■節子への挽歌878:最近節子が夢に出てこないわけ
節子
最近、夢に節子が出てきません。
なぜだろうかと考えて、気づいたことがあります。
朝の読経がかなり手抜きになっていたことです。
以前はちゃんと位牌と写真と、時には大日如来を見ながら、般若心経をきちんと唱え、終わったら節子への感謝と私の周辺のちょっと問題にぶつかっている人の平安への祈りをしていました。
ところが最近、ちょっと手抜きで、般若心経を唱えながら、シャッターを開けたり新聞を取りにいったり、チビ太にえさをやったりしながら、まあ「ながら読経」をしているのです。
ながら読経だと時々言い間違えたり、とばしたりすることもあるのですが、まあ節子だからそんなことは気にしないだろうと適当にやっているわけです。
これが原因でしょうか。
しかし、毎朝、きちんと水を換え、明かりもつけてロウソクも点けるのです。
口だけで3日坊主の修にしてはよく続いているとむしろ節子は褒めているでしょう。
私自身もおどろいているほどですから。
ですから、これが原因ではありません。
お供えはどうでしょう。
調べてみたら、賞味期限切れのお菓子と家族みんなが食べないお菓子だけでした。
果物は何も供えていませんでした。
しかし、こんなことも節子は気にしないでしょう。
賞味期限切れなど節子はほとんど気にしませんでしたし、家族みんなが食べないとはいえ、そのお菓子は節子の好きなお店のわが家にはめずらしく高価なお菓子なのです。
まあちょっと長く供えすぎてはいますが。
そういえば、お墓参りも最近は隔週通いになり、それも時々忘れそうになっています。
それに、花代を節約して庭の花ですましてしまうこともあるのです。
しかし、これだってもし私と節子との立場が逆だったとしたら、たぶん、節子もそうなっていただろうなと思います。
こんなことで怒る節子ではありません。
となると、理由は何でしょうか。
夢に出てこられないほど、彼岸で忙しくなったのでしょうか。
まあ節子は、役にも立たない意味のないことでも、好きになると私のことなど放っておいてもやっていました。
それで喧嘩になったこともあるほどです。
またどうでもいいことに夢中になっているのかもしれません。
もしかしたら、朝の読経も聴いていないかもしれませんし、お墓も留守にしているかもしれません。
しかし節子も私と一緒で、飽きっぽかったので、もうじきまた夢に戻ってくるでしょう。
節子と私は、飽きっぽさと無駄なことに夢中になることに関しては、とても似ていましたから。
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