■「児童の世紀」
友人が、いま私が取り組んでいることに関連して、エレン・ケイの「児童の世紀」を読むといいと本を貸してくれました。
これもシンクロニシティなのですが、つい最近読んだ本田和子さんの「それでも子どもは減っていく」(ちくま新書)の中の次の文章が記憶に残っていました。
スウェーデンの女流思想家エレン・ケイが「児童の世紀」と称えたこの世紀は、未来志向的な明るい光に照らされて、子どもが輝いて見えた時代だったのである。
お恥ずかしい話ですが、私自身はエレン・ケイを知りませんでした。
ただ20世紀は「子どもが輝いていた時代」として始まったのだということが印象的で、その原典を読んでみようと思っていたのです。
その人から「エレン・ケイって知ってますか」と訊かれた時に、すぐに思い出せなかったのですが、お借りした「児童の世紀」を読み出して、「なんだ、この本を読もうとしていたんじゃないか」と気がついたわけです。
私の記憶力や思考力もかなり危うくなってきているようです。
ところで、「児童の世紀」の冒頭に、訳者の小野田信さんが本書の解題をしているのですが、そこにこんな文章がありました。
「工業化の進むに従って、児童からの労働搾取が、ますます激しくなっていった。働く青少年の躾は全く顧みられず、彼らは若さを失っていじけた大人のように振舞うようになった。」
この文章を読んで、すぐ思いついたのが、次の言い換えです。
「市場化の進むに従って、児童からの時間搾取が、ますます激しくなっていった。顧客になった青少年の躾は全く顧みられず、彼らは若さを失って飼い慣らされた大人のように振舞うようになった。」
20世紀は「児童」に光をあてることにより始まったようですが、21世紀は「児童」をどう扱おうとしているのでしょうか。
19世紀と同じように、「児童」を食いものにしている人が少なくないように思います。
食いものにされた児童が大きくなったら、高齢者を食いものにすることは目に見えています。
子どもをどう捉えるか。
少子化論議よりも、そのことのほうが喫緊の問題のような気がします。
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