■情報社会では「思考」は必要か
各新聞社による内閣支持率が出ました。
この数字を見ていると、各紙の報道姿勢がわかるような気がします。
ところで、元検事の郷原信郎さんが、日経ビジネスオンラインで2月2日から2回にわたって、「検察の「暴発」はあるのか」を書いています。
この問題に関心のある方にはぜひお読みいただきたいと思います。
その記事の中で、郷原さんは自著『検察の正義』(ちくま新書)の中で述べたことを紹介しています。
私はまだ同書を読んでいませんが、とても共感できることなので、引用させてもらいます。
検察の危機の根本的な原因は、社会的価値判断が不要な一般的刑事事件中心の刑事司法において「正義」を独占してきた検察が、社会が複雑化・多様化し、複雑化・多様化する中で、様々な分野における法令違反行為に対する健全な制裁機能を果たすことを求められているにもかかわらず、組織の閉鎖性、硬直性ゆえに、社会の構造変化に対応できず、大きく立ち後れていることにある。これはなにも検察だけの話ではありません。
司法界全体にいえることでしょうし、それ以外の分野でも、「組織の閉鎖性、硬直性ゆえに、社会の構造変化に対応できず、大きく立ち後れている」ところはたくさんあります。
個人もそうです。
「組織」を「思考」と置き換えてみましょう。
「思考の閉鎖性、硬直性ゆえに、社会の構造変化に対応できず、大きく立ち後れている」。
まさにそれは私たちの現実を示しているように思います。
検察の今回の行動は、内閣支持率を低下させただけでなく、国の再建に向けての出鼻をくじきました。
マスコミは、明らかにそれに加担しています。
情報社会という時代状況の恐ろしさを感じます。
情報リテラシーなどという言葉が使われていますが、そういう言葉を使う人に限って、大きな価値観がありません。
ただただ情報技術の「使い方」をリテラシーなどという言葉で語っているだけです。
馬鹿とはさみは使いよう、という言葉がありますが、私が感ずる限り、情報リテラシーを語っている人で「馬鹿」でない人にお目にかかったことはありません。
つまり、「情報をつかう」のではなく「情報につかわれている」という意味です。
情報は、人を馬鹿にするのかもしれません。
情報社会にはそもそも「思考」など不要なのかもしれません。
私もたぶんすでに「馬鹿化」しているのでしょう。
悲しい話です。
郷原さんの記事はぜひお読みください。
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