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2010/01/26

■節子へ挽歌877:瑞光のような陽射し

今日の空は私好みの底の抜けた青さでした。
それだけで幸せな1日なのですが、節子がいなくなってからは、「幸せ」を感じたことは一度もありません。
人生から「幸せ」がなくなってしまうことは、それなりに寂しいものですが、「幸せ」がなくなったところで生きていけないわけでもありません。
それに時々、幸せのようなあたたかな気持ちに包まれることもありますから、贅沢を言うのはやめましょう。
それに「幸せ」のない生活にも慣れてきました。

最近ちょっと奇妙に滅入ることが多かったのですが、この強い陽射しがそこから私を救い出してくれました。
陽射しを受けながら今日は読書をしていましたが、となりにチビ太が気持ちよさそうに寝ていました。
彼は私よりも生まれはだいぶ遅いのですが、もう15歳ですので、人間として考えるともう後期高齢者なのです。

遅く生まれて早く歳をとる。
節子も私より遅く生まれたのに、早く逝ってしまいました。
節子の時間は、おそらく私よりもゆっくり進んでいたはずです。
にもかかわらず、節子は私よりも先に逝ってしまった。
それがどう考えても理解しがたいのです。

節子の時間と私の時間は違っていたのかもしれません。
人間はみんな同じ時間軸で生きているように思いがちですが、そんなことはありません。
私は子どもの頃からそう思っていました。
それに自分自身においても、時間の速度が状況によって変化することを実感していましたし、時間が必ずしも一方向にむいているばかりではないことも感じていました。
子どもの頃、何かの本でヘリウムガスは双方向に流れるということを読んだ気がしますが、その時から時間もまたそうなんだと思っていたのです。
だからタイムマシンは実現できると、子どもの頃は確信していたのです。

まあそれはともかく、人はそれぞれに自分の時間をもっているのでしょう。
その時間を、異なる人が共有することはできないのかもしれません。
相手に合わせることはできても、どこかでずれていくのです。
節子の時間と共有できていた時の幸せな生き方は奇跡的な時間だったのかもしれません。
それを体験できたことに感謝しなければいけません。

今日の陽射しはなぜか瑞光のようにまぶしかったです。
明日からは元気がでそうです。

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妻への挽歌05」カテゴリの記事

コメント

時間の流れって不思議ですね。あの日から私の時間は止まったかのようにゆっくり
流れています。一日が終わる頃、ため息と共に、やっと一日経ったと思うのですから。

主人は、とても急いで自分のやるべきことを全てやっていったように思います。
主人はまるでこうなることを知っていたように急いでいました。決断もはやかったし、
行動もはやかった。私達は結婚も早かったし、子供も早かった。主人の時間は
とてもはやく動いていたのでしょう。

そういう人と結婚した私も今から考えるととても急いでいました。主人の運命共同体と
して、一緒に走っていたように思います。私の時間もとても早く動いていました。

そして、あの日で止まってしまいました。時間はほとんど動きません。

投稿: masa | 2010/01/28 14:55

masaさん
いつもありがとうございます。

そうですね。時間が止まった感じですね。

>一日が終わる頃、ため息と共に、やっと一日経ったと思うのですから。

これを読ませてもらって、気が付いたのですが、
私の場合は、その一日を早く終わらせたくて、早く寝る習慣がついたような気がします。
日が落ちると、一気に気力が落ちてしまうのがよくわかるのです。

投稿: 佐藤修 | 2010/01/29 07:43

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