復興曲線は決して時間に伴って上向いてくるわけではありません。
人によってはむしろ低下傾向を続けているそうです。
「不幸は時が癒す」などということは、理屈の世界の話であって、当事者にとって時はただ一方向に進んでいるわけではないのです。

被災した夫婦が、困難な状況を克服するなかで、絆を強めるどころかその反対の方向に向かっている話も紹介されました。
とても悲しく、とても寂しいのですが、奥さんがぽつんと「むしろ絆が消えそうで・・・」と、それこそ消えるような声で話していたのが印象的です。

私の「復興曲線」はどうでしょうか。
上向いているのか、下降をつづけているのか。
外部から見れば、おそらく上向いているでしょう。
でも、心はそんなに単純ではないのです。
阪神大震災の被災者の人もそうでしょうが、当事者にとってはおそらくそれは終わることのない事件なのです。
もう15年たったというのは、観察者の発想です。
多くの被災者は今なお、震災の世界に生きている、そんな気がしてなりません。

私もいまなお、節子との世界は「過去」のことではなく、「いま」のことという感覚の中にいます。
ですから誰と話していても、どこかに違和感があるのです。

時間はもしかしたら、愛によって動いているのかもしれません。
つまり、愛の変化が時間を生みだすということです。
愛する人がいなくなってしまうと、時間の速度は一変してしまいます。
節子がいなくなってからの私の時間は、それまでと全く違ってしまっているように思います。
これまで使っていた時計は全く役に立ちません。

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■検察は正義なのか

小沢幹事長をめぐり、検察と政権が全面対決に向かっています。
根底にあるのは私怨でしょうか、変革でしょうか。
最近これについて毎日書いていますが、今日も書きます。

民主党大会で鈴木宗男さんが、「検察が正義と思ったら大間違い」「狙われたら、誰でもやられますよ」と話しました。
この言葉の意味を私たちは良く考えなければいけません。

今回の検察のやり方を見ていると、こうしてかつての日本は戦争に向かい、ドイツはナチ化したのだろうなと思います。
鈴木さんがいうように、検察は決して「正義」ではありません。
単なる体制の守護者です。
しかもその体制は国民でも政権でもないことは今回の事件で明らかです。
ロッキード事件にしても、その意味は問い直さなければいけないように思います。
私がそう思ったのは、昨年末の検察の行動に対する堀田元検事の発言からです。
堀田さんも単なる権力の走狗だったと確信しました。
誰が誰を落とそうとしているかは、なかなみえてきません。

法治国家だから検察に任せるべきだと発言していた人もいます。
法治国家とは法や制度が最優先するということではありません。
法が判断の基準になるというだけであって、法に支配されるわけではありません。
ましてや西部劇ではあるまいし、「俺が正義だ」などと思う検察官がいたら、とんでもありません。
ヒトラーでさえ、そんなことは思わなかったでしょう。

小沢さんの説明責任について国民の8割は納得していないといいます。
私は数少ない2割の一人ですが、そもそも説明責任とはなんでしょうか。
堀田さんはそうではないと言いましたが、説明すべきは権力側でしょう。

私も昨年、湯島の交番の警察官に犯罪者視された経験があります。
まあたわいない話ではありましたが、乗っている自転車が自分のものであることを問われたのですが、皆さんはどう答えられますか。
これは私の自転車ですと言っても説明責任は果たしていないとでもいうのでしょうか。
鈴木さんがいうように、誰でも犯罪者にできるのです。
それが国歌の制度的暴力ということです。

検察との対決よりも、国民性活のための予算の方が大切だから、小沢さんは幹事長を辞めたほうがいいという人もいます。
それは、要するに検察の横暴を認め、加速させることです。
国民生活にとって大切なのは、予算ではありません。
安心して生活できる社会です。
核開発問題よりも拉致問題事件が重要なのと同じく、検察やマスコミの暴力こそを正すべきです。
私たちは、パンとサーカスの社会から抜けなければいけません。

あまりにたくさんのことを言いたくて、また支離滅裂になりました。
そういえば、昨日は読者から論理が粗雑過ぎると怒られました。
今回の特捜部や昨年の堀田さんよりは論理はまともだとは思うのですが、まあ私の独りよがりでしょうね。

勝ち目のない戦いに踏み出した小沢さんと鳩山さんにエールを送りたいです。
そして、検察の横暴さと政治関与には異議を申し立てたいです。
権力は一の場合も醜いです。
小沢さんも権力ですので醜いですが、検察に比べればかわいいものです。

さてさて、この記事は勢いで書いてしまいましたが、後日読んだらきっと後悔するでしょう。
しかし人間の第一印象は大事にしなければいけません。
その意味で、あえて自らの記憶のために書かせてもらいました。
すみません。

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2010/01/16

■節子への挽歌867:従姉妹から長い手紙

節子
私の従姉妹から長い手紙が届きました。
年賀状の返事を出しただけなのですが、そこにちょっとだけ触れていた節子のことから節子のイメージを膨らませてくださったようです。
その従姉妹とは節子はもちろんですが、私もほとんど付き合いがありませんでした。

そういえば、節子がいなくなってから、私はますます親戚づきあいを少なくしてきているような気がします。
私は友人との付き合いはそれなりに出来るのですが、親戚づきあいがあまり得手ではありません。
節子がいるとうまくいくのですが、私だけでは何をどう話したらいいのか、わからないのです。
私は話し好きで、湯島に誰かが来るといくらでも話せるのですが、いわゆる「世間話」ができないのです。
それに親戚の場合、往々にして昔話になりがちですが、その昔話が私にはとても不得手なのです。
全く興味もなければ、意味も感じられない。困ったものです。

ところがです。
節子がいるとなぜか昔話も世間話もできたのです。
節子がとなりにいるだけで、私の世界は変わったのです。
いや節子だけではないでしょう。
女性はみんな、そうしたことが得手なような気がします。
そして、女性は歳とともにさらに社交的になりますが、男性はむしろ偏屈になり引きこもりがちです。
私もそうならないようにしないといけません。
社会と私をつないでくれる節子はもういませんから、自分で自らを開いていかねばいけません。

さて長い手紙に返事を書かなければいけません。
節子がいたら、何を書いたらいいかなあと教えてもらえるのですが、今は自分一人で書かなくてはいけません。

親戚への電話も手紙も、いつも節子にすべて任せていたことの罰を受けているような気がします。
節子はきっと笑いながら心配していることでしょう。
いやはや困ったものです。

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■石川議員逮捕―小さな犯罪・大きな犯罪補足

昨日、「小さな犯罪、大きな犯罪」を書きましたが、読んだ人から何がいいたいのかわからないと怒られました。
そこで改めてもう一度書こうと思っていたら、石川議員や大久保議員が逮捕されると言う急展開です。
どう考えてもおかしいと私は思います。

「小さな犯罪、大きな犯罪」で言いたかったことは、
小さな犯罪は見えやすいが、大きな犯罪はなかなか見えない。
そして大きな犯罪を見えないようにするために、小さな犯罪が利用される。
私たちはそれに翻弄されることなく、大きな犯罪を見ていかねばいけない。
しかし、小さな正義感を持った人が大きな正義を壊すことは少なくない。
とまあ、こんなことを言いたかったわけです。

大きな犯罪とは何か。
先の世界大戦に敗れたことで日本は完全にアメリカに牛耳られるようになりました。
それを完成させたのは小泉政権だと思いますが、以来、完全に日本の政治は主体性を失いました。
正確にいえば、アメリカに牛耳られるというよりも、アメリカのどこかにある「ある主体」に牛耳られているというべきかもしれません。
おそらくオバマ大統領も、それに牛耳られているだろうと思います。
では牛耳っているのは誰か。
ロスチャイルド家だというような話もありますが、私はそうではなく、もっとスピリチュアルなものを感じます。
例えば「欲望」です。
いささか分かりにくくなりますので、この議論はやめますが、
そうした体制が自民党政権によって確立されてきました。
少し具体的な言い方をすれな、日本は「市場化」されたのです。
お茶よりもコーヒーが広がり、日本の伝統文化は壊されて市場化されてしまいました。
郵政民営化は、何回も書いているように、郵政市場化でしかありませんが、そうしたことの象徴的な事例の一つです。
基地問題もまた、市場化の一例と考えることもできるでしょう。
軍事で生活を守ることなどできるはずはないからです。
グアムへの全面移転は非現実的な話ではなく、あるグループにとって「不都合な」だけの話ですが、それを非現実的と決めているのは思考していない人の考えです。

