■節子への挽歌860:修さんは私よりパソコンが好きなんですよ
節子
今日もいい天気です。
手賀沼の湖面がきらきらととてもきれいです。
節子はこの光景がとても好きでした。
節子は琵琶湖のほとりで育ちました。
私と出会ったのも、琵琶湖のほとりの大津です。
琵琶湖にも、手賀沼にも、しかしさほどの思い出がありません。
手賀沼公園の近くを歩いていつも思うのは、この手賀沼を節子と一緒にゆっくりと楽しんだことの少なさです。
今から思えば、私はたぶん仕事が好きなあまり、節子が病気になるまで、あまり節子と一緒にゆったりした時間を過ごすことがなかったのかもしれません。
節子の病気が発見されてからは生き方をかなり変えたつもりですし、仕事もほとんどやめました。
それでも私の生き方は、仕事と生活とが重なっていましたから、誰かが相談したいといえば、それに応じていたのかもしれません。
他の人のことよりも私のことを心配してよ、などと節子は絶対に言いませんでした。
私が、誰よりも節子のことを心配していることを知っていたからです。
でも、今から考えれば、私の生き方はあまりよかったとはいえません。
自宅にいても、パソコンに向かっている時間が多かったのでしょう。
節子は誰かが来るといつもそのことを冗談のようにして話していました。
修さんは私よりパソコンが好きなんですよ、と。
もちろんそんなことはありません。
まさか節子がいなくなるなどとは微塵も思っていなかったのです。
ですから最後の最後まで、私は節子に甘えていたのかもしれません。
節子の入院中に見舞いに行っていて、本を読んでいて怒られたこともあります。
本など読まずに、節子の顔をずっと見ているべきだったのでしょうか。
私にとっては、病気であろうと何であろうと、節子が隣にいれば安心していられたのです。
こうして考えていくと、私はとても薄情な人間ではないのかという気さえしてきます。
なぜ、このきらきらと輝く湖面をみながら、節子と一緒にゆっくりとしたティータイムを持たなかったのか。
私の生き方は、やはりどこかで間違っていたように思います。
みなさんはくれぐれも、間違わないようにしてください。
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