■節子への挽歌891:女性は男たちの人生を変えてしまう
一昨日、テレビで映画「トロイ」をやっていました。
最後の10分くらいを観ただけですが、いろいろと思い出しました。
古代史劇を私が好きになったのは、高校生のころ観た「トロイのヘレン」でした。
そのリメイクが制作されたというので、私としてはめずらしく一人で映画館に観に行きました。
その前に節子を「ロード オブ リング」などのCG作品に誘ったため、もともとあまり映画が好きでなかった節子の映画嫌いは決定的になってしまい、その種の映画には付き合いたくないといわれていたのです。
たしかにCGが入りだしてからの映画は、私にも退屈になってしまいました。
「トロイ」はホメロスの「イリアス」を下敷きにした作品ですが、陳腐な筋書きになってしまっていました。
節子とのトルコ旅行でトロイ遺跡に行きました。
私のイメージとは全く違っていましたし、不思議なことにあまり「気」を感じられませんでした。
遺跡に立つと、いつもはそこから声が聞こえてくるのですが、一切聞こえてきませんでした。
それに、私の想像していたトロイ遺跡に比べて、あまりに狭かったのです。
シュリーマンを疑いたくなるほどでした。
トロイに限れば、楽しんでいたのはむしろ節子でした。
まあそれはともかく、トロイ戦争もまた「愛の物語」です。
時はいまから3000年以上前の地中海。
当時の覇者はトロイでした。
そこに挑んだのがギリシアです。
そしてこのトロイ戦争を機に、地中海はギリシアの世界になっていくわけです。
ここまでは「史実」ですが、ホメロスの「イリアス」はそれを愛の物語にするのです。
「イリアス」によれば、トロイ戦争の直接の引き金はトロイの王子パリスとスパルタの王妃へレンが愛し合ってしまうことです。
しかし、その背後には神々の愛の争いが描かれています。
人の世界だけではなく、神の世界もまた、愛によって動いているのです。
節子はヘレンのような美女ではありませんでしたが、私にとってのヘレンでした。
パリスがそうであったように、私は節子に出会って人生が決まりました。
それは、やはりパリスの場合がそうであったように、神々によって定められていたのでしょか。
女性は男たちの人生を変えてしまうために神様がこの世に送った存在かもしれません。
節子は、その存在によって、そしてまた、その不在によって、私の人生を大きく変えてしまいました。
男とは、所詮は女性の付随物なのかもしれません。
| 固定リンク
「妻への挽歌05」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌1000:パッセンジャーズ(2010.05.29)
- ■節子への挽歌999:新緑(2010.05.29)
- ■節子への挽歌998:花の季節(2010.05.27)
- ■節子への挽歌997:「解けない問題」(2010.05.26)
コメント