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2010/01/20

■「お上に支配される文化」

昨日書いたコンラッド/ミルバーンの法則の根底にあるのは、文化の問題です。
制度や法律はいうまでもありませんが、人間の作ったものです。
人間が使うべきツールですが、一度できてしまうと主客転倒する傾向があります。
会社に使われている従業員や経営者がいかに多いことか。
「前例がありません」からという人もまた制度に使われています。
法治国家は「法を使う国家」であって、「法に使われる国家」ではありません。

日本の文化は、いまもなお「お上に支配される文化」です。
私は各地のまちづくりに少しだけ関わらせてもらっていますが、地域住民も役場の職員も、いまなお「お上文化」であることを感ずることが少なくありません。
私は我孫子市に住んでいて、そこでもささやかな住民活動をしていますが、その仲間の人たちさえも意識はしていないでしょうが、「お上に統治されている」という姿勢を垣間見ます。
言い換えれば行政に過大期待しているために、自発的な発想がなかなか出てきません。

今回の小沢事件に関して、自民党のある議員が、検察の事情聴取に応じない小沢さんは自分を何様だと思っているのかと声を荒げていましたが、まさにお上に身を任せた臣民の発想です。
何様だと思っているのかと問われるべきは検察であって、国民ではありません。
国民に告知する前に、黙って聴きに行けばいいだけの話です。
話も聴けないということは仕事をする能力も意欲もないということです。
権力だけで仕事してきた特捜の限界でしょう。
こんなことすら分からない人が多いことが情けないです。
みんな徹底的に家畜に成り下がっているのです。

その文化はフラクタルに当人にも当てはまります。
かの議員は、おそらく自らの周囲や家族には同じように、俺に従えといっているのでしょう。
それが文化ですから。

説明責任と言いますが、理解しようという姿勢のない人に何をいっても伝わりません。
足利事件で明らかになったように、警察や検察の意見に従わない限り、説明したことにはならないのが「お上の文化」です。
私の友人が、外国人の子供の誘拐事件に関わっていると疑われたことがあります。
突然、警察官が6人ほど事務所にやってきました。
仕事していたので断りましたが、10分でいいというので部屋に入れました。
そして質問に答えました。
しかし一向に帰ろうとしません。
6人からいろいろと問いただされると(慇懃ですがいずれも「お上」の言葉です)、かなりのプレッシャーです。
自分の仕事場であるにもかかわらずです。
彼らは人の迷惑など全く考えませんし、10分が1時間になっても「犯罪」にはならないのです。
私には納得できませんが、それが国家というものなのでしょう。

説明責任とはいったい何なのでしょうか。
むしろ権力側が果たすべきことでしょう。
「小沢さんは権力だ」というかもしれませんが、問題に即して「権力」は位置づけられるべきではないでしょうか。

ニュースを見るたびに、マスコミが着実にこの社会を壊していく様が感じられます。
日本のマスコミの体質は一向に変わっていないようです。
もちろん昭和10年代からという意味ですが。
私たちは対抗力をもたなければいけません。
そうでなければ、お上のご意向に従うだけです。
9割の日本人は、どうもその道を選んでいるようですが、私はその道を選びたくないと思っています。
できているかどうかは全く自信はないのですが、人間として生きていたいと思っています。
それでこうして実名で毎日書き続けています。
家畜には実名はありませんが、人間には実名があるからです。

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