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2010/01/29

■幼保一元化発想は子どもをどう見ているか

鳩山内閣は、保育所入所を待つ待機児童の解消に向け、幼稚園と保育所の機能を一つにする幼保一元化を加速させる方向に動き出したようです。
幼保一元化とは、文科省と厚労省とに所管が分かれている幼稚園と保育所の運営の一元管理を進めようという発想です。
この議論は20年前からされていることです。
私はその頃、幼児教育に関心をもち、全国私立保育園連盟のある委員会の委員もさせてもらっていましたが、よくこの言葉を聞きました。
当時は、それが良いことだと思っていました。

しかし最近は少し違います。
果たして良いことかどうか迷います。
そうした発想の根底にある経済主義、効率主義に疑問を高めているからです。
これは「人間観」につながる問題です。

前にも書きましたが、私が少子化問題に関心を持ったのは、ある集まりで企業と生活者の関係の話をさせてもらった時に、ある企業経営者がそんな問題よりも企業にとっての死活問題は少子化問題だと指摘されたことです。
少子化という言葉が出はじめた頃です。

最初は感心したのですが、話を聞くうちに非常な反発を感じました。
その発言の意味は、少子化によって労働者がますます得られにくくなり、市場も縮小するということだったからです。
子どもは労働者で消費者なのかと、私は大きな反発を感じました。
しかしその後の日本での少子化論議は、そうした方向に進みました。
ですから、少子化議論をする人は、金融工学者の同類だと私には見えてしまいます。
そして、昨今の少子化政策はほぼすべて少子化を促進させるだけだろうと思っていました。
新しい動きは、子どもは社会で育てるという発想のもとにでてきた「全家庭への子ども手当て」です。
しかしこれも所得制限などというバカな議論が出てきて失望しましたが、みんな金銭主義からどうも抜けられないようです。
頭が腐っているとしか言い様がありません。

ついでにいえば、男女共同参画やワークライフバランス論議も、私には同じに聞こえてきます。
いずれも、企業あるいは金銭経済に都合のよい政策だからです。
なぜか私はそうした発想に賛成だと思われているらしく、知人友人からは話しかけられることが多いですが、まったく反対です。

余分なことを書いているうちに、肝心の幼保一元化の話を書けなくなりました。
この続きは、また今日の午後に時間ができたら書くことにします。
これから出かけるものですから。

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