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2010/01/10

■節子への挽歌861:愛は人を強くします

節子
昨夜、久しぶりに映画を観てしまいました。DVDですが。
おそらく節子と一緒には観たことがない映画です。
何しろ西部劇ですから。

私は西部劇が好きだったのですが、節子は全くだめでした。
節子は「殺し合い」の映像が好きではなかったので仕方がありません。
結婚前に何回か一緒に西部劇を見に行きましたが、節子は退屈していました。
こと映画に関しては、好みは全く違っていましたので、映画はあまり行きませんでした。

昨夜観た映画は「大いなる西部」です。
私が何回観てもあきない西部劇は4つありますが、そのひとつです
主演はグレゴリー・ペック。節子の好きなタイプです。
なぜ昨夜観たかと言うと、この挽歌に「愛」について書くことにしたので、この映画を思い出したのです。
西部劇で感動的な「愛」を描いている作品は、この映画しかないでしょう。
この映画は、広大な西部を背景に、大きな愛と憎悪が描かれています。
前にも書きましたが、愛と憎悪はコインの裏表です。

当時話題になったのは、グレゴリー・ペックとチャールトン・へストンの長い殴り合いのシーンです。
カメラを思い切り引いてのシーンですので、音もなければ顔もわからない殴り合いですが、それが逆に迫力を出しています。
念のためにいえば、この2人は決して憎みあってはいないのですが。
憎悪はその前の世代の間にありますが、それを愛が克服していくというのが、この映画のストーリです。
まさに暴力国家として始まったアメリカ社会が、ヒューマンさに気づいていく20世紀前半のアメリカの歴史をなぞっていたように思います。

宿敵関係にある2つの農場が、いまや全面戦争を始めようとしている、まさにその時、グレゴリー・ペック演ずるジム・マッケイは、一方の農場に人質にされてしまったジュリー(ジーン・シモンズ)を救いだすために単身、乗り込みます。
その行為によって、当事者同士にも、そして周囲の人たちにも、その愛が見えてくるのですが、自らの生命を賭した愛の行動は、若い頃、私が憧れた愛です。
愛には生命がかかっていなければ、美しくはなりません。
誠実に生きている人が少なくなった今の退屈な日本社会では無理でしょうが。

その愛は相手にだけ向けられているのではありません。
すべての人に向けられているのです。
すべての人に向けての愛が、たまたま1人の人にフォーカスされるだけの話です。
つまり相手は極端にいえば、誰でもいいのです。
だからこそ、愛は人を限りなく強くします。
エロスの愛でも、フィリスの愛でもなく、まさにアガペ。
言い換えれば、アガペこそが最高のエロスでもあるのです。
誰かを深く深く愛するということは、すべての人を広く広く愛することと同じことだと、この映画は教えてくれます。

この映画を観ていて、私の節子への愛の揺らぎなさを改めて確信しました。
私が愛していたのは節子だけではなく、節子が愛していたすべての世界なのです。
よくわからないでしょうね。
わからない人は是非「大いなる西部」を観てください。
主役ではないですが、パール・アイヴスが最高の演技をしています。
当時、彼にも私は惚れました。
深い憎悪は愛以上に魅力的です。

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