■節子への挽歌901:天上の音楽
たとえばCDで音楽を聴いていると、突然に「落ちる」ことがあります。
音楽は突然に人を現実とは全く違う世界に引き込みます。
「情」の世界に入り込んでくるので、防備しようがありません。
突然に節子のことを思い出して、時間の流れが止まるのです。
普段はそうした世界に迷い込まないように、思い切り前を向かって進みます。
できるだけ寄り道はしない。
余計な情を起こさない。
ともかく「知の世界」と「論理の世界」を踏み外さないようにしています。
もちろん「情の世界」もたくさんありますが、その世界はいつも「対象としての情の世界」あるいは「知としての情の世界」です。
最近は、それを使い分けることができるようになってきました。
節子がいなくなってからの私の世界は、砂漠のような感じです。
それに気づいたのは1年以上経ってからです。
砂漠だから情がないわけではありません。
でもちょっとこれまでの緑の世界とは違うのです。
ただ一面の砂なので座標もないし、道もない。
寄り道しようにも寄り道できない。
ただ前に向かって、歩くしかない。
そんな感じです。
突然にまた、おかしなことを書き出したと思われそうですが、先ほど、ある音楽が心に深入りし過ぎてきてしまったのです。
それにしても、音楽はどうしてこうも心に響くのか。
驚くほどです。
「天上の音楽」という言葉がありますが、まさに天上界につながっているのかもしれません。
節子がいたころとは、その聴こえ方が全く違ってしまった。
そのつながりが、私にも感じられるようになったのかもしれません。
現世の歓びを感じさせるものから彼岸を感じさせるものへと変わったのです。
私の心の世界が広くなったからでしょうか。
感度が高まったからでしょうか。
とても懐かしく、とても哀しく、心を揺さぶります。
節子と一緒に聴いていたころは、全く違った音色だったはずなのですが。
アンドレ・ギャニオンのCDです。
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