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2010/01/05

■節子への挽歌856:うれしかった年賀状

節子
年賀状や年賀メールのことを書きましたが、今回一番嬉しかった年賀状はOさんからのものです。
Oさんには節子はあまり会ったこともないし、名前も覚えていないかもしれません。
しかしすぐ思い出すでしょう。

節子がつらい闘病に入る直前の話です。
Oさんからドキッとするメールが届いたのです。

包丁をお腹に当てたのですが、どうしても刺さりません。
お腹の皮膚が反発してくるのです。
正確には記憶していませんが、そんな内容のメールでした。
若いOさんにはあまりにも過酷な状況に陥っていたのです。
都会でひとり暮しをしている若者は、ちょっとしたことで人生が一変します。
湯浅誠さんが「滑り台社会」と名付けたように、本当に落ち出したら止まらないのです。
そうしたことを感じていた私は、何か仕組みをつくりたかったのですが、その仕組みを一緒に創る余裕さえなくなっていることをこの数年実感しています。

メールをもらう少し前に彼から実は相談らしきものを受けたのです。
その時は、節子がかなり悪い状況で、私自身あまり余裕がなかったこともあり、彼の苦境をしっかりと受け止められていなかったのです。
それを諭してくれたのが節子でした。
でも少し遅すぎたのかもしれません。

そのメールを受けた時に、正直に言えば、私は無性に腹が立ちました。
真剣に生きようとしている節子を前に、あまりにも生命をもてあそんでいると思えたからです。
私たちにとって、「自殺」という行為はあってはならないことだったのです。
私はこんなに一生懸命生きようとしているのに、なぜ自殺する人がいるのだろう。
節子は、自殺の報道を見るたびに、そう言っていました。
私もそう思っていました。
誤解されそうですが、「自殺できる人」は恵まれているとさえ当時は思っていました。

ですから、Oさんからのメールにはいささかの腹立ちがあったのです。
しかし、節子を見送った後、自殺は本当は「生きよう」と思っての行為なのだと気づいたのです。
そしてOさんへの対応にいささかの反省の念を持ちはじめました。
もっとしっかりと支えることができたのではないか、と。
Oさんはその後、故郷に戻り、連絡が途絶えました。

そのOさんから久しぶりの年賀状が届いたのです。

諸々の整理も決着し、昨年やっと職を得ました。
本年中に必ずお返しに伺います。
お返しとありますが、返してもらうほどのことは何もしていないのです。
にもかかわらず彼はそう言ってくれています。
今年はOさんにもお会がやっと果たせそうです。

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