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2010/01/29

■幼保一元化は子どもにとってどういう意味があるのか

前項の続きです。

都市部ではいま、保育所は定員オーバー、幼稚園は定員割れ、といった状況のようです。
待機児童の増加の中で、幼稚園と保育園を一括管理できれば、そのアンバランスを埋められるというのが、幼保一元化の狙いの一つです。

幼保一元化は話題になってから久しいですが、なかなか実現しません。
縦割り行政の利権争いのような事情もあるでしょうが、取り組みが経済主義、効率主義からだったことも無関係ではないように思います。
そこには「子どもの視点」はなかったのです。

私が保育園に関わり出した頃、保育園にはあまり国家財政は向けられずに、保育園関係者の全国的な集会もあまり立派な会場ではありませんでした。
ですから話をさせてもらいにいっても気持ちがよかったです。
しかしそのうちに保育行政にお金が回りだしました。
研修の会場も一流ホテルへと変わりだしました。
プログラムもゲストも次第に派手になっていきました。
私にとっては気持ちの良い集まりではなくなり、次第に足は遠のきました。
保育園や幼稚園に集まってくる子ども産業業者にも違和感がありました。
「教育産業」は聞こえはよいものの、要するに子どもを顧客に仕上げることで利益を上がる産業です。
その内実のスキャンダラスさは私には不快感しかありませんが、ドラッカーのいう顧客の創造を見事に成し遂げた産業の一例です。

保育園と幼稚園は目標や理念が違います。
ただ制度的に合体すればいい訳ではありません
合体論の発想は「子どもの視点」ではなく「大人の視点」です。
子どもにも親子にも、多様な選択肢があるほうがいいでしょう。
子育て支援の仕組みは、むしろもっと多様化すべきです。

保育園は不足、幼稚園は過剰というのは、制度(施設)とニーズとのミスマッチではないかと言われるかもしれません。
経済主義では、ニーズがあれば市場があり、供給産業が成立します。
でもそれでいいのでしょうか。
大麻にはニーズがあるからといって、市場を正当化し供給体制を組むことは認められません。
大麻と子育ては違うと言うかもしれません。
では深夜に子どもを預ける場所がほしいと言って、無制限に子どもを預かっていいのか。
まあこれは難しい問題ですが、そうした時の「ニーズ」は、決して子どものニーズではありません。
大人のニーズです。
大人といっても決して「親」ではありません。
たとえば「夜の仕事」をしている母親のためでしょうか。
まあ例外的にはそうしたこともあるかもしれませんが、多くの母親はできれば「昼間の仕事」をしたいのです。
でもそうした仕事がない、あるいはそうした仕事は給料が安い、だからやむを得ず夜の仕事をする、としたら、それは親のためでもないでしょう。
つまり「ニーズ」とは、表面的に捉えてしまっては何も見えてこないのです。
表面的なニーズに対応していたら、どうなるか、そんなことはみんな知っています。

私が幼保一元化に違和感をもちだしたのは、子どもにとっての多様な選択肢が減る恐れと、現状に制度を合わせてしまう脱価値観的な経済主義への疑問です。
まだこなれていない議論ですが、どこかに違和感を最近持ち出してしまったのです。

少子化問題に関しては、少しまた書き込みたいと思います。
時間がないのでまた中途半端な書きなぐりになってしまいましたが。

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コメント

 私、政治とか経済とかに疎いので理解が浅いのですが、子どもの教育の話題にふれるとき、いつも直感的に思うことが・・・。「お母さんである女性が働きやすい環境づくり」ばかりに焦点があたっていて、「お母さんである女性が子育てに専念できる環境づくり」が忘れられているような気がしてなりません。小さい子は、いつでもお母さんと一緒にいたいと思ってるのじゃないかなぁ。これは、子どもにそう思ってて欲しいと思う私の幻想でしょうか。
 ピンボケの文章ですみません。

投稿: 榎本 | 2010/10/20 02:00

榎本さん
ありがとうございます。
同感です。

少子化対策も子育て対策も「産業育成」の視点から抜け出ていないような気がします。
明治国家の時の、「富国強兵」「殖産興業」の発想がまだ続いています。
親子のつながり、スキンシップはとても大切です。
子どもや親子、あるいは家族の視点からこそ、子育ての問題は考えるべきではないかと思います。
男女共同参画の動きに、私が違和感を持つのは、そこでも子どもの視点が感じられないからです。

ただ、「小さい子は、いつでもお母さんと一緒にいたいと思ってるのじゃないかなぁ」というところには、ちょっと異論があります。
お母さんと並んで、お父さんも入れたいです。
さらに「いつも」が親子を閉じ込めてしまうことがあることも意識しなければいけません。

私が男性だからそう思うのかもしれませんが、私自身は家族というものを改めて見直すべきだろうと思っています。
昨今の風潮は、家族の役割はもう終わったというような感じになっているような気がしますが、夫婦と親子という、横と縦につながっていく拠点としての家族は社会の要のように思います。

投稿: 佐藤修 | 2010/10/20 08:41

 ご指摘ありがとうございます。こういうところ、専業主婦の陥りやすいところと反省反省。
 お父さんを入れなかったこと故意ではないのですが、やはり子どもは私のもの願望でしょうか。
 それにしても、お父さん不在、お父さんの存在希薄なご家庭が多い気がしています。まずは、自分の家庭を今一度振り返って見なければと、焦ってしまいました。

投稿: 榎本 | 2010/10/20 18:58

榎本さん
ありがとうございます。

仮にお父さんがあまり在宅する時間が多くなくとも、
その存在感を子どもたちに感じさせることはできるような気がします。
そういうことが、私はとても大事なのではないかと思っていますが、それは私が「お父さん」だったからかもしれません。

家庭のあり方は改めて考え直す必要があるような気がしますが、その問題に取り組むのはなかなか難しいですね。
結局はは自分の家庭の問題だけで精一杯になりがちですね。

投稿: 佐藤修 | 2010/10/29 16:03

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