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2010/01/17

■節子への挽歌868:遺族が癒される時

節子
阪神大震災から15年目です。
「震災障害者」という言葉がありますが、多くの人たちがまだ癒えることなく辛い思いを重ねているようです。

大阪大学の研究チームが、被災者一人ひとりの復興感を、地震発生からの時間経過を横軸にし、曲線で書き記してもらう「復興曲線」という手法を開発し、その曲線の形から被災者やその遺族が、心の状態をどう改善してきているかを調査しているそうです。
その一部が昨夜、NHKテレビで紹介されていました。
いろいろと考えさせられることがありました。

復興曲線は決して時間に伴って上向いてくるわけではありません。
人によってはむしろ低下傾向を続けているそうです。
「不幸は時が癒す」などということは、理屈の世界の話であって、当事者にとって時はただ一方向に進んでいるわけではないのです。

被災した夫婦が、困難な状況を克服するなかで、絆を強めるどころかその反対の方向に向かっている話も紹介されました。
とても悲しく、とても寂しいのですが、奥さんがぽつんと「むしろ絆が消えそうで・・・」と、それこそ消えるような声で話していたのが印象的です。

私の「復興曲線」はどうでしょうか。
上向いているのか、下降をつづけているのか。
外部から見れば、おそらく上向いているでしょう。
でも、心はそんなに単純ではないのです。
阪神大震災の被災者の人もそうでしょうが、当事者にとってはおそらくそれは終わることのない事件なのです。
もう15年たったというのは、観察者の発想です。
多くの被災者は今なお、震災の世界に生きている、そんな気がしてなりません。

私もいまなお、節子との世界は「過去」のことではなく、「いま」のことという感覚の中にいます。
ですから誰と話していても、どこかに違和感があるのです。

時間はもしかしたら、愛によって動いているのかもしれません。
つまり、愛の変化が時間を生みだすということです。
愛する人がいなくなってしまうと、時間の速度は一変してしまいます。
節子がいなくなってからの私の時間は、それまでと全く違ってしまっているように思います。
これまで使っていた時計は全く役に立ちません。

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