■節子への挽歌867:従姉妹から長い手紙
節子
私の従姉妹から長い手紙が届きました。
年賀状の返事を出しただけなのですが、そこにちょっとだけ触れていた節子のことから節子のイメージを膨らませてくださったようです。
その従姉妹とは節子はもちろんですが、私もほとんど付き合いがありませんでした。
そういえば、節子がいなくなってから、私はますます親戚づきあいを少なくしてきているような気がします。
私は友人との付き合いはそれなりに出来るのですが、親戚づきあいがあまり得手ではありません。
節子がいるとうまくいくのですが、私だけでは何をどう話したらいいのか、わからないのです。
私は話し好きで、湯島に誰かが来るといくらでも話せるのですが、いわゆる「世間話」ができないのです。
それに親戚の場合、往々にして昔話になりがちですが、その昔話が私にはとても不得手なのです。
全く興味もなければ、意味も感じられない。困ったものです。
ところがです。
節子がいるとなぜか昔話も世間話もできたのです。
節子がとなりにいるだけで、私の世界は変わったのです。
いや節子だけではないでしょう。
女性はみんな、そうしたことが得手なような気がします。
そして、女性は歳とともにさらに社交的になりますが、男性はむしろ偏屈になり引きこもりがちです。
私もそうならないようにしないといけません。
社会と私をつないでくれる節子はもういませんから、自分で自らを開いていかねばいけません。
さて長い手紙に返事を書かなければいけません。
節子がいたら、何を書いたらいいかなあと教えてもらえるのですが、今は自分一人で書かなくてはいけません。
親戚への電話も手紙も、いつも節子にすべて任せていたことの罰を受けているような気がします。
節子はきっと笑いながら心配していることでしょう。
いやはや困ったものです。
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