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2010/01/09

■政治と行政の継続性

自民党の高齢者議員が次の選挙にまた立候補する話題が増えています。
山崎拓さんは、離党をちらつかせてまで立候補したいようですし、青木幹雄さんも片山虎之助さんも立候補を決めているようです。
政治家はよほど魅力のある職業のようです。
自らは引退する代わりに子どもに世襲させる政治家が少なくないのも、それを物語っています。
しかし、山崎さんも青木さんも、もちろん加藤紘一さんも当選はしないでしょう。
なぜそれに気付かずに、老醜をさらすのか。

その一方で、高齢であるにもかかわらずに、乞われて引退できなかった政治家もいます。
財務大臣を辞任した藤井さんは、その一人でしょう。
テレビなどでの発言を、私が安心して聴いていられた数少ない政治家が藤井さんでした。
ですから藤井さんが財務大臣に任命された時には、とても安心したものです。
しかし、どうも藤井さんの正論は必ずしも実現はしなかったようです。

その一因は、民主党の体質にもあるでしょうが、官僚の体制にも一因があったことは否定できないでしょう。
二大政党の政権交替が意味を持つためには、政権交替した時には官僚トップもまた代わらなければ現実的ではありません。アメリカはそうした仕組みや文化を既に築き上げていますが、日本はそう簡単にはできないでしょう。
しかし、少しずつそれも進んでいるようです。

総務省の鈴木次官の辞任が報道されていますが、鳩山政権になって、閣僚による官僚の更迭が始まっています。鳩山首相は局長以上の幹部に辞表を出させる意向を示し、政権の方針を実現するために政治主導の人事を積極的に行う構えを見せましたが、それが少しずつ現実化しているわけです。

政治や行政の継続性ということがいわれますが、これはとても危うい言葉です。
どこに視点を置くのかによって、まったく違ってくるからです。
評価基準の審級を一つあげるだけで、継続性の意味はまったく違ったものになるのです。
官僚の視点からの継続性なのか、政治家の視点からの継続性なのか、あるいは国民の視点からの継続性なのかによって、事態は全く変わってくるのです。

おかしな言い方ですが、継続性を重視するために変えるべきものがあるのです。
それに気付けば、役割を終わった政治家や官僚は身を引くことになるでしょう。
地殻変動によって実現した政権交替は、また新たな地殻変動を静かに起こしているように思います。

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