そうした流れに抗う動きはつぶされてきました。
政治の世界でいえば、細川政権もそうかもしれません。
おそらくここでも検察が、アメリカにある権力によって利用されました。
小さな正義感をあおることはいとも簡単な話です。
見識も覚悟もない村山さんという好々爺が見事に茶番を演じました。
自民党政権はさらに「欲望」の走狗になっていきました。
そして、再び自民党政権を覆した、小沢さんや鳩山さんは、すっかり大きな正義を見失った検察によって「小さな犯罪」を暴かれ、打倒されようとしています。
ここで誰が得をするのかを考えれば、事の真相は明らかです。
細川政変の失敗を繰り返したくないと私は思います。

検察も警察も、だれが主人でしょうか。
私は国民でなければいけないと思いますが、決してそうではありません。
多くの冤罪や、検察や警察のやり方を見ればよくわかります。
では国民が選んだ政府のために動いているのでしょうか。
そうでもありません。
せっかく、日本の政治が変わろうとし、国民の生活の苦境に真剣に取り組み出そうとしているいま、こんな騒動をつくりだすとはいかにも「意図的」です。
マスコミでは御用学者ならぬ御用タレントが、今朝も盛んに小沢さんはなぜ逮捕されないかと言外ににおわす発言をしていました。
みのもんたさんです。
こうした権力が生み出した動きに迎合する人が後をたちません。
ジャーナリズムは死に絶えたとしか思えません。

小さな犯罪はそうやって大きくなっていきます。
足利事件のような冤罪を体験した直後なのに、相変わらずマスコミはまだ、不正確な周辺情報をモンタージュしながら、イメージを虚構しているのです。

こうした大きな流れに抗おうとしている小沢さんと鳩山さんが、たとえ小さな犯罪者であろうと自分の財産を管理できない自己禁治産者であろうと、私は応援したいと思うわけです。
それに石川議員を逮捕するなら、自民党議員にも逮捕すべきする人がいるだろうと思うのです。
しかも、昨年からの検察の動きには、小さな正義と合わせて、自らの「欲望」あるいは「面子」を感じます。
まさに日本の司法界が積み重ねてきた「冤罪」への危険性を感じます。
私の理解しているリーガルマインドとは、全く違うような気がします。

さてさて、また読者からお叱りのメールが来そうです。
日本では余計な発言をするといいことはありません。
困ったものです。

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2010/01/15

■節子への挽歌866:青い空

節子
昨日、福山さんからメールが来ました。
「青い空」というタイトルでした。
私が空が好きなのを知っているかどうかは不確かですが、私も、そして節子も、青い空が好きでした。
私たちが、空の青さを意識しだしたのは、エジプト旅行の時でした。
私は、それまで忘れていた、空の青さの深さを思い出しました。
いつか書いたような気がしますが、私は大学生の頃、自分が空の青さに吸い込まれるような気になったことがよくあります。
大学を卒業して以来、それを忘れていましたが、家族でエジプトに旅行した時に、それを思い出したのです。
以来、空を見る習慣が戻ってきました。
無為に空を見ていると見えない世界が見えてくるような気がして、心が落ち着きます。
そういえば、この1週間、空を見たことがありませんでした。
福山さんは、それを知っていたのでしょうか。

福山さんには節子は会ったことはありません。
節子がいなくなってからお会いしたのです。
その福山さんからのメールには智恵子抄の話が出てきて、その後に奥さんのことを思う佐藤さんの想いが思い出されました、と書かれていました。
そのときは、実は昨日書いたような状況だったので、読み流しましたが、今日、湯島に来て、暖かな陽射しの中で空を見ていたら、そのことを思い出しました。
今日の東京の空は深さのない青さです。

青さの向こうに、たぶん彼岸があると私は昔から思っています。
西方にあるのでも地底にあるのでもなく、彼岸は仰ぎみる空にあるのではないかと思っているわけです。
彼岸からは私たちがよく見えなければならないからです

ちょうどいま、その空を大きな鳥が飛んでいきました。
見ているとけっこう鳥が飛び交っています。
空の上から、節子も見ているでしょうか。

空の青さは見れば見るほど豊かです。

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■かけているめがねを変えましょう

腹立ちからの発言をもう一つです。
普天間問題に関しては、このブログではあまり書いていないのですが、書き出したら止まらない気がしているからです。
日本の防衛省や自民党議員がアメリカに買収されていることは、守屋元防衛次官の表面化したわずかばかりの一部の情報(しかも、なぜか途中でストップしています)からでさえ感じられますから。

今月号の「軍縮問題資料」(2010年1・2月合併号)にジャーナリストの吉田健正さんが「米軍計画が示す海兵隊のグアム移転」という記事を書いています。
吉田さんは、在日米軍再編「ロードマップ」に示されている合意事項の「異様さ」を理解するために、米太平洋軍司令部の「グアム統合軍事マスタープラン」や2009年11月に公表された環境影響評価書を読んだ結果を報告しています。
そこからいろいろと日本のマスコミからはあまり伝わってこない事実を教えてくれます。
そこで明らかになってくるのは日本の特異な動きです。
タイやフィリピン、韓国に比べて、日本はあまりに米国に迎合しているのではないかという気がしてきます。
基地移設ではなく、基地撤去だろうという議論がありますが、日本以外の各国の基本姿勢はすべてそうのようです。
自立した国家であれば当然でしょうし、もし「愛国心」なるものがあるとすれば、当然撤去をベースに考えるでしょう。
小泉元首相や安倍元首相には愛国心も誇りも微塵もない人ですから、そんなことは全く考えもしなかったでしょう。

吉田論文を私は2回読みましたが、その本意は正直よく分かりませんでした。
私には知識と情報が不足しているためですが、しかしそこから感じられるのは、私たちが知らされている情報と政権や官僚が持っている情報とは違うのではないかという疑問です。
公表されていない情報はともかく、公表されている情報も、もっときちんと私たちにわかるように公開し解説してほしいと思います。
自民党政権がアメリカの言いなりに作り上げてきた先入観を捨てて、もう一度、しっかりと事実確認をしていかねばなりません。
いわゆる有識者は、そうした先入観に置いての有識者ですから、視点を変えれば無識者なのです。

まあこういう話は普天間問題に限りません。
政権交替で、私たちのかけているめがねを変える契機が訪れました。
濃厚に編集され他マスコミ情報だけに依存していることは避けたいです。
そうすると違った世界が見えてきます。

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■小さな犯罪、大きな犯罪

昨日、小沢さんが好きなったと書きましたが、どうやら小沢さんの評判はますます悪くなっているようです。
めげずに書きましょう。

小沢さんに関して問題になっているのはたかだか4億円、多くても数十億円でしょう。
これを大きい金額と見るかどうかは視点によって変わります。
生活感覚からすれば巨額な金額です。
年収200万円の私にとっては、年収が1000万円の人の話しを聴くだけでなんだか違う世界の人の話しに感じます。
今日も近くのスーパーが5%引きだというので娘にいくつか買ってきてほしいものを頼みましたが、その節約効果はまあせいぜい100円でしょう。
そうした私の生活感覚からすれば4億円は途方もなく巨額です。
しかし全く無縁の話ではありません。
残念ながら外れましたが、年末にジャンボ宝くじを買いました。
それがもし当選していたら3億円がもらえました。
ですから4億円は生活者にもある程度分かる金額であり、そこでは巨額なお金なのです。
ちなみに、検察の無駄遣いも少なくないと思いますが、それもおそらく数億円を超えるでしょう。
自分たちが無駄遣いしていればこそ、目の敵にできるのかも知れません。

