■節子への挽歌870:人の生き方は、伴侶によって決まります
時評編にcaring economicsのことを書いたのですが、書いているうちに節子のことを思い出しました。
私がこの生き方が続けられたのは、やはり節子と出会ったからでしょう。
節子の支えなしには、この生き方は続けられなかったような気がします。
人の生き方は、伴侶によって決まります。
人の生き方が伴侶を決めるのかもしれませんが、結婚した後にもお互いの生き方が変わることもあります。
どちらか一方の生き方に引き寄せられることもあるでしょうが、私の体験では、違った文化を持つ2人が結婚することによって新しい文化が創発されることが多いように思います。
私たち夫婦はお互いから多くのものを学び、それによって自らの生き方を少しずつ変えてきたように思います。
私たちのスタイルができたのは、たぶん結婚してから20年くらい経ってからのような気がします。
血のつながりのない人と人生を共にすることは、実に刺激的なことです。
結婚することによって初めて知りえることは少なくありません。
そんなことなら結婚しなければよかったと思うようなこともないとは限りません。
私たちもたぶんそうしたことがお互いにあったはずです。
しかし2人ともそう考えなかったのは、それも含めて、自らの生き方を新しく創っていこうという思いが、私にも節子にもあったからです。
結婚とはケアリングの関係を深めること、いまから考えると、そんな気がします。
私たちは、ケアしあいながら新しい人生を育ててきました。
ですから、その一方がいなくなることは、とても辛いことです。
ケアとは一方的な行為ではなく、双方向の関係性だからです。
ケアされる人もなく、ケアする相手もいない。
これが私の最近の一番の寂しさなのかもしれません。
caring economicsの本を読んでいて、節子のことをいろいろと思い出しました。
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