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2010/02/14

■節子への挽歌896:「アタラクシア」

先日、スピノザのことを書きましたが、スピノザの哲学は「喜びの哲学」です。
彼のメッセージは、決してストイックではなく、むしろエピキュリアンを感じさせます。

エピキュリアンは、時に「快楽主義者」と訳されるために誤解されがちですが、エピキュリアンにとっての「快楽」は「心の平穏」です。
魂(心)の平穏を意味する「アタラクシア」こそが、エピキュリアンの目標でした。
元祖エピキュリアンの、古代アテネのエピキュロスは、感覚による瞬間的な快楽は後に苦をもたらす。真の快楽とは苦痛をもたらさない状態であり、魂の安らぎ(アタラクシア)がそれである、としたのです。

彼らにとっての最大の敵は「死」だったといいます。
「死」は、不安を与え、心を乱すものだったのです。
エピキュロスも、その例外ではなかったようです。
そこで彼は、「万物が原子で構成されている以上、死もその分解過程にすぎない」というという原子論的自然観を受け容れることで、死への不安を克服したといいます。

心がかき乱されることなく、穏やかさを保持するためには、どうしたらいいでしょうか。
世事から遠のくのがいいかもしれません。
事実、エピキュロスは、隠れて生きることを志向したようです。
つまり、ストア派以上にストイックな生活をしたわけです。

竹宮惠子さんのSF漫画に『地球へ…』という作品があります。
物語は1000年以上未来の惑星アタラクシアから始まります。
この作品では、「アタラクシア」はかつての地球の植民惑星の名前です。
『地球へ…』を読んだのは、もう30年近く前のことです。
女性漫画家のスペースSFの時空間感覚は男性作家のそれとは違い、極めて想像的です。
それが私には魅力的でした。
もっとも私が読めたのは竹宮さんと萩尾さんの作品だけでしたが。
私が「アタラクシア」という言葉を知ったのは、その作品でした。

アタラクシアでは、人の人生はコンピュータによって完全に管理されています。
つまり主体性のない家畜のような人生です。
そこにあるのは間違いなくアタラクシア、つまり「心の平穏」です。
その状況を脱するべく、一人の若者がたちあがります。
後はよくあるストーリーです。

立ち上がった若者には「心の平穏」はあるでしょうか。
『地球へ…』は、アタラクシアからテラに向かう物語なのです。
いいかえれば、「心の平穏」から「生きる喜び」へ、です。

節子を見送って以来、私はそのいずれをも目指せずにいます。
アタラクシアとテラの間に、何かがあるような気がしてはいるのですが。

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