しかし小泉純一郎が浪費した国税の無駄遣いに比べれば、誤差範囲の金額でしかありません。
麻生太郎が浪費した2兆円の給付金に比べても無視できるほどのわずかな金額です。
にもかかわらず、マスコミも国民を小沢たたきをしています。
人は自分の世界でしか物事を見られないと言うことの現れでしょうか。

4億円という金額の大小ではない、政治と金の問題だという人もいるでしょう。
政治と金の問題の、正解と財界の癒着として捉えるのであれば、小沢事件はそれこそ瑣末な問題です。
そもそもが財界のための政治をやってきたのが自民党政権だったのですから、大島自民党議員の厚顔無恥さには嘔吐を感じます。

細川政権も、こうした見えない所で動いている検察の飼い主によってつぶされました。
そして日本は世界の経済大国、文化大国の座を失いました。
ようやく再起しようと動き出したところで、また見えない権力が動き出したような気がします。
果敢にそれに戦っている小沢さんに敬意を表します。

小沢さんの考えは、もちろん私は好きではありません。
時代遅れの馬鹿な政治家だと思っています。
しかし、にも関わらず、私は小沢さんが好きになりました、

関係はないのですが、昨日、朝青龍が豪栄道に負けました。
負けた後の朝青龍の笑顔がとてもよかったです。
私は朝青龍が好きではなかったのですが、あの笑顔を見て、朝青龍が好きになりました。
小沢さんの笑顔と怒り顔も、彼を好きになった一因です。

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2010/01/14

■小沢さんが好きになりました

今日は少し疲れ気味なので、簡単な記事です。

民主党の小沢幹事長が好きになりました。
私は小沢さんの政策理念も政治姿勢も好きではありませんでした。
しかし昨今の検察とのやりとりの報道を見ていて、とても親しみを感じ出しています。
世間の風潮とは逆かもしれません。

先日、このブログの読者から、佐藤さんは田中真紀子さんが好きなのですね、と驚きのメールをもらいました。
おそらく私の時評のトーンだと田中真紀子さんは嫌いだと推測されたのかもしれません。
私も彼女のような人とは付き合いたくはないのですが、なぜか好きなのです。
小沢さんもそうです。
亀井さんも、です。

頭で考えると、この3人は共感は全くできません。
でもどこかに人間的魅力を感じてしまうのです。
なぜでしょうか。
まあいずれに人ももう終わろうとしている人たちではあるのですが。

小沢さんと検察の戦いでは、小沢さんに勝ってもらいたい気分がどこかにあります。
頭と心の反応はどうも違うようです。
もちろんそうした場合は、私は心の判断を優先させます。

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■節子への挽歌865:とんでもない失敗

節子
今日はとんでもない失敗をしてしまいました。
講演の時間を1時間間違っていたのです。
聴き手であれば問題なかったのですが、話し手でした。

話すと長くなりますが、狐につままれた感じで頭が混乱したという話です。
講演会は9時半からでしたので、9時に会場に集合するようにと言われていました。
前日、8時前には自宅を出なければいけないと思っていました。
それが朝、目が覚めたら、集合時間を自宅を出る時間と勘違いしてしまっていました。
会場近くの大手町の駅に着いのが9時半、ちょっと早かったなと思いましたが、そこで何かおかしいなと気づいたのです。
まあ後から考えると単なる勘違いなのですが、その時は頭が混乱してしまい、状況が理解できなくなりました。
早目に着いたとばかり思っていたのに、1時間遅れてしまっていたのです。

慌てて携帯電話を調べました。
事務局から電話が入っていると思ったからです。
しかし受信記録がありません。
ますます頭が混乱してきました。
もう講演会は始まっているはずです。
なぜ電話が来ていないのだろうか、日を間違えたのだろうか。

しかし依頼状を見直しても14日の9時半からと書いてあります。
ともかく急いで会場に行こうと走ったのですが、会場だと思っていたところの様子がおかしいのです。
12月に下打ち合わせがあったのですが、そのビルになぜか行き着けないのです。
ビルの守衛さんがいたのでビルの名前を伝えたら、大通りの向こうだというのです。
そんなはずはありません。大通りのこちらのはずです。
申し訳なかったのですが、もう一度、ほかの人に訊きました。
また同じ答えです。
またまた頭が混乱しました。
東京の再開発がひどいとはいうものの1か月でそんなに変わるはずもありません。
もしかしたら異空間にワープしてしまったのかもしれないと、少々、本気で思い出しました。
そういえば歩いている人たちにも表情がありません。
ついに節子の世界に来てしまったか、というわけです。

しかし待てよと思い直し、依頼状をよく読んでみました。
なんと会場のビルは前回とは全く別のところだったのです。
いやはや、です。

じつはそれからもいろいろあって、結局、会場にたどりついたのは講演会が始まってから30分後でした。
みんな心配してくれていましたが、私の前に講演する人がいたので、なんとか間に合ったという次第です。
しかし、このとんでもない間違いで疲れきってしまいました。

長々とすみません。
読むほうも疲れてしまったかもしれません。
実はこの話題から、節子のとんでもない勘違いの話を書こうと思っていたのですが、もう十分長くなったので、節子の話は日を改めます。

一言だけ言っておけば、こうしたとんでもない思い違いは、結婚当初、わが夫婦にはよくあったのです。
だから私たちは、そうしたことがないようによく話し合う文化が育ったのかもしれません。
要するに、私たちは2人ともかなりいい加減な人間だったということかもしれません。
だから40年以上も仲良くやれたのでしょうか。
仲良く夫婦を続けるコツは、お互いのいい加減さがそろっていることかもしれません。
まさに私たちは、同じレベルだったような気がします。

今日は疲れてしまい、こんなことしか書けませんでした。
はい。

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2010/01/13

■節子への挽歌864:麻酔が嫌いだった節子

節子
延ばし延ばしになっていたのですが、大嫌いな歯医者に行きました。
歯医者さんでは話もできなくなり、全くの拘束状態にしばし置かれるので私にはとても苦手なのです。

ところで歯医者といえば、節子の麻酔嫌いを思い出します。
最近の歯医者さんは痛みを感じさせないとするのか、いとも簡単に麻酔を使います。
私も節子も麻酔が嫌いです。
とりわけ節子は嫌いで、以前、通っていた歯医者さんは行くと必ず、奥さんは我慢強いですねと言っていました。
麻酔をかけようとした医師に、麻酔はかけないで良いですと言ったのだそうです。
その歯科医では語り草になっていました。
どちらかといえば私もそうですが、節子は大の麻酔嫌いだったのです。
もしかしたら「鈍かった」のかもしれませんが、たぶん我慢強かったのです。

歯医者だけではありません。
節子は実に我慢強く、弱音をはいたり、愚痴をこぼしたりすることがありませんでした。
それは見事と言うべきほどでした。
私とは対照的です。
私はちょっと熱が出ると、今にも死ぬように気弱になるのです。

歯医者に行くと、いつも節子の麻酔嫌い、我慢強さを思い出します。
私の記憶では、その節子が手術の時に弱音をはいたことが1回だけあります。
思い出すのも辛いのですが、2007年4月27日のことです。
その時は手術室に入る時の節子はいつもとは全く違っていました。
その後、同じ手術を何回か受けざるを得なかったのですが、2度と弱音ははきませんでしたが。

節子はもう一度だけ弱音をはいたことがあります。
前に書きましたが、8月のある日、「もうがんばれない」といったのです。
しかし私たちのために、節子は2週間以上、がんばってくれました。
あんなに我慢強い人はいない、と私は思っています。
だから身勝手で、いささか小難しい私の良きパートナーになってもらえたのです。
私がいまあるのは、間違いなく節子のおかげです。
だから今でも頭があがらないのです。

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2010/01/12

■「安全保障としての医療と介護」

鈴木厚さんが「安全保障としての医療と介護」(朝日新聞出版)しました。
早速読ませてもらいました。
私に、日本の医療制度に関心を持たせてくれたのが鈴木厚さんです。
鈴木さんの講演を聞かせてもらって、それまでの医療制度への誤解を反省したのです。
これに関しては、ホームページ(CWSコモンズ)の昔の記事に書かれているはずですが、同じ集まりで本田宏さんのお話もお聞きして、私にも何かできることがあるのではないかと思いました。
医療制度研究会に参加をお願いしたり、自分でもヒポクラテスの会を立ち上げたりしたのですが、持続できませんでした。
しかしその後、日本の医療制度はどんどん悪化していくような不安がありました。

