■節子への挽歌855:「従容と死を受け入れる森」
今日は久しぶりに挽歌編と時評編の統合版です。
昨日、テレビの「地球の目撃者SP風の大地へ南米チリ縦断3700キロ」を観ました。
写真家の桃井和馬さんの撮影紀行です。
世界最南端の町の話が出てきました。
ぶなの原生林が、人間が連れ込んだビーバーにかじられて大量に倒れている光景がありました。
それをみて、桃井さんが「従容と死を受け入れる森」というような表現をしました。
「従容と死を受け入れる」
その言葉が心に響きました。
先日、沖縄に行きました。
沖縄でも琉球松が松食い虫にやられて枯れていました。
その時にふと思ったのです。
松食い虫が松を枯らすと騒いでいるが、松に代わる植生が、それに代わるだけではないのか。
そのどこが悪いのだろうか、と。
地球温暖化に関して先日暴論を書きましたが、最近私は、環境対策こそが環境問題の真因ではないかと思い出したています。
昨今のエコブームにはやりきれなさを感じます。
どこかに「近代の落とし穴」を感じます。
これは環境問題に限った話ではなく、福祉も教育も、すべてに言えることですが。
さて、「従容と死を受け入れる森」に戻ります。
生命はつながっているという発想からすれば、一部の樹が枯れることは森が生きている証なのかもしれませんし、生きるための方策かもしれません。
最近、そんな気が強まっています。
節子は従容として死を受け入れたのだと思うようになってきました。
もちろん「生」を目指して、全力で抗うのと並行してです。
全力で生きようとすることと従容として死を受け容れることとは対極の姿勢ではないか、と私は最近まで考えていました。
しかし、桃井さんの発言を聞いて、それは決して矛盾しないことに気づきました。
誠実に、真摯に、全力で生きていれば、どんなことでも受け容れられる、そう思ったのです。
それは自らの生命の永遠性を確信したからかもしれません。
自らが愛されていること、いやそれ以上に、自らが愛していることを確信できたら、生死を超えられるのかもしれないとも思えるようになってきたのです。
書いていて、どこかに無理があるのは承知なのですが、にもかかわらず、節子も私も従容として死を受け止めていた一面があったと思い出したのです。
もちろん一方では、受け容れ難いという事実はあるのですが。
節子との出会いと別れは、私に多くのことを考えさせてくれます。
今年もきっと、節子との思いは私の生きる指針になるでしょう。
そして私も時期が来たら、抗いながらも従容と死を迎えたい。
そう思えるようになってきました。
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