■仕事がなくなったのではなく、仕事の意味を変えられる時代になったのです
昨年末から東京都が実施してきた「官製派遣村」が18日午前、終了しました。当面の対応としては効果を上げたと思いますが、新しく仕事が決まった人はごく一部だあったようで、いろいろと課題は残ったままだという報道が新聞に出ていました。
今朝の朝日新聞の地方版には、こんな記事がありました。
千葉県内の今春大卒予定者の就職内定率が47%。調査開始以来の最低記録だそうです。
オートメーション化が始まった1980年代に、オートメーション化によって仕事が激減するという警告が発しられていました。
私は当時はまだ会社にいましたが、それによって「仕事の体系」は変わるだろうなと思っていました。
しかしそうはなりませんでした。
仕事の体系は変わるどころか、それまで以上に過酷な労働条件へと変化してきたように思います。
1990年代の初めでしょうか、ある企業の研修に講師として招かれました。
研修が始まる前に、事務局の人が、日本の労働者の半分は余剰。その余剰にならないようにがんばってほしいと挨拶しました。
私は一気に意欲を削がれてしまいました。
がんばらないと企業から排除されるなどという脅しのもとでの研修には加担したくなかったからです。
そういう話をしてしまったためか、その会社からの講師依頼はその後なくなりました。
かつて就農人工が激減しましたが、その吸収先は工業とサービス業でした。
しかしオートメーション化やIT化による仕事の激減を吸収する先はこれまでの発想では見当たりません。
発想を変えれば簡単なのですが、なかなそうはならないようです。
ベーシックインカムの発想は、仕事の意味を変えようとしています。
いささか独断的ではありますが、「消費すること」を仕事にするということです。
まさに「パンとサーカス」の発想ですが、働く能力のない人は、企業が生みだす商品やサービスを消費する「労働者」になれということです。
それはそれで論理は通っていると思いますが、あまりに非人間的な発想ではないかと思います。
全く別の方向で、仕事のパラダイムを変えることもできます。
そのひとつがワークシェアであり、支えあいの関係を育てることです。
そうした発想で私たち一人一人も生き方を少しずつ変えていけば、たぶん50年もすれば社会は住み良くなるでしょう。
どこかで発想を変えなければいけません。
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