妻の入院などを通して、いろいろと考えることがありましたが、同時に現場の医師や看護師の大変さも少し理解できるようになりました。
先日、テレビで兵庫県丹波の柏原小児病院のことを知りました。
地域の母親たちが医師や看護師と一緒になって病院を守っている話です。
感動しました。
もしご存じない方がいたら、ぜひネットで調べてください。
私が考える病院のイメージがそこにありました。
その話は簡単にではありますが、「安全保障としての医療と介護」にも紹介されています。

日本の医療をおかしくしてしまったのは、医師でも看護師でも患者でもありません。
たぶん厚生労働省とマスコミと財界だろうと思います。
何となく私はそう思っていたのですが、鈴木さんはこの本で見事なまでに同じようなことを明言しています。
このブログの時評もかなり独善的ですが、それ以上に鈴木さんは言い切っています。
オリックスの宮内さんやトヨタの奥田さんへの評価も胸がすくような切捨て方をしています。
私は、その2人は破廉恥な犯罪者と思い込んでいますが、この本を読むとあながちそれも独りよがりの偏見ではないかもしれないと思えるほどです。
まあ一人が二人になったところで、正当化されるわけではないのですが。
厚生労働省への批判も私とほぼ同じです。
厚生労働省官僚を犯罪者と言わずに、誰が犯罪者だと私は思っているのですが。
まだあります。
小泉純一郎は単にアメリカ財務省の手先だっただけだというくだりです。
まあその象徴が郵政民営化です。

とまあ、この本にはこのブログで書いてきたようなことがたくさん出てきます。
人は自分と同じ主張が書いてある本を読むと、その本が面白いと思います。
自分と同じ考えの本を読んでも、実は何の役にも立ちませんが、そこがまあ庶民の庶民たるところです。
というわけで、この本を推薦します。
まあ軽い本なので、書店で立ち読みしてもいいかと思いますが。

実はこの本の主張はもっと大きなものです。
医療や介護は、社会保障の問題ではなく安全保障の問題だと言うのです。
その主張に関しては実はあんまり説得力は感じませんでした。
私の読み方が悪かったのかもしれません。
困ったものです。

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■節子への挽歌863:こたつにもぐりたいほど寒いです

節子
昨日から震え上がるような寒さです。
地球は温暖化しているのではなく、寒冷化しているという指摘に、むしろ賛成したい気分になるほどです。
午前中、自宅のコタツで丸くなっています。
こういう寒い日は、節子があったかい甘酒やおしるこをつくってくれたものです。
節子がいる生活は、王侯貴族よりもずっと快適でした。
何もいわなくとも、私が何を考えているかお見通しで、それに適度に対応してくれていたからです。
そういう快適な暮らしの余韻は今も残っています。
娘たちが、その文化をわずかばかり継承しているからです。

もっとも節子はコタツがあまり好きではありませんでした。
コタツにはいると何もできないというのです。
節子はともかく動いているのが好きで、コタツにじっとしているのは不得手でした。
いつも何かしていないと落ち着かない人でした。
テレビでドラマや映画を観ていても、何もしないでただ観ているのは時間がもったいないといって、必ず何かをしはじめるのです。
だから長時間拘束される映画などは好きではなかったのです。

私はコタツが大好きでした。
ですから秋風が吹き出すとそろそろコタツを出そうよといっては、節子からまだ早いと駄目出しをいつももらっていました。
その駄目出しをする節子もいなくなったので、昨年も比較的早く和室にコタツを出しました。
和室には節子の写真と節子が書いた書が掲げられています。
ですからそこにいると、何か節子と一緒にいるようになって落ち着くのです。
節子のことを思い出すといささか感傷的になるので、この部屋ではできるだけ思い出さないようにしていますが、この部屋には節子の記憶が山のように詰まっています。
その記憶につつまれながら、コタツの幸せを感じています。
日本にはたくさんの豊かな文化があるのです。
コタツはともかく、節子はそれが大好きでした。
そんな節子が、私は大好きだったのですが。

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2010/01/11

■「ああ、いいじゃん」

昨日、日本テレビの「秒ヨミ!」で、ステーキハウス「けん」を展開しているエムグラントフードサービス代表の井戸さんの密着取材番組を見ました。
井戸さんは「ロードサイドのハイエナ」の異名を持つ若き経営者ですが、ファミレス冬の時代と言われるなかで、わずか3年で67店舗を開店してきたそうです。
業績低迷の言い分けに不況を口実にしている経営者の不甲斐なさを、改めて感じます。

私が興味を持ったのは、井戸さんの人柄です。
私は和民(ワタミフード)社長の渡邉美樹さんの人柄も経営法も大嫌いですが、それとは対象的なイメージを受けました。

共感したことはいろいろとありますが、一つだけ紹介しておきたいのは、彼の口癖が「ああ、いいじゃん」だったことです。
新たに開店した店の店構えがそれまでとあんまり変わっていなくても、「ああ、いいじゃん」と嬉しそうなのです。
開店初日の売り上げが目標に達成しなくても「いいじゃん」です。
それもただ言葉だけではないのです。
テレビで見ていてわかるのですが、身体がそう言っているのです。
この素直さ、明るさ、感謝の気持ち。
名前を出して申し訳ないのですが、和民の渡邉さんとは全く違います。
こういう会社はきっと社員を人間扱いしているでしょう。
みんな気持ちよく働いているはずです。

井戸さんは自分でもはっきりと言っていましたが、金持ちです。
それでも休日に家族サービスで外食するのは自分の会社のお店なのだそうです。
自分の家族には食べさせられないと公言していたマグドナルドの社長とは大違いで、その点も好感がもてます。
興味を持って井戸さんのブログも読ませてもらいました。
とても面白いし、その素直さが感じられます。

私はステーキがあまり好きではないのですが、その私でも一度出かけて見たくなりました。
ちなみに、「いいじゃん」は表現こそ違いますが、私の好きな言葉なのです。
私の場合は、歳相応に「いいんじゃないの」ですが。
この言葉を使うことにしていると判断んしなくていいので、それこそ「いいじゃん」なのです。はい。

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■節子への挽歌862:「目指されるべきひとつの場所」

吉本隆明は、死を「目指されるべきひとつの場所」と語っているそうです。

節子も知っている柴崎明さんが送ってきた「流砂」第2号に掲載されていた中村礼治さんの「死をめぐって」という小論で、このことを知りました。
中村さんは、死を「目指されるべきひとつの場所」というのは、「人は死ぬために生きている」ということと重なる言い方だと書いていますが、私は全く違うような気がします。

それはともかく、吉本隆明は死について次のように定義しているそうです。
中村さんの論文から引用させてもらいます。

私たちは生きている限り、必ず社会や家族の中で特定の位置を占め、その結果、自己や社会や家族について見ることができない部分、判断することができない部分を必然的に持つことになる。
これに対して、死はそうした「できない部分」の消滅を意味する。
難しい定義です。
そこで中村さんは、その定義を解説してくれます。
そしてこう言うのです。
生きるということは、自らの身体が限られて時間に、限られた場所を占め、限られて方向を向いているという、身も蓋もないほど「個別的」なことだ。
死はその「個別性」の否定であり、時間と空間による限定を脱して「普遍性」へ向かうことにほかならない。
普遍性。
捉えようのない不確かなもの。
しかし同時に、常にそこにある確かなもの。

このあたりまでは、私の体験からしても納得できるのですが、それに続いて中村さんは冷酷にもこう言い切るのです。

「普遍性」への移行はまた、限定された存在、欠如ある存在から、限定されない存在、完結した存在へと向かうことを意味する。
生者は欠如ある存在であるが故に、それを埋めるために他者を必要とする。
しかし、死後は完結した存在となり、もはや他者を必要としない。
残された生者は自分たちが必要とされなくなったことを悲しみ、時には恨みさえする。

