■節子への挽歌869:セルフヘルプグループ
昨日引用した番組で、同じような状況に陥った人たちとの出会いが、復興曲線の方向を反転させ、元気を回復してきた人の話も紹介されていました。
人を癒してくれるのはカウンセラーでも専門家でもなく、同じ境遇を体験している人なのかもしれません。
最近は、そうしたセルフヘルプグループの活動が広がっています。
節子が闘病生活を送っていた時、何人かの人から同じ状況にある人たちの集まりへのお誘いを受けました。
節子は参加しませんでした。
節子は同じ状況のある友人知人とは心を通わせあっていましたが、なぜかそうしたグループへの参加には一切関心を示しませんでした。
実は私もまったく同じなのです。
妻もしくは伴侶を亡くした人たちのグループがあることは、私も教えてもらいましたし、ネットでもその存在を知りました。
しかし参加する気にはなれません。
おそらく節子もそうだったと思うのですが、状況は同じでもそれぞれにまったく違っていることを何となく感じているからです。
セルフヘルプグループは、たしかに大きな効用があります。
私もコムケア活動でさまざまなグループにささやかに関わっていますので、その効用は少しはわかっているつもりです。
節子のがんが発見される以前にも、私はがん患者の人たちのグループをささやかに応援していたことがあります。
みんなとてもやさしいのですが、そうでない人との距離を感じました。
中に向かってどんどん強まる絆と外との断絶間の強まり。
そうしたことへの違和感が、私がコムケア活動にのめりこんでいった理由の一つでもあります。
そういう状況の中では、なかなか一緒に問題に取り組むのは難しい。
ですから、そうした状況を変えていきたかったのです。
ところが、自分が「当事者」になってしまうと、そうした断絶感が理解できるようになりました。
問題を共有する難しさを感じます。
わかってなどもらえないからです。
しかし、少し落ち着いてくると、わかってもらえないのは当然であり、それはなにもこうした特別の問題ではないことを思い出します。
人間がわかり合えるのは、わかり合えたと思えるだけの話です。
また長くなりました。
続きは明日書きます。
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