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2010/01/06

■心理主義と依存主義の二重の罠

なにか元気が出るような時評を書きたいと思いすぎて、時評を書けずにいます。
どうもネガティブな批判ばかりしているうちに、精神が歪んでしまったのでしょうか。
テレビの報道番組が始まりましたが、どうも見ると精神衛生上よくないので、あまり見たくなくなってきました。

昔、「非情報化革命論」と言うのを書いたことがあります。
未完のままどこにも発表せずに終わったのですが、世上言われている「情報化革命」は、実は本当の情報を見えなくしていくことではないのかという内容です。
まさにそうした状況が生まれつつあります。
情報社会の実態は、じつは情報が編集されてしまった人工的な社会なのです。
マスコミが流している情報は、その典型的なものでしょう。
ホームページに掲載した武田文彦さんの国家論で、今回は「NHKの報道姿勢に対する公開質問状」を書いていますが、マスコミの論評や解説もまた見事なほどに内容が抜き取られた編集の結果です。
以前驚いたのは、朝日新聞の「私の視点」に投稿したのですが、採用されたものの内容の修正を要求されました。
一度は応じたのですが、途中で嫌気がさして、勝手に直してもらい、なんだかわけのわからないものになってしまった記憶があります。
投稿記事でさえ編集されていることを知りました。
これが「情報社会」の実態なのかもしれません。

自民党独裁政治が終わり、本来は政治への期待が高まるはずですが、相変わらずその期待はマスコミの誘導によって押さえられてきています。
1年前と比べて、日本の政治の透明性と能動性は飛躍的に高まっているにもかかわらず、みんななぜか評価しません。
やはり日本国民はお上の従う臣民であることから抜け出る勇気がないのかもしれません。
そして少し気になるのは、昨今の政策もまた、そうした臣民づくりの政策のように見えてしまうことです。

心理主義の罠の反動が起こっているようにも思います。
その「二重の罠」の中で、私自身どうも物事を前向きに捉えられなくなってきていることに最近気づかされています。

元気が出るような時評がなかなかかけないのは、たぶんそのせいでしょう。
正すべきは、先ずは自分の生き方。
そう思っていますが、私自身、元気が出てこないのが問題です。
しっかりした時評は、元気な心身に支えられるはずですから。

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