死者は他者を必要としない!
そんな馬鹿な!
死者こそ他者を必要としているのではないか。
そう思いながらも、奇妙にうなずけてしまう気もするのが残念です。
しかし、節子はあまりに欠如だらけだったので、今もなお完結はしていないでしょう。
まだ私を必要としているはずです。

吉本隆明の死の定義に関しては、もう少しいろいろと書きたいのですが、新年そうそうからのテーマには重すぎるので、しばらくは忘れることにします。
生と死、そして愛は、深く重なり合っています。

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2010/01/10

■節子への挽歌861:愛は人を強くします

節子
昨夜、久しぶりに映画を観てしまいました。DVDですが。
おそらく節子と一緒には観たことがない映画です。
何しろ西部劇ですから。

私は西部劇が好きだったのですが、節子は全くだめでした。
節子は「殺し合い」の映像が好きではなかったので仕方がありません。
結婚前に何回か一緒に西部劇を見に行きましたが、節子は退屈していました。
こと映画に関しては、好みは全く違っていましたので、映画はあまり行きませんでした。

昨夜観た映画は「大いなる西部」です。
私が何回観てもあきない西部劇は4つありますが、そのひとつです
主演はグレゴリー・ペック。節子の好きなタイプです。
なぜ昨夜観たかと言うと、この挽歌に「愛」について書くことにしたので、この映画を思い出したのです。
西部劇で感動的な「愛」を描いている作品は、この映画しかないでしょう。
この映画は、広大な西部を背景に、大きな愛と憎悪が描かれています。
前にも書きましたが、愛と憎悪はコインの裏表です。

当時話題になったのは、グレゴリー・ペックとチャールトン・へストンの長い殴り合いのシーンです。
カメラを思い切り引いてのシーンですので、音もなければ顔もわからない殴り合いですが、それが逆に迫力を出しています。
念のためにいえば、この2人は決して憎みあってはいないのですが。
憎悪はその前の世代の間にありますが、それを愛が克服していくというのが、この映画のストーリです。
まさに暴力国家として始まったアメリカ社会が、ヒューマンさに気づいていく20世紀前半のアメリカの歴史をなぞっていたように思います。

宿敵関係にある2つの農場が、いまや全面戦争を始めようとしている、まさにその時、グレゴリー・ペック演ずるジム・マッケイは、一方の農場に人質にされてしまったジュリー(ジーン・シモンズ)を救いだすために単身、乗り込みます。
その行為によって、当事者同士にも、そして周囲の人たちにも、その愛が見えてくるのですが、自らの生命を賭した愛の行動は、若い頃、私が憧れた愛です。
愛には生命がかかっていなければ、美しくはなりません。
誠実に生きている人が少なくなった今の退屈な日本社会では無理でしょうが。

その愛は相手にだけ向けられているのではありません。
すべての人に向けられているのです。
すべての人に向けての愛が、たまたま1人の人にフォーカスされるだけの話です。
つまり相手は極端にいえば、誰でもいいのです。
だからこそ、愛は人を限りなく強くします。
エロスの愛でも、フィリスの愛でもなく、まさにアガペ。
言い換えれば、アガペこそが最高のエロスでもあるのです。
誰かを深く深く愛するということは、すべての人を広く広く愛することと同じことだと、この映画は教えてくれます。

この映画を観ていて、私の節子への愛の揺らぎなさを改めて確信しました。
私が愛していたのは節子だけではなく、節子が愛していたすべての世界なのです。
よくわからないでしょうね。
わからない人は是非「大いなる西部」を観てください。
主役ではないですが、パール・アイヴスが最高の演技をしています。
当時、彼にも私は惚れました。
深い憎悪は愛以上に魅力的です。

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2010/01/09

■政治と行政の継続性

自民党の高齢者議員が次の選挙にまた立候補する話題が増えています。
山崎拓さんは、離党をちらつかせてまで立候補したいようですし、青木幹雄さんも片山虎之助さんも立候補を決めているようです。
政治家はよほど魅力のある職業のようです。
自らは引退する代わりに子どもに世襲させる政治家が少なくないのも、それを物語っています。
しかし、山崎さんも青木さんも、もちろん加藤紘一さんも当選はしないでしょう。
なぜそれに気付かずに、老醜をさらすのか。

その一方で、高齢であるにもかかわらずに、乞われて引退できなかった政治家もいます。
財務大臣を辞任した藤井さんは、その一人でしょう。
テレビなどでの発言を、私が安心して聴いていられた数少ない政治家が藤井さんでした。
ですから藤井さんが財務大臣に任命された時には、とても安心したものです。
しかし、どうも藤井さんの正論は必ずしも実現はしなかったようです。

その一因は、民主党の体質にもあるでしょうが、官僚の体制にも一因があったことは否定できないでしょう。
二大政党の政権交替が意味を持つためには、政権交替した時には官僚トップもまた代わらなければ現実的ではありません。アメリカはそうした仕組みや文化を既に築き上げていますが、日本はそう簡単にはできないでしょう。
しかし、少しずつそれも進んでいるようです。

総務省の鈴木次官の辞任が報道されていますが、鳩山政権になって、閣僚による官僚の更迭が始まっています。鳩山首相は局長以上の幹部に辞表を出させる意向を示し、政権の方針を実現するために政治主導の人事を積極的に行う構えを見せましたが、それが少しずつ現実化しているわけです。

政治や行政の継続性ということがいわれますが、これはとても危うい言葉です。
どこに視点を置くのかによって、まったく違ってくるからです。
評価基準の審級を一つあげるだけで、継続性の意味はまったく違ったものになるのです。
官僚の視点からの継続性なのか、政治家の視点からの継続性なのか、あるいは国民の視点からの継続性なのかによって、事態は全く変わってくるのです。

おかしな言い方ですが、継続性を重視するために変えるべきものがあるのです。
それに気付けば、役割を終わった政治家や官僚は身を引くことになるでしょう。
地殻変動によって実現した政権交替は、また新たな地殻変動を静かに起こしているように思います。

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■節子への挽歌860:修さんは私よりパソコンが好きなんですよ

節子
今日もいい天気です。
手賀沼の湖面がきらきらととてもきれいです。
節子はこの光景がとても好きでした。

節子は琵琶湖のほとりで育ちました。
私と出会ったのも、琵琶湖のほとりの大津です。
琵琶湖にも、手賀沼にも、しかしさほどの思い出がありません。
手賀沼公園の近くを歩いていつも思うのは、この手賀沼を節子と一緒にゆっくりと楽しんだことの少なさです。

今から思えば、私はたぶん仕事が好きなあまり、節子が病気になるまで、あまり節子と一緒にゆったりした時間を過ごすことがなかったのかもしれません。
節子の病気が発見されてからは生き方をかなり変えたつもりですし、仕事もほとんどやめました。
それでも私の生き方は、仕事と生活とが重なっていましたから、誰かが相談したいといえば、それに応じていたのかもしれません。
他の人のことよりも私のことを心配してよ、などと節子は絶対に言いませんでした。
私が、誰よりも節子のことを心配していることを知っていたからです。
でも、今から考えれば、私の生き方はあまりよかったとはいえません。

自宅にいても、パソコンに向かっている時間が多かったのでしょう。
節子は誰かが来るといつもそのことを冗談のようにして話していました。
修さんは私よりパソコンが好きなんですよ、と。

もちろんそんなことはありません。
まさか節子がいなくなるなどとは微塵も思っていなかったのです。
ですから最後の最後まで、私は節子に甘えていたのかもしれません。
節子の入院中に見舞いに行っていて、本を読んでいて怒られたこともあります。
本など読まずに、節子の顔をずっと見ているべきだったのでしょうか。
私にとっては、病気であろうと何であろうと、節子が隣にいれば安心していられたのです。
こうして考えていくと、私はとても薄情な人間ではないのかという気さえしてきます。

