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2010/02/12

■節子への挽歌894:「死」が表情を持ち出した

節子
こちらはとても寒いです。
昨日は和室でコタツに入っていても、手がかじかむ感じでした。
父の命日だったので、お墓参りにいくつもりでしたが、あまりの寒さにやめました。
まあ薄情な息子です。
節子がいたら間違いなく行ったでしょうが、一人だとどうも怠惰さに負けてしまいます。

父の葬儀の日もとても寒い日でした。
父が亡くなったのは、昭和62年の2月11日。
13年前の今日が通夜でした。
とてもとても寒い日でした。

私たちは途中からの同居でしたが、節子は私の両親にとてもよくしてくれました。
実の息子の私よりも、両親は節子を信頼していたでしょうし、心安かったでしょう。
私はあまり良い息子ではありませんでした。
私の娘たちにもそう見えていたようです。
しかし私にとっては、自分よりも妻が両親に好かれていることはとてもうれしいことでした。

父を見送った時、私はどんな思いだったか、今では全く思い出せません。
高齢者の「死」に対しては、どちらかというと素直に受け入れられるタイプでした。
人は生まれ、生を営み、死んでいく。
そうした自然の流れに自らも身を任せていましたし、死に対する拒否感はありませんでした。
薄情なのかもしれませんが、今も心のどこかにそうした「冷淡さ」があるような気がします。
自己弁護的に少し良くいえば、「大きな生命」を感じているので、個々の死にはさほどの意味を感じていなかったのです。

しかし、父の死は私にいろんなことを教えてくれました。
人はつながりの中で生きていることを改めて実感したのも、そのひとつでした。
またこの頃から、私の節子への傾倒は強まったような気がします。
そしてその1年後に会社を辞める決意を固めました。

そうした私の「死」に対する感覚を変えたのは、身勝手なのですが、節子との別れです。
「死」と「別れ」は違うものかもしれませんが、節子を見送ってから、「死」の感じ方も変わったように思います。
「死」が表情を持ち出したと言ってもいいかもしれません。

節子は私の両親と何を話しているでしょうか。
まあだいたい想像はできますが。

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