なぜ、このきらきらと輝く湖面をみながら、節子と一緒にゆっくりとしたティータイムを持たなかったのか。
私の生き方は、やはりどこかで間違っていたように思います。
みなさんはくれぐれも、間違わないようにしてください。

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2010/01/08

■「出る杭」や「新しい取り組み」に感謝したいです

新しいことをやると寄ってたかっていじめるのが最近の日本の社会の傾向です。
それをあおっているのは、まちがいなくマスコミと有識者です。

例えば、今日の.「貴乃花親方、一門を離脱し、相撲協会理事選に立候補へ」という動きに対するテレビの報道を見ていると、それを強く感じます。
あるいは、鳩山首相のツイッターへの批判です。
私はいずれにも拍手を送りたいですが、マスコミの報道の基調や訳知りのコメンテーターたちはどちらかと言うと否定的です。

こうした新しい動きに対してどう反応するかには、その人の本性が現れます。
世間的な評価がまだ決まっていませんから、判断できない人が多いのです。
それにその何たるかもよく知らずにコメントしている人も少なくありません。
しかし、マスコミは、ともかく「出る杭」や「新しい取り組み」を否定する傾向が強いです。
現状を維持しようとする志向がどうしても働くのでしょうか。
それにそれが安全ではあります。
私は、このブログでこれまで何回も失敗して恥をかいています。

生活に余裕がない人ほど変化を嫌います。
ちょっとした変化で今の生活が壊れてしまうからです。
ですからそういう人たちが、体制を守ります。
つまり保守勢力になるわけです。
変化の最大の受益者が変化への最大の抵抗勢力になるわけですが、にもかかわらず、現状を壊そうという人は後を絶ちません。
それはおそらく余裕と自信のある人なのでしょう。
貴乃花親方も鳩山首相も、余裕も自信もあるのです。

私はいずれの動きにも肯定的です。
ツイッターをやる時間があれば、普天間問題を考えろなどと、馬鹿げた発言をしている加藤紘一さんは、もう少しツイッターのことを知るべきでしょう。
自分では使えないものを否定することは、愚鈍か傲慢のいずれかです。
伝統ある相撲界の秩序を乱すことに眉をしかめる人は、秩序は生きていてこそ秩序であることを知るべきです。

たまたま今日報道された2つの話題に言及しましたが、「出る杭」や「新しい取り組み」こそが、私たちの未来を生み出してくれることに感謝したいと思います。
ていねいに新聞を読んでいると、そうした新しい時代に向けての予兆はいろいろとあるようです。
時代は変わり出しているような気がします。

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■節子への挽歌859:節子さんによろしくお伝えください

節子
武田さんからの伝言です。
今日届いた彼からの年賀状の最後に書き添えられていました。

節子さんによろしくお伝えください。
「武田は元気です」と。
一応、伝えておきます。
事実、武田さんは元気ですが、まあ私と同じで、人生を浪費しています。
武田さんはサロンによく来ていましたが、なぜか私と意見が違う時などは節子と話していました。
そのせいか、私の味方は奥さんだけだったなどという「誤解」さえしているようです。
私たちたち夫婦を私以上に美化して評価してくれていたのが武田さんかもしれません。
私が節子をどのくらい愛していたかを理解していた一人です。
もちろん武田さんの理解よりも、実際には深いのですが、はい。

武田さんも死につながる病気の体験者であり、いまもなそうした病気を抱えています。
しかし、一度ふっ切れたためか、死に対しては実にあっけらかんとしています。
死神に嫌われたのかもしれないほどに、元気なのです。
そういえば、いま気づきましたが、それほどの大病にも関わらず、私はお見舞いをするのも忘れてしまっていました。
まあそれほど元気で、病気の気配など見せないのです。

その武田さんは、しかし節子にいろいろとアドバイスしてくれていました。
武田さんと節子とは文化が違いますから、節子がそれを受け入れられたかどうかわかりません。
たとえば、とても癒されると言って、本田美奈子のアヴェマリアのCDを持ってきてくれました。
節子は、少し悲しすぎると言ってあまり聴きませんでしたが、そうした武田さんの心遣いには深く感謝していました。

死に直面している人同士には奇妙な心のつながりが生まれるようです。
私とは違った節子が、武田さんには見えていたのかもしれません。
節子もまた、私が見ている武田さんとは違う武田さんが見えていたのかもしれません。

武田さんは今も時々電話をくれます。
昨日も長電話でした。
しかしもしかしたら、武田さんに見えている私は、もはやこの世に生きている人間ではないのかもしれません。
昨日も、佐藤さんはこの世の人ではないようだと言っていました。
もしかしたら、その武田さんの判断は正しいのかもしれません。

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2010/01/07

■節子への挽歌858:喜びが喜びにならない不幸

節子
友人がジュンの結婚を祝ってくれますが、そのたびに残念ながら気分は沈んでいきます。
ましてや、節子さんも喜んでいますよ、などといわれると、「どうしてそんなことがわかるのか」と言いたい気分にさえなります。
性格の悪さはなかなか直りません。

以前も書いたかもしれませんが、喜びが強ければ強いほど、なぜこの喜びを一緒に味わうはずの節子がいないのか、喜びを受けるべきは私ではなくむしろ節子だろうと思ってしまうのです。
節子がいない今となっては、どんな喜びも私にはほとんど意味がないのです。
なかなかわかってはもらえないでしょうが、この気持ちはどうしようもありません。
心身がそう反応してしまうのですから。

喜びを喜べないのであれば悲しみはどうでしょうか。
そこで気づいたのですが、喜びと悲しみは同じものなのです。
悲しみもまた以前のようには悲しめないのです。

昨日、節子の縁戚の訃報が届きました。
私もよく知っている人です。
節子がいたらきっとふたりで悲しめたでしょう。
不謹慎に聞こえそうですが、悲しみを共有できる人がいないと、悲しみさえ悲しめないのです。

喜怒哀楽を楽しむ感覚を失ってしまうことが、どういうことなのか、なかなかわかってはもらえないでしょう。
もちろん外部から見れば、喜怒哀楽はそれなりに表現しているつもりです。
これもまた心身が反応してしまうようになっているからです。
でもどこかで冷めた自分がいるのです。

こうした状況は私の特殊事情かもしれません。
娘の結婚を喜べない父親は、そして知人の訃報を悲しめない人間は薄情かもしれません。
しかし、心身がそう反応するのですから仕方がありません。

もちろん娘の結婚はうれしいですし、知人の訃報は悲しいです。
しかしどうも以前とは違うのです。
私は自らが決して薄情なはずがないと確信してはいるのですが、いささか悩ましい問題です。

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2010/01/06

■節子への挽歌857:愛とは近さの創出

節子
最近の若い世代の研究者の著書にはとても触発されることが多いです。
高名な学者の著作はほとんど語りつくされた抜け殻が書き連ねられているだけですが、そうしたアカデミズムの殻を破った若い研究者の著作にはわくわくする視点を感じます。
残念ながら、私自身の消化能力が追いつけず、その本意をしっかりと心身に刻み込むよりも、先が読みたくなって、上滑りになることが少なくありません。
ですから読後、残るのはわくわく体験と短い文章だけです。
改めて読み直して、初めて少しだけ頭に入ります。

最近読んだ柳澤田美さん(南山大学准教授)の「イエスの<接近=ディスポジション>」で印象に残ったのは、「愛とは近さの創出」という言葉です。
柳澤さんはイエスの福音書などを題材にして、イエスの愛を語ります。
そして、イエスは誰に対しても尋常ではない「近さ」を感じさせることができた人間ではないかというのです。
とても納得できます。

私と節子との距離は尋常ではない近さにあったと自負しています。
私からの節子との距離はほぼゼロだったという自信はありますが、残念ながら節子の私への距離はゼロではなく一部には溝さえあったかもしれません。
人と人との距離は客観的にではなく主観的に存在しますから、どちらかで見るかで全く違ったものになります。
人と人の距離はトポロジカルであって、決して一つの尺度では測れないのです。
しかし、節子にとっても私との距離は、相対的にはおそらく無視できるほどのものだったと思います。
私が節子との愛に確信を持てるのは、相互の距離感の確信からです。

近さが愛を生むのか、愛が近さを生むのか。
柳澤さんはこう書いています。

「愛」とは、急激な「接近」とそれに伴われる情動である。
そして、「接近」された人は、自ら情動に動かされ、対象に「接近」するものへと変容する。
これには異論があります。
これは一つの場合でしかないと思うのです。

キリスト教の世界には3つの愛があります。
アガペ、フィロス、エロス。
私自身は愛を3つに分けることには違和感がありますが、それはともかく、いずれの愛にも「近づく愛」と「広がる愛」があるように思います。
二次元の愛と三次元の愛です。
もしそうであればトポロジカルな、位相を超えた愛があるかもしれません。

昨年の挽歌は、むしろ「生と死」が中心の視点だったような気がしますが、今年は少し「愛」について書こうと思います。

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■心理主義と依存主義の二重の罠

なにか元気が出るような時評を書きたいと思いすぎて、時評を書けずにいます。
どうもネガティブな批判ばかりしているうちに、精神が歪んでしまったのでしょうか。
テレビの報道番組が始まりましたが、どうも見ると精神衛生上よくないので、あまり見たくなくなってきました。

昔、「非情報化革命論」と言うのを書いたことがあります。
未完のままどこにも発表せずに終わったのですが、世上言われている「情報化革命」は、実は本当の情報を見えなくしていくことではないのかという内容です。
まさにそうした状況が生まれつつあります。
情報社会の実態は、じつは情報が編集されてしまった人工的な社会なのです。
マスコミが流している情報は、その典型的なものでしょう。
ホームページに掲載した武田文彦さんの国家論で、今回は「NHKの報道姿勢に対する公開質問状」を書いていますが、マスコミの論評や解説もまた見事なほどに内容が抜き取られた編集の結果です。
以前驚いたのは、朝日新聞の「私の視点」に投稿したのですが、採用されたものの内容の修正を要求されました。
一度は応じたのですが、途中で嫌気がさして、勝手に直してもらい、なんだかわけのわからないものになってしまった記憶があります。
投稿記事でさえ編集されていることを知りました。
これが「情報社会」の実態なのかもしれません。

自民党独裁政治が終わり、本来は政治への期待が高まるはずですが、相変わらずその期待はマスコミの誘導によって押さえられてきています。
1年前と比べて、日本の政治の透明性と能動性は飛躍的に高まっているにもかかわらず、みんななぜか評価しません。
やはり日本国民はお上の従う臣民であることから抜け出る勇気がないのかもしれません。
そして少し気になるのは、昨今の政策もまた、そうした臣民づくりの政策のように見えてしまうことです。

心理主義の罠の反動が起こっているようにも思います。
その「二重の罠」の中で、私自身どうも物事を前向きに捉えられなくなってきていることに最近気づかされています。

元気が出るような時評がなかなかかけないのは、たぶんそのせいでしょう。
正すべきは、先ずは自分の生き方。
そう思っていますが、私自身、元気が出てこないのが問題です。
しっかりした時評は、元気な心身に支えられるはずですから。

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2010/01/05

■節子への挽歌856:うれしかった年賀状

節子
年賀状や年賀メールのことを書きましたが、今回一番嬉しかった年賀状はOさんからのものです。
Oさんには節子はあまり会ったこともないし、名前も覚えていないかもしれません。
しかしすぐ思い出すでしょう。

節子がつらい闘病に入る直前の話です。
Oさんからドキッとするメールが届いたのです。

包丁をお腹に当てたのですが、どうしても刺さりません。
お腹の皮膚が反発してくるのです。
正確には記憶していませんが、そんな内容のメールでした。
若いOさんにはあまりにも過酷な状況に陥っていたのです。
都会でひとり暮しをしている若者は、ちょっとしたことで人生が一変します。
湯浅誠さんが「滑り台社会」と名付けたように、本当に落ち出したら止まらないのです。
そうしたことを感じていた私は、何か仕組みをつくりたかったのですが、その仕組みを一緒に創る余裕さえなくなっていることをこの数年実感しています。

メールをもらう少し前に彼から実は相談らしきものを受けたのです。
その時は、節子がかなり悪い状況で、私自身あまり余裕がなかったこともあり、彼の苦境をしっかりと受け止められていなかったのです。
それを諭してくれたのが節子でした。
でも少し遅すぎたのかもしれません。

そのメールを受けた時に、正直に言えば、私は無性に腹が立ちました。
真剣に生きようとしている節子を前に、あまりにも生命をもてあそんでいると思えたからです。
私たちにとって、「自殺」という行為はあってはならないことだったのです。
私はこんなに一生懸命生きようとしているのに、なぜ自殺する人がいるのだろう。
節子は、自殺の報道を見るたびに、そう言っていました。
私もそう思っていました。
誤解されそうですが、「自殺できる人」は恵まれているとさえ当時は思っていました。

ですから、Oさんからのメールにはいささかの腹立ちがあったのです。
しかし、節子を見送った後、自殺は本当は「生きよう」と思っての行為なのだと気づいたのです。
そしてOさんへの対応にいささかの反省の念を持ちはじめました。
もっとしっかりと支えることができたのではないか、と。
Oさんはその後、故郷に戻り、連絡が途絶えました。

そのOさんから久しぶりの年賀状が届いたのです。

諸々の整理も決着し、昨年やっと職を得ました。
本年中に必ずお返しに伺います。
お返しとありますが、返してもらうほどのことは何もしていないのです。
にもかかわらず彼はそう言ってくれています。
今年はOさんにもお会がやっと果たせそうです。

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2010/01/04

■節子への挽歌855:「従容と死を受け入れる森」

今日は久しぶりに挽歌編と時評編の統合版です。
昨日、テレビの「地球の目撃者SP風の大地へ南米チリ縦断3700キロ」を観ました。
写真家の桃井和馬さんの撮影紀行です。
世界最南端の町の話が出てきました。
ぶなの原生林が、人間が連れ込んだビーバーにかじられて大量に倒れている光景がありました。
それをみて、桃井さんが「従容と死を受け入れる森」というような表現をしました。
「従容と死を受け入れる」
その言葉が心に響きました。

先日、沖縄に行きました。
沖縄でも琉球松が松食い虫にやられて枯れていました。
その時にふと思ったのです。
松食い虫が松を枯らすと騒いでいるが、松に代わる植生が、それに代わるだけではないのか。
そのどこが悪いのだろうか、と。

地球温暖化に関して先日暴論を書きましたが、最近私は、環境対策こそが環境問題の真因ではないかと思い出したています。
昨今のエコブームにはやりきれなさを感じます。
どこかに「近代の落とし穴」を感じます。
これは環境問題に限った話ではなく、福祉も教育も、すべてに言えることですが。

さて、「従容と死を受け入れる森」に戻ります。
生命はつながっているという発想からすれば、一部の樹が枯れることは森が生きている証なのかもしれませんし、生きるための方策かもしれません。
最近、そんな気が強まっています。

節子は従容として死を受け入れたのだと思うようになってきました。
もちろん「生」を目指して、全力で抗うのと並行してです。
全力で生きようとすることと従容として死を受け容れることとは対極の姿勢ではないか、と私は最近まで考えていました。
しかし、桃井さんの発言を聞いて、それは決して矛盾しないことに気づきました。
誠実に、真摯に、全力で生きていれば、どんなことでも受け容れられる、そう思ったのです。

それは自らの生命の永遠性を確信したからかもしれません。
自らが愛されていること、いやそれ以上に、自らが愛していることを確信できたら、生死を超えられるのかもしれないとも思えるようになってきたのです。
書いていて、どこかに無理があるのは承知なのですが、にもかかわらず、節子も私も従容として死を受け止めていた一面があったと思い出したのです。
もちろん一方では、受け容れ難いという事実はあるのですが。

節子との出会いと別れは、私に多くのことを考えさせてくれます。
今年もきっと、節子との思いは私の生きる指針になるでしょう。
そして私も時期が来たら、抗いながらも従容と死を迎えたい。
そう思えるようになってきました。

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2010/01/03

■節子への挽歌854:難しい1年、普通の1年

今日はメールで新年の挨拶を送ってきてくれたSさんの話です。
Sさんは私よりも若いのですが、私と同じく愛する人を亡くされました。
私もそうですが、愛する人との別れは人生を大きく変えてしまいます。
Sさんは会社も辞め、いまは介護福祉士を目指して学んでいるところです。
まだお会いしたことはありません。
この挽歌が縁で、メールのお付き合いが始まったのです。

Sさんのメールも、ドキッとさせられる言葉がさりげなく書いてあります。

最近では、人生に自分で幕を引くのは無理だと思うようになりました。
自然にその時を待つしかないと思うようになりました。
そうすると、その間は何とか生きていかなければならないのですが、いまのところそのパワーは、普通の方と比べると半分あるかないか、といったところでしょうか。
さりげなく書かれていますが、Sさんのこの1年のことが伝わってくるような気がします。
愛する人を失った時の戸惑いと意志の崩壊。
幕が引けるならどんなにいいだろうかと思いたくなるほどの喪失感。
その一方での、いのちの意味の気づき。

Sさんはつづけます。

こんな人生になるなんて、夢にも思っていませんでしたね。
だけどなってしまったからには自分で何とかするしかないんですけどね。
また、難しい1年が始まります。
「難しい1年」
この言葉がとても腑に落ちます。
最後にこう書いてくれました。

良い、とういうか普通の1年を過ごされますように

それが、実はとても難しいのです。
Sさん、そうですよね。
今年はもしかしたら、Sさんともお会いできるかもしれません。

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2010/01/02

■近くの布施弁天がすごい人出でした

近くの布施弁天に初詣に行きました。
1200年前に空海によって開山されたと言われ、関東三大弁天の一つです。
20年以上前から毎年初詣していますが、年々、人が増えてきました。
ところが今日行ってみて驚きました。
なんと山門につづく階段の下までお参りの人が並んでいるのです。
こんなことは初めてです。
どうしたのでしょうか。世相のせいでしょうか。

参拝者が増えるのは良いことですが、本殿へのおんな道が舗装されてしまいました。
お年寄りには登りにくい道になってしまいました。
以前も決して登りやすくはありませんでしたが、今日感じたのは冷たい拒否感です。
興ざめしてしまい、横からお賽銭を投げ入れて、戻ってきてしまいました。

ところで初詣のお賽銭はどうなるのかなと余計なことを考えてしまいました。
布施弁天の話ではありません、全国のです。
有名な寺社は膨大なお賽銭が集まるでしょう。
歳末助け合い募金より集まるかもしれません。
この仕組みを何か効果的に活用することはできないのでしょうか。
寺社に集まるお賽銭は、誰のものなのでしょうか、

日本にはボランティアの文化がないといわれていたことがあります。
私はそんなことはないと思いますし、むしろボランティアや寄付の文化は日本の文化の特徴ではないかとさえ思うほどです。
また日本人は無宗教だとも言われます。
これも私には異論があります。
たしかにキリスト教のような一神教の視点からは宗教は見えにくいかもしれませんが、日本人ほど信心深い国民は少ないような気もします。
欧米の概念と言葉で考えていると現実はなかなか見えてこないものです。
日本の文化や社会は、日本の文化や社会の言葉で語らなければいけません。

私のこの時評は、カタカナが多いといわれることがあります。
たしかにそうかもしれませんが、カタカナで語らないと語れないこともあるのです。

ところで今日、布施弁天でお参りのために並んでいた大勢の人たちは、なぜ並んでいたのでしょうか。
私は、この1年の自らの平安を感謝するとともに、この先1年の世界の平安を祈ってきました。
私は決して無宗教者ではありません。

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■節子への挽歌853:墓石には一緒に名を刻んでいます

節子
今日は私の友人からの年賀状の話です。
会社時代に一度、あるセミナーの受付で15分だけ立ち話をしただけのMさん(受付でした)はなぜか私には心のつながる雰囲気を持った人でした。
それで会社を辞めた事を伝える気になったのですが、湯島のオフィスのオープンの一週間にわざわざやってきてくれました。
あの一週間は、100人を超す人たちが湯島に来てくれたので、節子は顔も覚えていないでしょうが、Mさんの来訪は私にはとりわけ印象に残りました。
以来、なかなかお会いできませんが、どこかで気になっている人の一人です。
あまりに長くお会いしていないので、私も顔は忘れましたが、年賀状は毎年届きます。
その年賀状を読んで、ハッとしました。

今年もまだ淋しい新年をお迎えのことと拝察いたします。
小生の方は5月に妻の七回忌。
墓石には一緒に名を刻んであります。
Mさんは7年前に奥さんを見送っていたのです。
この年賀状を読むまでその認識がありませんでした。
お知らせをいただいていたのではないかと思いますが、なぜか記憶がありません。
7年前はまだ私もまだ年賀状を書いていたはずですが、どうして気づかなかったのか。
当時は1000通を越す年賀状を毎年書いていましたから、年賀欠礼の訃報も多く、ついつい見落としてしまったのかもしれません。
もしそうであれば恥ずべきことであり、Mさんのお気持ちを踏みにじったおそれがあります。
こうした非礼を私は重ねてきたのではないかと心配になります。

そういえば、数年前、Mさんからの年賀状に今度訪問したいと書かれており、心待ちしていたことがあります。
結局、Mさんは訪ねてきませんでした。
あの頃、奥さんとの別れがあったのかもしれません。
私がもう少し感度がよければ、Mさんの痛みを分かち合えたのかもしれません。
自分がその立場になって、初めてそうした感度を持つようではどうしようもありません。

そんなにたくさんの年賀状を書いてどうするの。
節子はいつもそう言っていました。
その意味をもっとしっかりと考えるべきでした。

Mさんは、墓石に一緒に名を刻んだそうです。
節子とふたりだけのお墓をつくればよかった、そんな気がしてきました。
Mさんに比べれば、私の節子への愛はまだまだだと思い知らされました。

今年はMさんにきっとお会いできるでしょう。
そんな気がしています。

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2010/01/01

■節子への挽歌852:節子の友人からの年賀状

節子
いつものように、とてものどかな暖かな年明けです。
節子と一緒に家族みんなでゆっくりと子の神神社に初詣した3年前を思い出します。
屋上でユカと2人で初日の出を見ましたが、雲のためのあまりきれいな日の出にはなりませんでした。

年賀状が届きました。
節子がいなくなってから、年賀状を出す習慣も変わってしまい、今年も1枚も出していませんが、年賀状を見ながら返事を書くつもりです。
節子は年賀状が好きでしたが、1年に1回の年賀状のよさもたしかにあります。

節子の友人からの年賀状も何通かあります。
もちろん私もよく存じ上げている人たちで、私宛なのですが、節子への年賀状のような気がして、読んでいると少し感傷的になります。
それを察しているかのように、友澤さんからの年賀状には次の一句が添えられていました。

ふっ切れし 夫君の心をまた揺らす 年賀を許し給んと捧ぐ
お心遣いはうれしいですが、私は決して「ふっ切れてはいない」のです。
ふっ切れようがないのです。

自分が「ふっ切れていない」と実感するのは、慶事の出会うときです。
結婚式が苦手なのはそのせいですし、年賀状も書く気になれないのも、そのせいです。
心の奥に、まだ喪に服している自分がいます。
いえ、喪に服したがっている自分というべきかもしれません。
人は自らを悲劇の中に置くことで、心の平安を得ることができるのです。
これは節子を見送った後、体験したことです。

今年もまた始まりました。
節子がいなくなってからは、暦が変わることの意味がほとんどなくなりました。
時間の進む速度が一変したのです。
昔は、年頭には思うこともあり、気持ちを一新できたのですが、いまはダラダラと時間だけが過ぎていきます。
でもまあせっかく新しい年になったのですから、気分を改めて、もっと前に進もうと思います。
今年は明るい挽歌を目指そうと思いますが、まああまり期待はできません。
それにあまり明るく書くと節子に怒られるかもしれません。
目の前にある節子の写真がそう言っているような気がします。

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